第11話 SS 乙女の放課後 上

「あっ、忘れ物しちゃった」


 ジャージを仕舞うために口を広げたバックの中にイヤホンが無いことに気が付いた。


「ちょっと教室まで取り行ってくるから、みんな先帰ってて」


 イヤホンなら明日でもいいかなと思ったけれど、今日は毎週楽しみにしている推しのアイドルと芸人さんが共演するラジオ番組が放送されるため、イヤホンがあった方が都合がいい。


「え、待ってるよ」


 横にいた純奈が声をかけてくれる。


「ありがと。でも、ちょっとした用事もあるから気にしないで」


 恋バナ好きの七海から好奇の目が寄せられる。


「もしかして男?」

「違う、違う。お母さんからの頼まれごと。だから安心して帰って」

「安心て」


 七海は何ともいえない顔をして笑う。


 その後も部活仲間から意味不明のからかいを受けながら帰りの支度をすすめる。


「分かった、信用しよう。亜里沙ちゃんまた明日ー」

「またねー」


 やっと七海から解放されてみんなに手を振りながら部室から教室への道を戻る。


 人の気配が全くしない昇降口は見知らぬ建物のエントランスに思え不思議な感じがした。笑い声の聞こえない廊下を足早に歩く。それに合わせるようにパタパタという音が耳に届いてくる。

 通い慣れた学校が見知らぬ建物のように思え、不思議な感覚を味わった。ワクワク感とちょっとしたスリルにドキドキしていると、教室の明かりがついている事に気が付いた。

 こんな時間まで居残り?それとも照明の消し忘れ?なんて事を考えながら窓越しに中を覗くと、北原麗子が一人で机に座りプリントと睨めっこをしていた。

 教室のドアが開いていたため入り口で立ち止まり、中の様子をしばらく眺めていたけれどこちらに気付く様子がない。

 私はドアのガラスをコンコンと軽く叩く。


 その音に気が付いた麗子はヒュッと小さく強く息を吸い、組んでいた腕をぱっと解いた。


「ごめん、驚かしちゃった?」


 私は顔の前で手を合わせて片目を瞑る。


「びっくりしたー」麗子は入り口に立っている人物が見覚えのある同級生で安心したのか、小さく息を吐く。「私の方こそごめんね、全然気が付かなくて」


 そう言いながら麗子は机の上をさっと片付ける。

 その慌て具合を見て私は、麗子ちゃんが気が付くまで待つべきだったかなと少し後悔した。もう一度「ごめんね」と謝り教室の中に入って行く。麗子ちゃんは「大丈夫、大丈夫」と手を振りながら照れくさそうに笑い返してきた。


「何か手伝うことってある?」

「ありがとう。でも今は企画の段階だからまだないかな」


 昼間の彼女からは想像できない愛くるしい笑顔がそこにある。


「本当に?手伝って欲しければ遠慮しないで言ってね」

「本当に何もないから安心して」


 麗子はありがとうを笑顔で返す。


「近藤さんこそこんな時間に教室に来てどうしたの?」


 私はそれを聞いてほっぺたを少し膨らませる。


「そんなこと言うと本当に大変な時に手伝ってやらないんだからね。ね、北原さん」

「ごめんごめん、亜里沙ちゃん。こちらとしてはいつも頼りにしてます」


 去年の秋頃に、今と同じような状況で手伝ったのがきっかけで私達は仲良くなった。今では軽い冗談なら言い合えるぐらいになっている。

 麗子ちゃんは苗字で人を呼びたがる。同じ苗字の人がいるならフルネームや名前を呼ぶといった具合に変えてはいるけれど、基本は誰にでも苗字呼び。せっかく仲良くなったのになんか寂しいので、二人の時は名前で呼び合うことにしている。

 さっきみたいに苗字で呼んできた時はこちらも苗字で呼び返して注意を促している。今回に至っては驚かされたのに対するちょっとした意趣返しの意味も含まれているとは思う。麗子ちゃんも二人の秘め事みたいなものは好きな方だ。


 私は麗子ちゃんの近くまで行き、前の席の椅子を引いて腰掛ける。そして、机の上に置かれていたプリントに目を落とす。文化祭という字が丸で囲まれていた。


「もう秋の心配してるの?」


 私が「まだ梅雨さえも来ていないのに」と呆れると、「次のクラス会の議題を稼がなきゃいけないのもあるし」と、彼女は返した。彼女の生真面目さが垣間見られて微笑ましくなる。


 仲良くなって気が付いた事がある。二人の時の麗子ちゃんは甘い。雰囲気がお菓子のようになる。たぶん、かじったら甘みを感じると思う。それぐらいに。

 そして、ツルツルのスベスベでとにかく可愛い。棘のない、いい香りがしてきそうな薔薇が一輪咲いている。ピンクの花びらが幾重にも重なる可愛らしい笑顔がたまらない。

 このクラスでは私だけしか知らないという優越感も合わさり、より一層可憐に見える。


「去年は何をやるか決めるのが遅くなって当日まで慌しかったから、今年は早め早めに準備したいなって思って」

「それはごもっともだけれど、少し早く決めすぎじゃない?」

「せっかく良いアイデアが出たのに、時間が足りなくて諦めるのは避けたいんだよね」

「去年の教訓ってやつ?」

「うん」


 彼女のこういった物事に取り組む姿勢はお世辞抜きに憧れる。そして、みんなが目にする凜とした仮面の下にはこんなにも可愛らしい少女が潜んでいる。みんなが知ったらもっと彼女の人気は上がるだろう。でも、誰にも教えない。


「文化祭が近付いてみんなの気持ちが変わって新しいものにに変更したとしても、何も決まってなくて渋々なのと、決まっているものを変えるのだと出てくるやる気も違ってくるでしょ」


 彼女の黒髪がしなやかに揺れる。

 芯が強いからこそ柔軟に対応できる。没後何年かしたら大河ドラマにするべき逸材が目の前にいる。彼女が世間に見つかってしまうまでは、誰にも言わずに私一人で楽しむ。

 先に気が付いた私だけの特権だ。


「あなたがいればこの一年、このクラスは安泰だ」

「何それ?」


 思いがけない一言だったのか、麗子ちゃんは身を乗り出して私を叩く素振りを見せた。その拍子に少し机が傾きプリントの下からキーホルダーが滑り出てきた。

 岡山弁が特徴的なお笑いコンビを可愛らしくキャラ化したアクリルチャームだった。


 私の視線に気が付いた麗子ちゃんは、あっ、という顔をする。

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