実力主義に見放されたモグラ令嬢は白い結婚で仁義を通す

羽廣乃栄 Hanehiro Noë

モグラのお嫁入り


「あの……何故わたくしは押し倒されているのでしょうか?」


 チェルシアは、自分に覆いかぶさる黒髪黒目の風雅な帝国軍人を見上げた。


「俺とお前の新婚初夜だからだ」


 セルギウスは、つい先ほどまで魔鉱石を研磨していた奇妙な田舎娘を見下ろした。


 寝台の上で豊かな金髪は波打ち、薄蜜柑みかん色の瞳は戸惑いで揺らいでいる。多少ふくよかな身体からは、甘く優しい香りが立ち昇る。希少な麝香じゃこうモグラの香りを人工的に真似た、この地方独特の薬草石鹸せっけんを愛用しているらしい。


 もっと動揺させてみたいと思ったが、娘の額に装着されている野暮ったい拡大鏡のせいで口づけもできやしない。


 ここからどう進めるのがスマートなのだろう、いや、年上の余裕を見せつつ撤退すべきか。久方ぶりに、少年のように逡巡しゅんじゅんしているセルギウスだった。




 シャスドゥーゼンフェ帝国歴257年、第八月、第一週目の闇夜。

 あるいはここ、帝国よりも西北に位置するアヴィガーフェ王国の伝統に則れば、夏の風の月の聖夜。


 帝国と王国の国境には、『オニモグラの巣窟』と呼ばれる鉱山山脈が延々と続く。ひときわ高くそびえる二つの鉱山『てん飛び塚』の谷間を埋めるように、そして山と接する部分は浅黒い岩を掘り出す形で、武骨な城が建っていた。

 古詩に詠まれた関所でもある『ウゴロモチの城』では、雲隠れした赤・黄色・青・紫の四つの月を模したまん丸の魔提灯が柔らかい光を放つ。その下では、夜が更けてからも随所で宴会が続く。


「四大精霊の恵みあれ! 我は祈らん!」

「地の精霊へ! 水の精霊へ! 火の精霊へ! 風の精霊へ!」


 伝統的な掛け声をどこかの酔っ払いが叫ぶと、方々から合いの手が飛んでくる。いにしえのアヴィガーフェの族長たちも、山頂の墓の中からひょっこり起きてきそうなほどの陽気さである。

 なにせ新たにやってきた領主が、この地方出身の妻を迎えたのだ。城下町にまで名産の菊スグリ酒が入った祝いだるが振舞われた。


 ただ最奥の豪華絢爛けんらんな一室だけは、途中まで磨かれた黒い魔鉱石が寝台の上に散らばり、剣呑けんのんな空気が漂う。


「おそれながらセルギウス様。お部屋をお間違えです」


「ここは領主わたしの寝室ではないか」


 勿論もちろんそうなのですけれど、とチェルシアは、自分に覆いかぶさっていた屈強な男の胸板を押し上げようと試みる。


 まさか領主がやってくるとは思わなかったので、右手には魔蜘蛛まぐもの闇厚布を、左手にはペン式の研磨器を握りしめたまま。

 つい数週間前まで爪に火をともすような生活だった。魔鉱石を磨くために他所よそから貸与されたものを、迂闊うかつに落とすのは怖い。寝台横には、石をらすための特殊な黒い水がなみなみとボールに入っているので、下手な大立ち周りをするのも避けたい。


 こういう時、一番上の弟ジャーロンなら、絶妙な力加減で相手を部屋の向こうへたたきつけられるのだろうけど……ロクに鍛えてもいない細腕ならぬ『ぽっちゃり腕』では、わずかな隙間を確保するのがやっとだった。


 自分を見下ろす男は、『刃金はがねの貴公子』と評されるだけあって、非常に整った顔をしている。背も高く、着やせする身体は筋肉質。そして資産家。さらには生粋の帝国貴族。


 正直、生理的な嫌悪感はもよおさないし、このまま流されてもいいかしら、とうっかり思えるだけの色男ではある。だがしかし。


「あのぉ……セルギウス様には、大切な、恋人が、おりましたよね? 現在、離れの塔で、御一緒に、お住いの」


 チェルシアは、大事な点をわざとゆっくり、んで含めるように指摘した。


「うむ」


「そしてわたくしは、アヴィガーフェの古い貴族の血が多少なりとも入っているということで、セルギウス様の御恩情により、表御座所おもてござしょに提出する書類上の、形だけの『妻』にしていただいたわけですよね?」


 チェルシアの母方の家系は、かつてこの州一帯を治めていた名門だったらしい。ひい々祖父母から曾祖父母の時代に、この国の王朝が変わるほどの戦争が起こり、今じゃそこいらの農地持ち平民よりも没落してしまっているが。


 チェルシア本人も、こんな優良物件に嫁げるだけの体型や美貌や知性や才覚や運動神経は、何一つ持ち合わせていない。魔力だって貴族にしては低い。


 やっと得た内職だって、この地方で言うところの『愚直モグラ』、すなわち魔鉱石磨き。時間をかければ誰にでもできる単純作業だ。特出した技術があるわけではないので、生活魔道具に使う等級の低い魔鉱原石しか回してもらえない。


 だから、下半身の一時の欲望なんぞで、この振って湧いた幸運を失うわけにはいかないのだ。


「両親を病で続けさまに失った今、三人の弟を養っていくため、身売りをするしかなかったわたくしを買い取っていただいた、セルギウス様は命の恩人。心より感謝しております。

 ですが、帝都のお見合い協会からは『白い結婚』と伺っておりました故、もし万が一、子作りを御要望でしたら、精神的にも肉体的にも準備する期間をいただきたく存じます」


 先ほどから人を食ったような表情の新領主に対し、チェルシアは頭を下げようと首をよじった。礼儀を尽くしながらも、相手が法律で禁止されている奴隷売買まがいに手を染めたこと、しかも取引時に重大な説明義務を怠ったことはくぎを刺しておく。


「ふん。身一つあれば、準備は必要あるまい?」


 ゆったりとした魔絹の寝間着をまとった美丈夫が、口の端を軽く上げて悠然と微笑んだ。帝都の社交界であれば、これだけで落ちる令嬢もいるとか。


 それでも『愚直モグラ』を地で行くチェルシアには通用しない。なにせ生活がかかっているのだ、自分だけでなく弟三人分もの。


「いいえ。男女の身体には妊娠しやすい時期があり、妊娠しやすい衣食住の様式があるそうです。そして何より、恋人のマリアンナ様から見て、戸籍の上だけではございますが、わたくしはお二人の仲を邪魔する間女に過ぎません。

 マリアンナ様がいずれ身籠る御子なり、セルギウス様の親戚筋の子どもなり、魔力の高い領地内の子なりを養子にすることをまず検討し、数年間の様子見をしてもかなわぬのであれば、正妻のわたくしの身体と最小限の接触で、妊娠を目指すべきかと」


 そこでセルギウスは、生真面目そうな娘を改めて上から下まで眺め尽くした。意外と冗舌だということは、今宵やっと知った。


 顔は眉も細くもなければ太くもなく。目も大きくもなければ小さくもなく。鼻は高くもなければ低くもなく。ごくごく平凡な顔のパーツの中で色濃いそばかすだけが、侍女が施した化粧でも消えなかったようだ。


 黄色に染めたネグリジェを着用していることから、土の日生まれなのだろう。手と足の爪は、アヴィガーフェの新婦の慣わしとして、聖薫衣草くんいそうで黄色く染めてあった。更に上からシャスドゥーゼンフェの新婦の慣わしとして、十字に型抜きした金箔きんぱくが貼ってある。


 これまで自分が望み、なびかない女はいなかった。こんなどこにでもいそうな町娘ごときから遠回しに拒否されたことに、セルギウスは心底面食らったし、プライドを傷つけられてもいた。


「か、勘違いするな。初夜だからと、侍従らに無理矢理この部屋へ押し込められただけだ」


 の割には、ベッドにいそいそと乗り上げて、覆いかぶさって来ましたよね、断りもなく胸をんでましたよね、というツッコミはみこむチェルシア。


 才気走った二番目の弟のテーランのように、咄嗟とっさの事態に反応するのは無理だと知っていた。だからこそ、帝都お見合い協会の冊子『貴族令嬢の初夜の心得』を結婚式で仲人に返却するまで熟読したのだ。


 いわく、帝国男子は面子という煮ても焼いても食えない無駄なものを非常に大事にする。なんなら決闘にまで発展するのも朝飯前。大概は代理人を立て、本人はケツをまくって逃げる。最新の例を挙げればホラ、上級貴族の放蕩ほうとう息子の――と、誇張した挿絵入りで生き生きと描かれた指南書に夢中になったと言うほうが正しいかもしれない。


「ああ! つまり、初夜も放置された花嫁では、使用人たちが冷遇するかもしれないと! お優しくも御心配くだされたのですねっ」


「そ、そうだ。うむ」


 よし、言質は取った。第5章『白い結婚は事前の契約書を忘れずに』、第8部『それでも性交を迫ってきやがった場合』の『対処法その5』でいこう、とチェルシアは決意した。


「でしたら! わたくしは、逆にされることで、領主様のお役に立ちたいと思います!」


 拘束を逃れた娘は枕元に正座し、乱れた寝間着を素早く整えると、腕や脚をしっかりと隠した。そして間髪入れず両手をそろえ、毛布の上で平伏する。


 指南書に、『腕力で敵わないのであれば、言葉でまくしたて、勢いで押し切るのです。嗜虐しぎゃく的な性欲は刺激せぬよう、誠実さを前面に出し、はきはきと事務的に』と書いてあったのだ。


「いかに領主様の前で取り繕おうとも、形だけの妻には陰で侮辱する使用人が出てくるでしょう。そういった者は、同僚や外部の人間にも横柄な態度を取る可能性が高うございます。ましてや有事の際に、この国境を命懸けで守ろうなぞとは致しません。

 逆に、そのような状況下でも礼を尽くしてくださる真っ当な使用人は、領主様の御信頼に値すると言えます。

 部下の不忠をあぶりだし、忠義ものに報いるため、どうぞこの身をお使いくださいませ」


 そこで一呼吸置き、『刃金はがねの貴公子』をきっと見据える。黒く繊細な前髪が、すがめられた切れ長の瞳に、はらりとかかる様子がなまめかしかった。四方八方に跳ねてしまう自分の癖っ毛と大違いだ、と鉱山の最奥部まで一気に凹みたくなるが、今はその時ではない。


「ですので今宵は、どうかマリアンヌ様の元へお戻りあそばせください。表向きはこの結婚を容認したとしても、本心は張り裂けそうなほどお辛いはず。

 わたくしめは月に一度、面会をお許しいただき、生存確認をしていただくだけで十分幸せでございます。

 大恩ある領主様、誰かを好きになるのは大変幸せなことですわ。ですが両想いになれるのは、その中のほんの一握り。マリアンヌ様との大切なご縁が末永く続きますよう、精霊の御加護をお祈り申し上げております」


「……あい解った。ではその様に」


 一昨年、昨年、そして今年。帝都の剣術大会で連勝した長身の領主が、威厳たっぷりと部屋を出ていくまで、チェルシアは帝国皇族の前に並べられたかつての捕虜奴隷のごとく、低く低く頭を下げつづけた。


(アーリンはちゃんと寝れているかしら)


 まだ幼い三人目の弟は、この城に専用の部屋をもらったものの、一週間前から愚図ってばかり。結婚式の準備で忙しいチェルシアの代わりに子守りを引き受けたジャーロンとテーランを、すっかり困らせていた。


 それでも今夜は疲れたのか、三人で大きな寝台に丸まっていたっけ。


 可愛い弟たちに思いをせ、ようやく一息けたチェルシアだった。




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 そして翌日の城主執務室。


 重厚な革張りの椅子に腰かけ、逃げ場のないセルギウスは、帝都お見合い協会から派遣されていた『仲人』に詰め寄られていた。背丈が低く、枯れ木のようなやせ細った老女だからといって侮ってはならない。『帝都を裏で動かす四賢婆よんけんば』と恐れられている一人である。


 しかも彼女の機嫌は、すこぶる悪かった。この城には現在、アヴィガーフェの新王朝から、祝いと称して王族が複数人押し掛けている。


 人呼んで『琥珀こはくの老婆』は若い女中らを守るため、アホ丸出しのボンボン王子を一人一人、様々な方法で酔い潰していかねばならなかったのだ。終いには、「生娘かどうか確かめてやる」と招待客の女性陣まで追いかけはじめたせいで、急所をつえで殴って気絶させる羽目になった。城の彫刻に自ら足を取られたのだと、これから偽装しに行かねばならない。


「このばばが睡眠不足でボケたのでなければ、確か。

 数代前に騎士から叙爵じょしゃくされた地方いなか新興貴族なりあがりの四男坊が、帝都で大流行りの英雄たん影響どくされた皇帝により、戦時中でもないのに剣技で取り立てられて大出世。

 おまけに精霊の風に乗ったまま降りてこないオツムがかるすぎて、いきあたりばったりな皇太子の気まぐれ推挙により、古きアヴィガーフェの領地を畏れ多くも任されるという、過分な栄誉に浴したのでしたね?


 唯一の条件は妻帯だけだというのに、ロクな礼儀作法も覚える気のない踊り子にれた腫れたでゴネにゴネ、困った臣下一同に泣きつかれた当協会が、形だけの結婚を承知してくださる心の広~い現地の名門家系の御令嬢を御紹介申し上げたのが事の次第かと思いますが……どこか記憶違いがございましょうか?」


「……いえ。ゴザイマセン」


 人間は、老婆になると嵐を呼べるのだろうか。不穏な風が窓を乱暴にたたきつけ、どす黒い雲が太陽を消し去った。


 少し様子を見たら何もせずに退室するつもりだったのだ、だが初夜そっちのけで魔鉱石をちまちま磨き、こちらの声掛けにも気がつかない新婦に苛立って、ついうっかり……なぞとセルギウスが言い訳しようものなら、部屋の中まで嵐が吹き荒れそうな勢いである。


 両横に控えるアルムッドとナクトンへそれとなく視線をやるが、二人とも明後日の方へ向いたまま助け舟を出す気配は皆無。


(裏切り者め。所詮はアヴィガーフェ側の人間か。帝国からもう少し官僚を連れて来るべきだったな)


 心の中で毒づくセルギウスに対し、真っ黄色に染めた髪を王冠のように編み込んだ老婆は白い魔紙の束を突き付けた。セルギウスがつかもうとした刹那、二人の間に横たわる黒い執務机の上にパサリと落とす。


「違約金が発生しましたので、請求いたします。また今後、この婆がおらぬ間に不埒ふらちな真似をする懸念が大いにあるため、新領主様には契約上定めた検査を、大至急受けていただきます」


 しわだらけの両手を高らかに打ち鳴らすと、城に常駐する男性医師が入室してきた。老婆が帝都から連れて来たという女性医師二人も一緒だ。


「な、なんだ、これは!」


「まずは性病の有無の確認でございますね。当協会では、お世話することとなった令嬢たちを守る義務がございます。男性側から危険な性病を移され、不妊にされ、子が成せない責めを一方的に受けるわけには参りませんから」


 老婆は顔色一つ変えることなく、特に帝都では様々な性病が大流行しており、その中には男の側、あるいは女の側にだけ自覚症状のないものもあるのだと、淡々と説明した。


 命を落とすものまであると言われてしまえば、セルギウスとて異論は差し挟めそうにない。騎士として宣誓済みの身なのだ。


「加えて、そもそも新領主様の精子自体に問題がないかも確かめさせていただきます。妊娠しにくい身体を生まれ持つことは、男女ともにございます。ですが定期的な医師の指導を受け、日々きちんと取り組んでいただければ、改善の余地はございますから」


 医師三人が、先のとがった金属器具を一枚の巨大な黒鬼岩石を天板にした執務机の上に並べ、医療用の手袋を装着した。


「後は、頭皮のしらみぎょう虫や原虫といった寄生虫、虫歯菌や白癬はくせん菌、その他感染しかねないものは全て、頭のてっぺんから足の爪先までお調べいたしましょう。いつ何時、当協会と御縁のある御令嬢に接触してもいいように、この際、すべて綺麗きれいにしていただかねばなりません。

 なにせ帝都では、お盛んだった御様子。送別会では、性病まみれの皇太子やその取り巻きと、贔屓ひいき娼館しょうかんを一晩貸し切られたとか」


 極秘であるはずの皇室事情が筒抜けである。老婆はにこりと上品に微笑むが、眼光は軍鷹ぐんだかよりも鋭い。


 慌てて外へ出た秘書のアルムッドとナクトンは、その後の執務室から響く絶叫について、黙秘を貫いた。


 老婆が事前に手を回したおかげで、この城に派遣された帝国の密偵はアヴィガーフェの亡命組が任命されている。つまり老婆が我が物顔で無双をしようとも、皇帝にバレることはない。


 医師団は続いて、城の離れに住まう踊り子マリアンヌの元へも赴く。そうしてセルギウス共々、治療が開けるまで、チェルシアへの厳重な接近禁止命令が下されたのだった。




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「えっと、セルギウス様は執務の際にも離れからお出にならない、ということでしょうか……」


 弟のアーリンを膝に抱えた娘は目をパチクリさせる。遊戯部屋で、この地方の伝統的な『魔化石掘りごっこ』を四人姉弟で楽しんでいる最中に、琥珀こはくの老婆がやってきたのだ。


 今日は土の日。土の精霊にあやかって、鮮やかな黄色の織物を敷き、黄土色の土で固めた塔を中央に据え、皆で輪になって床に胡坐あぐらを組んでいた。


 あと数週間で夏休みが終わる。成人間近の勇敢なジャーロンはカルナーフェという帝国の南側の属国で、騎士として修業することが決まった。彼より二つ歳下の明晰めいせきなテーランは隣の北国ヴァーレッフェで、官僚としてのイロハを学ぶこととなっている。


 悲しいかな。コネが無ければ出世も望めぬ帝都では、学園内ですら貴族家系の序列によって、教師も生徒も公然と贔屓ひいきと差別を行なう。宗主国に迎合しきったアヴィガーフェでも、役人の賄賂が蔓延はびこっていた。


 対してカルナーフェやヴァーレッフェは、アヴィガーフェの旧王朝と同じ血筋が今でも統治している。シャスドゥーゼンフェ帝国の王族が乗っ取った現代のアヴィガーフェよりも、古き良き伝統がはるかに色濃く残っているのだ。帝国にみ込まれないよう優秀な者を重用するようになり、能力主義の風潮も育っていた。


 チェルシアは弟たちに、できるだけ良質の教育を受けさせたい。そして家族のきずなも忘れないよう、休みには頻繁に帰ってこられるだけの資金も持たせてやりたかった。


 また自分の出自が支えになるよう、この地の伝承を口遊み、伝統料理に親しみ、季節ごとの行事もささやかながら欠かさない。東西に鉱山脈が続く、この大地の鼓動を覚えておいてほしかった。


 今遊んでいる『魔化石』も、本物ならば当地の名産として必ず挙がる。正体は魔道具の動力源として不十分な屑魔石だが、そちらもこういった子ども用のおもちゃに加工すれば人気の土産物となる。他国で出逢う未来の友人へ祖国のことを語って聞かせる際、ひとつだけでも思い出してくれればと願ってやまない。


「追加でせしめた金も、城下町の魔杖まじょう職人ギルドに預けられよ。二人とも、登録は済ませたのかえ? カルナーフェやヴァーレッフェでも、引き落とせますぞ」


 老婆の言葉にチェルシアはしっかりとうなずく。結婚前、あそこのギルド職員にはアヴィガーフェの旧貴族が多く紛れこんでいるのだと教えてもらった。ジャーロンもテーランも右袖をまくり、職人見習いのあかしとなる刺青を老婆へ見せた。


 実はこの老婆も籍は帝国貴族となっているが、血筋はアヴィガーフェの旧貴族である。今や『四賢婆』と畏怖される残り三人も、帝国周囲の属国からの亡命貴族令嬢だった。


 侵略を繰り返した帝国では、祖父母の代から帝国生まれでないと、帝国市民と見做みなされない。


 様々な恩恵を受けられない異国の民でも、美貌に恵まれれば身分を越えて結婚できよう。武に優れた男ならば、戦闘民族気質の帝国人に雇ってもらえよう。ほどよく賢い男ならば、帝国では二流三流と蔑まれる事務仕事を一任してもらえよう。


 だが、美にも武にも知にも恵まれなかった不遇の者はどうすればいいのか。善良に生きようとする心優しき者であっても、能力がなければ切り捨てるのか。それは縁故主義をうたう帝国と同じくらい、残酷なことではないか。


 努力できることすら才能なのだ。どう足掻あがいても、天才にも秀才にもなれない人間は必ずいる。縁故にせよ、能力にせよ、結局は生まれもった資質と環境に大きく左右されてしまうからだ。


 帝国上級貴族の夫に浮気され、愛人を囲われ、名ばかりの正妻だった『四賢婆』は考えた。四人とも学は十二分に修めたし、魔力にも恵まれたが、女性蔑視の帝国法では泣き寝入りするしかない。


 ――であれば弱い者同士、ひそかに手を取り合えばいいのだと。


 まずは優秀な使用人を集め、資金を貯めた。そうして立ち上げたのが『帝都お見合い協会』。ここには様々な家の内密事情が入ってくる。男女の痴情のもつれを解決するため、荒事にも手を出さざるを得ない。


 貧民窟や遊郭には今は制度的に廃止された元奴隷の民や、強制的に連行された元異国の民も大勢いる。帝国民であろうと、平民であろうと、助けられるものならと手を差し伸べ、その生活改善に奔走していたら、いつの間にか暗黒街を牛耳る長老妖怪と呼ばれるようになってしまった。


「下調べでは、皇太子と適度な距離を保つ、分別のある男ということだったんだけどねぇ。

 マリアンヌという踊り子は、以前にも後ろ盾を何人もたぶらかしてきただけあって、手練手管が並じゃないようだ。であれば、もう少し使い方を考えればよいものを。

 宝の持ち腐れだよ、まったく」


 琥珀こはくの老婆が怒りに任せ、おもちゃのハンマーを振り下ろすと、土の塔から土の塊がボロボロと落ちた。


 だがこうして、数代ぶりに本来の当主をこの城に戻すことができた。男でないと家を継げない帝国とは異なり、旧アヴィガーフェでは女にも相続権があった。


 アヴィガーフェ東南部の伝統的なレースが惜しげもなくあしらわれた黄色いドレスをまとう娘を、老婆は満足げに眺める。血筋がどうのと言うより、この地の伝統を尊重し、積極的に次代へ遺そうとしてくれる姿勢がうれしい。


 領主夫人として決済してくれたおかげで、問題のある夫から逃げて来た子連れの女が既に二人、この城で働き口を世話してもらっている。乳飲み子を抱えた男やもめも一人加わったため、使用人が幼い子どもを預けられる一画も城内に新設された。


 老婆的には、今までそういったことに予算を回されていなかったほうがドン引きなのだが。


 騎士のよろいに派手な金銀細工を施せば、武術の才が伸びるまじないでもあるのか。だが友好条約でがんじがらめにした帝国と属国との国境で、毎年やたらと武具を新調してどうするのだ。


 皆で順番に床に置かれた土の塔を削っていく。しばらくすると中央近くから、『魔化石』に似せた安価な魔鉱石が顔を現した。


 魔道具の動力源となるのは、水晶窟のように露出した魔鉱石を磨いたものだ。石が含有する魔力は使用するにつれて減少し、やがて人工的に充電しようとしても力を貯められなくなってしまう。だが長期間、深く土の中に埋めておくと白濁化し、自然と魔力を取り戻すのである。


 特に『魔化石』と呼ばれるものは、古代文明の時代から眠っているもので、本物ならひと財産築ける。上級魔導士が使用する最上級魔杖まじょうめこむのだ。魔鉱石を多く産出するこの鉱山脈周辺で、時おり発見されていた。ちょうど琥珀こはくの老婆が膝元に置いたつえにも、その一つが輝いている。


 アヴィガーフェでは貴重な魔化石を発見した際、願い事を決意表明の形にして、声に出して言うのが習わしだ。『魔化石ごっこ』では、白く脱色された『魔化石もどき』を掘り当てた者に、その栄誉が与えられる。


「わたくし、協会の指針を心に刻み、生きていこうと思います!」


 チェルシアが高らかに宣言すると、ジャーロンとテーランも四大精霊に誓いを立てる時の菱形ひしがたを両手で作る。


「恵みを分かち合い、弱きを思い遣り、仁義を貫き通くことを!」


 アーリンが皆の真似をしようと小さな両手をバタバタさせると、部屋は笑いに充ちあふれた。




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 新領主は塔に籠もったせいで、大きな改革も起こせない。

 こうして穏やかな秋を迎えられたと皆が安堵あんどした矢先のこと。


「え? セルギウス様が、菊スグリの新酒を皇帝陛下に献上すると言い張ってる?」


 不安と困惑で一杯という様子の秘書ナクトンがやってきた。領主経営に疎いチェルシアでも、それが大問題に発展するということは解る。


 毎年、酒蔵から最初に出される酒は地元だけで消費される。そしてその中でも材料にこだわり、手間暇かけて、丹精込めて造られた最上級酒は、まず四大精霊に供物としてささげる。そして翌日、鉱山総会で領主が自ら封を解き、自らさかずきぎ、それを手渡しながら、親方一人一人と言葉を交わすのである。


 菊スグリ酒は、初夏に鉱山の麓で咲く接骨木菊せっこつぼくぎくという樹木の八重の花を採取し、同じく初夏に鉱山斜面の岩肌でも強かにつるを延ばすモグラスグリの実を、鉱山で採れるスグリ石と共に漬け込む。


 地元のことを最も深く考える者たちが、地元の最も良い材料で作られた地元の最も優れた酒を体内に取り込む。そうすることで無事、この地の四大精霊とつながることができ、次の一年も加護を得られると人々は信じていた。


 鉱山山脈には無数の人口洞窟が出来上がっている。菊スグリ酒の仕込みだるが並べられているのもそういった場所だ。そして廃坑を利用しているのは各酒蔵だけではない。様々な産業で使われており、だからこそ鉱山での事故がないよう、皆が四大精霊に祈るというのに。


「そんなことをしたら、鉱山に誰も入りたがらなくなるわ! いいえ、その前に暴動が起きてしまう」


「そうなんです! ひげモグラたちが土の中に潜らなくなって、闇モグラが跋扈ばっこするとご説明したのですけど、『モグラごときに振り回されてどうする』と一蹴されてしまって……」


 ちなみに『ひげモグラ』とは、ひげを長く伸ばした正規の鉱夫たちのことを言う。鉱山掘りは一人ではできない。作業を分担し、皆がひげのように連なっているから、とも説明される。


 『闇モグラ』は違法採掘業者だ。無数の洞窟の中には、他領で追われた無法者が住み付くことがあり、徒党を組んで鉱石を奪うことが昔からあった。


 この地の者が恐れるのは皇帝ではなく、精霊の怒りなのだ。長く続いた戦争でアヴィガーフェとシャスドゥーゼンフェ帝国の貴族に翻弄された地元民は、誰が治めようが気にしない。ただ、鉱山の四大精霊を敬う者でありさえすれば。


(でも変だわ。セルギウス様は、初夜の時だって私を解放してくださったし、ちゃんと話せば聞いてくださる方よね?)


 チェルシアは、とある可能性に思い至った。初夜手引き書の『帝国男子は面子を非常に大事にする』という一文だ。


「口頭ではなく、お手紙を書いて、私がもう一度ご説明してみましょうか?」


「お願いいたします!」


 半泣き状態のナクトンが、やっと顔を輝かせて深々とお辞儀をした。夕方にまた来るというので、チェルシアは急いで書き物机に向かう。


 シャスドゥーゼンフェ帝国もアヴィガーフェも、言語学的には同じ文字、同じ文法なのだが、両国ではそれぞれ方言もあるし、鉱山山脈を抱えるこの地の言葉遣いというものもある。時には同じアヴィガーフェの人間でも面食らうほど独特らしい。


 一番多い苦情は、当地に来て初期の段階だと『モグラの種類が多すぎる』とか、『モグラの成長段階によって何故に呼称を変えるんだ』辺り。滞在が長くなってくると、『なんでもかんでもモグラに結びつけるな! モグラの生態なんて知らんわ』とか、『そっちは人間の空想した伝説伝承なんかい。真偽もごっちゃやないか!』と愚痴られる。


(年輩のアルムッドは旧アヴィガーフェ貴族。どう見ても帝国人を嫌っているから、文化の相違を進んで説明してあげたりはしないでしょうね。

 そしてセルギウス様も、事務方に教えてくれとは懇願しないでしょう。ここに来てから親交を深めているのは、毎日ともに鍛錬している騎士団だけですもの。

 若いナクトンはすぐ人の顔色を伺うから、怖くてロクに言いだせないのではないかしら)


 チェルシアは引き出しの一番上を開けた。麝香じゃこうモグラ印の丸い香水瓶を取り出し、深呼吸する。


 今の暮らしに対する感謝をまず書いて、『そういえば総会の季節が近づいて参りましたね』的に話を運ぶ。お酒の場に相応しくないかもしれないが、前日までの準備と当日の最初の挨拶まで、幼いアーリンと一緒に手伝わせてほしいと頼んでみることにした。


 大切な地元の伝統を見せてやりたい、と弟をダシにする。どこまでアーリンと関わりたいかを書くことで、総会の手順やその背景、そして鉱夫たちにとっていかに大切な儀式かに言及できた。


 ついでに、聖薫衣草くんいそうや鉱山の穴蓬あなよもぎを漬けこんだ貴重な薬酒が存在することも書いておく。原料は、この地方で大量生産されている玉蜀黍とうもろこし酒だ。


 旧アヴィガーフェ王国の晩餐ばんさんでは、この霊酒を王の前で一人分ずつ火にかけた。湯呑ゆのみに着火した酒を数量注ぎ、煮出した玉蜀黍とうもろこし茶を加えることで炎を消し、温かいまま食前に飲んだ。これが胃の不快症状に効くらしい。


 そういえば皇帝陛下も最近、胃が荒れてしまったとか……と、お婆様からの情報も入れておく。アルコールの過剰摂取で肝臓を壊したという贅沢ぜいたく病だが、そこはオブラートに包んだ。


 クリームイエローの小花が咲くかすぎくの小枝を挟み、黄色と蜜柑みかん色のマーブル模様になったろうで封をする。ナクトンには、手紙と一緒にお出しするように、と玉蜀黍とうもろこし茶も渡した。




 チェルシアが危惧した通り、セルギウスはその年最初の菊スグリ酒が鉱山総会で開けられる意味を理解していなかった。『〇〇モグラ』も種類が多すぎて、生き物であるモグラと、様々な人間の別称とで区分できていなかった。


 帝国人が面子を重んじるあまり、失敗した例は枚挙にいとまがない。セルギウスも小さい頃から言い聞かされてきてはいたのだ。土着の文化を無視する横暴な外国人領主にはなりたくないが、自分を同胞として扱おうとしない現地官吏に弱みも見せたくない。


 そんな中で、チェルシアの優しさあふれる手紙は救いとなった。自ら焙煎ばいせんした実や天日干ししたヒゲをブレンドした玉蜀黍とうもろこし茶も、新天地で戸惑うセルギウスの心を癒してくれた。


 こうして秘書のアルムッドとナクトンが本館に入れ替わりやってきては、チェルシアからの文を別塔に届けるようになる。帝都一の剣豪を恐れた臣下も、チェルシアを通して陳情を申し立てるようになった。




 自由奔放なマリアンヌが治療に嫌気をさし、皇帝への献上品として選ばれた霊酒と一緒に帝都へ戻ってしまうまで、あとふた月。


 漆黒の貴公子が雪の振りしきる冬を離れの塔で孤独に過ごし、春の蒲公英たんぽぽのようなチェルシアの魅力にすっかり虜になるまで、あと半年。


 領主夫婦の主寝室の扉は、魔法陣にて幾重にも封をされてしまいましたからねぇ。当代一流の魔導士でもある、四婆よんばば様のお眼鏡にかなうよう、精霊のご加護をお祈りするよりほかありませぬ。


 なにせここはアヴィガーフェ。


 精霊の生まれし国でございますれば。


 どこかの協会のように、天地に恥じぬ生き方を指針とすれば、いつかきっと幸運が訪れましょう。




 ― 了 ―







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実力主義に見放されたモグラ令嬢は白い結婚で仁義を通す 羽廣乃栄 Hanehiro Noë @crystal-clear

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