初恋を諦めた男は、冷血の白銀王子に寵愛される
夜行性
第1話 騎士団長
赤の騎士団長、ヘイデン・ブライトンがいつも通りに朝の訓練場に到着すると、そこには人だかりができていた。副団長のアッシャーがガヤガヤと色めき立つ騎士たちをかき分けて進む。その後を数人を睨みつけながら歩き、人だかりの中心にたどり着くと、木剣を投げ出し、土の上に無様に崩折れた騎士と、細身の剣をまるで天使の慈悲のようにその男の喉元へと差し伸べる
「気を付け!」
ヘイデンの一喝に男たちは静まり返り、弾かれたようにその場に直立した。輪の中心にいる二人の人物もヘイデンへと視線を向ける。だらしなく膝を折ったままの騎士に見覚えがあった。以前にも居酒屋で騒ぎを起こしたことがある男だ。確か名前は、カールトンと言ったか。血の気が多く思慮に欠けると評価した記憶がある。
もう一人の、白銀の髪に冷たい氷のような瞳の少年は、この国の第二王子であるセルディック公デクシアだ。ヘイデンはデクシアに駆け寄る。間近に見るのは初めてだが、噂に違わず美しい顔だった。そして――
かつて、まだ幼いアリステラ王女を見かけた事があるが、その王女とそっくり瓜二つの顔に思わず息を飲んだ。あんなに美しい顔がこの世に二つもあろうとは。その驚きが隠せずに顔に出てしまったヘイデンは、慌てて我に返る。
「殿下、これは一体……」
何事か、と詰問するわけにもいかず、語尾が尻すぼみになるヘイデンに、デクシアは顔色一つ変えず、
「ただの訓練だ。私も名ばかりとはいえ騎士団の一員だろう」
それだけ言うとデクシアは剣を鞘に収め、踵を返して歩き出した。人だかりの後ろの方から、メイドだろうか、年若い女がひとり駆け出して王子の後を追いかけて行く。
ヘイデンはその後ろ姿を見送りながら長い溜息をつく。めったに人前に姿を現さないあの氷の王子が、なぜよりにもよってこんなところにいるのか。不敬極まりないことではあるが、氷の王子には厄介な噂話しかない。武人であるヘイデンにとって、社交界での出来事などはままごとにも等しい取るに足らないことだが、こうしていざ自分の部下との(おそらく)揉め事を目の当たりにするとそうも言っていられない。
ヨロヨロと立ち上がる渦中の騎士の元へ足早に歩み寄る。遠巻きにこちらを気にする騎士たちにヘイデンは鋭く告げる。
「お前たち、いつまでそうしているつもりだ。さっさと剣を取れ! 素振り三百回! 一番遅い者に一週間分の薪割りをさせるぞ!」
目の前に立ち上がった男を改めて観察する。背丈はヘイデンより頭半分ほど低いが、それでも決して小さくはない。むしろ騎士たちの中でも大柄な方だろう。一方のデクシアは馬と並べばその背中に隠れてしまうほどの背丈しかない。ヘイデンは男に尋ねる。
「一体何があったんだ」
カールトンはみっともなく訓練場を転げ回ったのだろう、肩や腰にまで
「俺は、別に何も……ただあの王子サマが珍しくこんなところに顔を出したもんでご挨拶しただけですよ」
「殿下と手合わせをしたのか?」
「へっ、手合わせなんてもんじゃねえっすよ。一方的に喧嘩を売られただけです。まさか俺が王子サマに斬りかかるわけにもいかんでしょう」
ダーウェント王国第二王子、セルディック公デクシア。第一王子であるエフシア王太子とは一回りも年の離れた若い王子である。エフシア王太子は清廉で文武に優れた人物だ。温厚で、長く玉座にある父王からの信頼も厚く、誰もがこの国の末永い安泰を確信していた。――ほんの三年前までは。
現在、第一王子エフシアは、その部下である前騎士団長ら数十名とともに消息不明であった。南部のカステル公国への外交使節としての旅程で消息を断ったのだ。必死の捜索が行われたが、見つかったのは崖下の馬車の残骸と、王太子の胸にあるはずのサファイアのブローチだけだった。
それでも
やがて国王は、第二王子であるデクシアをいずれ王太子に冊立する意向を発表した。当時デクシアは十三歳、その双子の妹であるアリステラ共々、いまだ社交界にもデビューしておらず、その人格や能力については未知数であった。
十五歳の誕生日を迎えたデクシアは急遽公爵の位を授与され、慌ただしく社交界デビューも果たされた。それまで公的な場にほとんど姿を表すことのなかった双子の兄妹に、国民は注目した。とりわけ大貴族とその子弟は新星のごとく現れた王子と王女に複雑な視線を注ぐことになった。
当の双子は、同じ年頃の貴族の子弟とも関わろうとしなかった。そのため謎に包まれたままの二人には様々な噂が否応なくついてまわる。妹のアリステラ王女は生まれつき体が弱く、公の場に姿を見せることはまずない。そしてそれ故に国内外いずれにせよ政治的な意味を持つ婚姻はまずないだろうと考えられた。要するに毒にも薬にもならない名ばかりの王女である。
兄のデクシア王子はとにかく冷酷で、他人との関わりを一切拒絶して暮らしている。同じ年頃の貴族の子弟たちが何かとパーティーや狩猟などを催して親睦を深めるなか、王子は一切の誘いを断り続けていた。ヘイデンですら、その姿を間近に見たのはほんの数回程度だ。
そもそもヘイデン率いる赤騎士団は、実戦部隊であり多くの時間を戦場で過ごしていたので、警護や犯罪捜査などを業務とする青騎士団ほど貴族の人間関係には詳しくなかった。
いずれも口さがない者たちの噂ではあるが、デクシア王子があまりにも非情緒的であること……まるで氷でできた人形のようだ、というのが誰もが口を揃える王子への評価だった。
王子の家庭教師は王子の目を見たというだけでその場で両目を潰されたとか、王子の靴に紅茶をこぼしたメイドは右手を斬り落とされたとか……ヘイデンの耳にもそうした噂のいくつかは届いていた。
そんな噂を真に受けるヘイデンではなかったが、たった今目の当たりにしたデクシア王子の姿は、たしかに氷の王子と言う異名がふさわしいようにも見えた。その氷の王子がなぜ、こんなところに……そう首を捻るヘイデンは、大股に歩き出したカールトンの後ろで、怯えたような表情の
少年はしばらくその場で何かをためらったあと、諦めるようにカールトンを追って駆け出そうとした。ヘイデンはその表情になにか引っかかりを感じて少年を呼び止めた。
「待て、怪我をしているようだ。見せてみろ」
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