第10話 柔軟剤
「そういえば」
吉澤君は何かを思い出したように呟く。
「さっきの話なんだけれど…」
吉澤君の視線に気がつかないようにしているけれど、何の意味もない事だというのは分かっている。
「さっきってスズちゃんの話?」
食い気味でハルちゃんが会話に加わる。こういう時はあまり良い事が起きない。ハルちゃんと物心ついた時から付き合ってきた勘がいう。
「そうそう。ちょっと気になったんだよね」
このままいくと私が会話の中心になりそうでドキドキする。普段の会話ならそうでも無いのだけれど、みんなの視線が私に集まると緊張して上手く話せなくなってしまう。その前にそっと気持ちを切り替える。動け、私の口。
そうと決まったら。
「愛に飢えているって方です」
先手必勝、これしかない。
「えっ、片方だけ否定するともう片方は肯定することになるけれど…、大丈夫?」
吉澤君は幼子に語りかけるように微笑みかけてくる。
初めは、その笑顔の意味が分からなかった。でも、理解した途端に耳が熱くなる。なぜなら吉澤君が恋人候補ってのは否定してないってことになる。ハルちゃんとは別で難問出現。どうしよう。
「候補としては認めてくれたんだね。嬉しいな」
うぅっ、吉澤君。それはそれで違うのです。
どうやって違うというのを伝えればいいんだろう。なんて考えていたら、ほんの少しだけ間が空いた。それを見逃さない人がいた。
「えー、スズちゃん。満更でもないって感じだったの?もぉー、言ってくれれば協力したのにぃ」
ハルちゃんは可愛らしく、少し高めの声で小バカにしてくる。
完璧に捕まってしまった。
「ほら、あれじゃない?」亜里沙は一度だけ手首を振って叩く素ぶりをする。「本気の時ほど自信がない素ぶりする人いるじゃない?実はそのタイプだったんじゃないの?」
そうだった、今日はもう一人難敵がいたんだった。すぐにでも「違う!」って言いたいけれど、それを言ってしまったら吉澤君は何て思うんだろう。えーっと…。
「なんだ、鈴香ちゃんには他に好きな人がいるって思ってたのに。今までそんな素ぶりをみせてなかったから気付かなかったよ」
吉澤君も冗談だって分かっているのにそんな事言って。その雰囲気だと、無理して悪役を演じている感じでもない。それに、そんな真面目な顔でこっちを見ないで下さい。気恥ずかしくなって少し俯いてしまう。
さっき二人の話を聞いている時に笑っていたのを見てたからね。冗談が過ぎます。
「俺はいいんだけどね。でも…」
俯いていた私の視界にスッと何かが入り込んでくる。視線を動かすと吉澤君と目が合った。
本当にびっくりした。いきなり顔を近付けないで下さい。
「鈴香ちゃんはその気ないんじゃないかな」
柔軟剤か髪の香りか、声と共にふんわりと香る。
「はい、げんこうはーん」
突然、ハルちゃんは吉澤君の服を掴む。
「おまわりさーん、この人でーす」
続け様に片手を上げながら表情をころして言う。
「えっ?さっきと言ってることが違うじゃん」
服を引っ張られている吉澤君は、中腰のまま突然の中止命令に困惑の表情を浮かべる。
「本当に好きにさせたらダメでしょ」
普段のハルちゃんらしくない優しくゆったりとした口調に、吉澤君は小さく両手を上げて私の顔を覗くのをやめた。
安心したのも束の間、先ほどの香りがもう一度して、目の前に西澤君がいた事を意識してしまう。
「あなたの出番はもう少し後よ。スズちゃんに強力なライバルが出現したから、今から盛り上がるところなの。邪魔はしないでね」
「表現が露骨。俺を当て馬として使うのはもう少し先って事ね」
吉澤は先ほどまで一緒に笑い合っていた同級生達の方を見る。
「女子は「優しい人が好き」ってよく言うけれど、あいつがモテる時点で矛盾してるよね。で、ライバルはどなた?」
「それはプライバシーの問題で差し控えさせていただきます。それと、考え違いをしないで。女子は『自分にだけ』優しい人が好きなのよ」
「優しいだけが取り柄の男に手厳しい一言。沁み入ります」
そんな遥乃を亜里沙は興味深そうに眺める。
「遥乃ちゃんはこんな一面もあるのね」
クルリと亜里沙の方を向く遥乃。その顔はすでに愛くるしい笑顔を取り戻し、メガネ越しにパチクリと動く瞳は、奥の、そのまた奥の方まで濁りなく澄んでいる。
「えー、何のことー?」
その穢れのない笑顔に亜里沙は感嘆の声を漏らし、吉澤は「役者だよね」と、笑った。
ハルちゃんの幼なじみながら、彼女の底を私は知らない。
それより、この人達は何か勘違いをしている。ここはキチンと訂正しておいた方がいい。
「ちょっとお二人さん、コソコソと何やらお話しをしていますが、私のお相手は私が決めますので心配はいりません」
ハルちゃんは何かと都丸君の話をしてくる。この世の中でこれほどまでに余計なお世話という言葉がピッタリと当てはまるものは他にない。
ハルちゃんと吉澤君はニコニコ…、ちょっと違う。ニヤニヤと二人で顔を見合わせている。
「鈴香ちゃんどんな人がタイプなの?気まぐれで自由奔放なやつより優しい人の方がいいよね」
「吉澤君、もちろん」
これには胸を張って直ぐに答えることができる。
「やっぱりそうだよね。優しいのは大事だよね」
「優しさは本当に大事」
「うんうん」
吉澤君は嬉しそうに頷く。
「人が大切に残しておいた好物を平気で食べるような人の道を踏み外すような人は論外中の論外」
「そんなひどいヤツがいるの?」
「そうなの、この世の中には悪魔みたいな人がいるの。私が大切に残していたベーコンのアスパラ巻きを食べられちゃったの」
「それはひどい」
吉澤君は少し大袈裟に驚いて話の続きを促してくれる。
「それがね、一度だけじゃないの。一年生の時もやられたの」
私は順序立てて去年のピーマンの肉詰めを食べられた事と、今回のベーコンのアスパラ巻きを食べられた経緯を矢継ぎ早に話す。私がどれほどまでに好きなのかを踏まえて。その話の最中にあの時の感情が思い起こされて段々と腹が立ってきた。
そうなると言葉が止まらない。吉澤君に聞かせていいような話ではないけれどごめんね。怒りが体から身じみ出てしまっているの。
「と、いうわけなの」
私はフヮーっと大きく息を吸う。
「あっ、やっと息を吸った」
アリちゃんの言葉に合わせるようにハルちゃんが私に吸い込まれる様な仕草をした。
「鈴香ちゃんは亮のことになると途端に饒舌になるね」
呼吸が整わないので吉澤君に反論が出来ないのが残念だけれど、都丸君云々ではなく怒りからくるものだ。
「だってよ」
「ふん、くだらねぇ」
私の神経を逆撫でする声が聞こえた。声の主の方をチラリと見てプイッと顔を逸らす。
「まだこいつらと話するんだったら先行ってんぞ」
近くには支度を終わらせたサッカー部のみんなが歩いていた。
「なぜだか知らないけれど怒ってんなあいつ」
吉澤君はハルちゃんに目配せしながら親指を都丸君に向ける。
「ね、何でだろうね」
ハルちゃんは楽しそうに答える。二人はコソコソと何か話をしている。
「樹ー、早く来いよー」
北村君は吉澤君に声をかけながら教室を出て行った。
「私が立候補しようかな」
北村君に手を挙げている吉澤君のすぐ後ろから声が聞こえた。
「あっ、三沢さん」
「吉澤君の彼女に立候補してもいい?」
「三沢さんごめん、みんなが待ってるから行くね」
愛想笑いを浮かべた吉澤君の声が印象的だった。
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