猫とバットと影退治

澤田慎梧

第一話「影退治にはバットを使え!」

1.猫と少女のゲキテキな出会い!

浅利山カエデにとって、その日の運勢は最悪と言えた。

 お気に入りの日傘を開けば、カラスのフンが直撃し。

 日直の仕事は、相棒が休んだせいで二倍になり。

 ついでに、この間の中学受験の模試の結果が、あまり良くなかった。

 そして今度は極めつけ。学校帰りにとぼとぼと一人歩いていたら、道に黒猫が転がっていた。


 西洋では、「黒猫は不幸の象徴」なんて言ったりもするらしい。

 けれども、カエデはそんな迷信など信じていない。

 カエデが「最悪」と思ったのは、その黒猫が大怪我をしていたからだった。黒く艶やかな毛並みの中に、はっきりそれと分かる切り傷が見えたのだ。

(どうしよう? これ、アタシが獣医に連れてってあげないと、死ぬよね?)

 きょろきょろと周囲を見回すが、見慣れた住宅街の道には、何故か人っ子一人歩いていない。

 「さて、どうしたものか?」とカエデが頭をフル回転させていると、更に恐ろしいことが起こった。


「そこのお嬢さん。人……もとい猫助けだと思って、僕を助けてはくれまいか?」

「……はっ?」

 思わず、カエデの口から間の抜けた声が漏れる。

 今、この黒猫は、しゃべらなかっただろうか? いやいや、そんなまさか、と。だが――。

「聞こえているだろう? この哀れな黒猫を助けると思って、ちょっとこっちに――」

「……あ、ごめんなさい。用事を思い出したので。……じゃっ!」

「って、逃げないで~!」

 黒猫は、はっきりと人間の言葉をしゃべっていた。

 カエデは、「これは関わってはいけない」と判断するや否や、全力疾走で逃げ出していた。

 背後からは、「ひとでなし~!」という猫の恨みがましい声が聞こえた気がしたが、無視した。

 しかし――。


「……ふぅ。ここまで逃げれば大丈夫でしょう。……って、あれ。なんか、周りがおかしい……?」

 たっぷり数百メートルは逃げだところで、カエデはようやく周囲の異常に気付いた。

 大きな道路沿いの道まで出てきたのだが、道行く車が全く動いていない。通行人もだ。

 空では、素早く飛ぶはずのツバメが、大きく旋回したポーズのまま停まっている。それでいて落ちてこないのだから、不気味な光景だった。

「な、なにこれ……? 私以外の世界が、フリーズしちゃった?」

 そうとしか思えない光景が、周囲に広がっていた。しかも気のせいか、先程までカンカン照りだった空が、不気味な黒い雲に覆われていて、太陽が見えない。

 すると――。


「ふぅ、やっと追い付いた」

「あっ、さっきの黒猫!」

 気付けば、先程の黒猫がカエデの背後までトテトテと歩いてきていた。

「あんた、やっぱり動けるんじゃない! 何が助けてよ」

「いやいや、ケガで動けなかったのは本当だよ? 今だって、無理して君を追ってきたんだから」

「なにアンタ、化け猫? 周りが全部固まってるのも、アンタの仕業?」

「そうだとも言えるし、そうじゃないとも言える」

「……なに? ナゾナゾかなにか?」

 異常事態の真っ只中だというのに、カエデは強気な態度を崩さなかった。

「肝が据わってるねぇ。うん、やっぱり君になら――いや、君にしか頼めない」

「頼むって、何をよ?」

「うん。僕と契約して、この街を狙う悪い奴と戦ってほしいんだ!」

「ごめん、むり。じゃ、そういうことで。さよなら」

「あっ、また!」

 黒猫が止める間もなく、カエデは再び一目散に逃げ出した。


   ***


(なにこれ。街中全部が固まっちゃってる!)

 黒猫から逃げながら、街の中をさまようカエデ。しかし、自分以外に動いているものの姿は、どこにも見付からなかった。

(やっぱり、あの黒猫をどうにかしないと駄目なのかしら?)

 後ろを振り返るが、黒猫の姿は無い。どうやら、完全に引き離してしまったようだ。

(もうちょっと話を聞いてやれば、良かったかな?)

 カエデがそう考えた、その時だった。彼女の視界の端で、何かが動くのが見えた。

 人影だ。少し行った先の曲がり角を、人影が曲がっていったのだ。

(私以外にも動けてる人がいるんじゃん!)

 この異常な世界の中で、自分以外の人間を発見した。その喜びから、カエデは全力でその人影のあとを追って――死ぬほど後悔した。


「あ、やば」

 曲がり角を曲がった先に待っていたのは、人間ではなかった。

 全身が真っ黒で、目も口も鼻もない、影法師が立ち上がったかのような不気味な存在だった。

 体には厚みがなく、紙の様にペラペラと薄い。カゲロウのように揺らめくその体は、何だかこの世のものではないように感じられた。

 「影」がその右手をカエデの方に向ける。手の先には、カミソリのような鋭さを感じさせる五本の指。

 右手が振り上げられ、カエデに向かって振り下ろされ――。

「あぶなーい!」

 その時、カエデと影の間に割って入るものが現れた。あの黒猫だ。

 ――影の手が振り下ろされる。その鋭い指先が、カエデを庇うように飛びあがった黒猫の体を引き裂いた!


「ぐはぁっ!」

「ね、猫さん!」

 黒猫がアスファルトの地面に落下する。「ビシャリッ」という嫌な音と共に、鮮血が道路に撒き散らされる。

「アタシを助けてくれたの? なんで? アタシ、二回も逃げたのに!」

「君が……君だけがあの『影』を、『シャドウ』倒せるんだ。だから……」

「しゃべっちゃ駄目だよ!」

 カエデは黒猫の体を抱え上げると、一目散に逃げ出した。

 「影」は、そんなカエデたちのことを、滑るような動きで追いかけてくる。

 速度は互角。だが、カエデはそろそろ疲れが出始めている。走るペースも段々と落ちてきている。

 追い付かれるのは時間の問題だった。


「なんなのアイツ!」

「あれは『シャドウ』。人間の悪い心が生み出した、怪物だよ」

「世界が停まっちゃってるのも、あいつのせい?」

「それは僕が。シャドウは手近な人間の心に入り込んで、増殖しようとするんだ。だから、時間を止めて他の人たちのことを、守ってるんだよ」

「じ、時間を止める!? 猫さん、アンタ何者よ?」

「僕は『神様』の命令で、シャドウを倒せる人間を探しに来たんだ」

「か、神様ぁ!?」

 ――いきなり胡散臭い話になった。けれども、確かに神様でもなければ、時間を止めるなんて芸当は出来そうにない。


 そうこうしている内にも、シャドウはカエデたちの背後に迫りつつあった。

「わぁ~! 追い付かれる! ちょっと猫さん、神様の使いなんでしょ? なんとかしてよ~!」

「残念ながら、僕自身には戦う力はないんだ。でも、力を与えることはできる。――停止した時間の中でも動ける才能の持ち主に」

「えっ。それって、アタシのこと?」

「ああ。だから、もう一度訊くよ? 僕と契約して、シャドウを倒してくれないか?」

 黒猫の声は真剣そのものだった。――カエデは覚悟を決めた。

「分かった。私もこんな追っかけ回されて、いい加減腹が立ってきたわ! やってやろうじゃん!」

「……ありがとう、カエデ」

「あれ? アタシ名前教えたっけ……? ま、いいか。というか、アンタの名前は?」

「僕はガトー。じゃあ、早速だけど『変身』するよ!」

「は、はい!? 変身?」


 カエデの腕の中にあった黒猫――ガトーの全身が眩い光を放ち、カエデの目が一瞬だけくらむ。

 次の瞬間、ガトーの姿は消え、代わりにカエデの姿が一変していた。

「な、なんじゃこりゃ~!?」

 カエデが叫んだのも無理はないだろう。彼女は突然、とても恥ずかしい恰好になっていた。

 フリフリの沢山付いたピンクのワンピース。スカート部分はやけに短く、油断するとパンツが見えそうだ。

 靴もお揃いのピンク色のブーツに変わっており、やはりピンク色の手袋まで着けている。

 ピンクピンクピンク。ピンクの嵐だった。

 おまけに、右手にはいつのまにか「魔法のステッキ」としか言いようのない、可愛らしいピンク色のステッキが握られていた。

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