息子がA川で魚を捕まえてきたことがきっかけだったのだと思う。


 当時、小学生だった息子は私の甥っ子(兄の子供)に影響されて、釣りや川遊びに熱中していた。

 ちょうどよく、学校帰りに寄り道できるところにA川という大きな川もあり、季節を問わず、毎日のように遊んでいたようだ。


 ある冬の日のことだった。


 仕事を終えて帰宅すると、息子が駆け寄ってきて、とにかく水槽を見に来いと誘った。

 息子の部屋には、貰ったり自分の小遣いで買ったりした水槽がいくつも置かれていて、そこには常に小さな川エビやメダカが飼われていた。


 息子の部屋に行くと、勉強机の上にひときわ大きな水槽が置かれていて、そこに大人の手のひらよりもひと回り大きいサイズの魚が入っていた。

 私は魚に詳しくないのだが、その魚が、息子が日頃捕まえてくるたぐいのものとは違うことはひと目でわかった。

 なんと言うか、そう―――魚屋の店先に並んでいても違和感の無いような、そんな魚だった。


 今日A川で捕まえてきた魚で、だから飼いたいと言う。

 その魚には水槽は窮屈そうで、家庭で飼えるようには思えない。とは言え、無根拠にやめろと言っても納得しないのはわかっていた。

 そこで、「どうやったら上手く飼えるか、Mくんに相談しないとな」とだけ言っておいた。


 Mくんとは甥っ子のことで、彼に手を回しておけば上手く諦めさせることができるだろうと考えたのだ。彼は高校生で、なかなかのしっかり者だった。


 息子が寝た後でMくんに電話をかけると、彼は快く引き受けてくれた。明後日の土曜に訪ねてきてくれるという。


 お礼を言って電話を切ったあとで、私は2階の廊下に場所を移した水槽を見に行くことにした。

 Mくんが「もしかしたら土曜までに死んでしまうかもしれない」と言っていたのが気になり、様子を見ようと思ったのだ。


 電話機のある1階から階段を登ると、水槽の前に先客がいた。その人影は、明かりもつけず、暗闇の中でジッと水槽を―――中の魚を見つめている。


 はじめは息子かと思ったが、違った。

 それは、次の春に中学生になる娘だった。

 娘は日頃、弟の捕まえてくる生き物たちを気持ち悪がっていたから、彼女がそこに居たのは意外だった。


「どうかしたのか?」と声をかけるが反応がない。名前を呼びながら肩に手を置いたところで、娘はようやくこちらを向いた。


 しかし、虚ろな目をしていて、一言も発しない。寝ぼけているのかと思ったが、どうも様子がおかしい。

 そこで軽く揺さぶると、「あれ、お父さんどうしたの?」と急に正気に戻った。

 お前こそどうしたんだ、と尋ねたが要領を得ない回答しか返ってこなかった。



 ―――翌日。娘が姿を消した。


 パートに出ていた妻のもとに連絡があり、学校に来ていないと言うのだ。

 警察に連絡をし、親族や知り合いにも電話をして総出で捜索にあたった。もちろん、私も会社を早退した。

 警察から「娘さんの部屋に何かおかしな点が無いか見てください」と言われていたため、一度帰宅した。


 子供たちの部屋がある2階へ登ると、廊下が水浸しだった。原因は明白で、あの魚を入れていた大きな水槽が横倒しになっていた。

 魚の姿はどこにもない。

 

 昨夜の、水槽をジッと見つめていた姿が脳裏によぎった。


 娘の部屋には特におかしな点はなかった。

 警察にそのことを電話し、私も外へ探しに出た。



 娘を見つけたのは夕方から捜索に参加してくれたMくんだった。A川の河原で座り込んで泣いていたところを見つけたという。


 大きな怪我などはなく、体調に問題はなかった。

 ただ、Mくんが見つけてくれるまでの間、どこで何をしていたのかは覚えていないと言う。


 娘の傍らに投げ出されていたランドセルの中は水に濡れていて、ひどく生臭いにおいがした。


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