甘え上手な銀髪後輩様とのデート③

「ふひひ……! ぬふふ……! んふふ……! 買っちゃった……! 買っちゃったわ……! フタゴムシのイラストが描かれた付箋を……! ぐひひ……!」


 寄生虫の博物館の出入口から外に出ながら、俺の隣で物凄く嬉しそうな声を出しているのは俺の彼女である。


 そこら辺の本屋に置いてあるようなファッション雑誌の表紙に載ってあるモデルよりも魅力的なシエラは嬉しそうに小躍りをしながら、フタゴムシのグッズを購入した訳なのだが彼女の個性的な笑い声を聞くに、彼女は十二分に満足しているのは火を見るよりも明らかであった。


「とはいえ、普通に面白かったんだよな……」


 寄生虫と聞くと大抵の人は嫌な表情を浮かべるのかもしれないのだが、実際に展示されている標本はホルマリン漬けにされた影響か退色しており、そこまでグロテスクな印象を受けなかったのが正直な感想である。


 入場料が無料だというのに思った以上に訪れている大学生らしき若者が多く、俺の隣に誇らしげに寄生虫についての知識や雑学にエピソードをドヤ顔で披露してくれた彼女のおかげで意外と勉強になった博物館デートなのであった。


「清司さん、清司さん、清司さん! 次はどこに行こうかしら!? まだデートは始まったばかりよ!」


「落ち着こう。まだ昼の2時な訳だし、取り敢えずデート終了の6時までは時間はまだあるから」


「もう4時間しか残っていないじゃないの!? 時間がいつもより早く流れ過ぎじゃないのかしら!?」


「いや、これに関しては1時間半も博物館に籠っていたシエラが悪いと言いますか」


「1時間半も!? 正直まだまだ見ていたいのだけれども!?」


「じゃあ、まだここにいる?」


「やーだー! 私は清司さんとまだまだ他の所でデートすーるーのー!」


 俺は思わずこめかみを抑えながら、駄々をこねる彼女にどう声を掛ければいいものか頭を悩ませたが……それでも、そんな彼女が愛おしくて堪らない。


 ここにまだ滞在したいのは本当だが、それはそれとして別の場所に行きたいと懇願する彼女は本当にまだ幼い子供でしかなくて、本当に彼女にとってはこの一時一瞬が夢のように楽しいのだろう。


「取り敢えず、そろそろどこかで遅いお昼でも食べるか?」


「流石に寄生虫を見た後に食欲は普通湧かないわよ。馬鹿なの?」


 俺たちは何も言わずに博物館から段々と離れ、同じ方向に向かって、行き先も決めないままに歩き出した。


 無計画と言えば無計画なのかもしれないのだが、彼女と行くのであればどんな場所であってもきっと楽しいひと時を過ごせるに違いないのだから、別に行き先はどうだっていいのかもしれない。


「それは俺も思うわ。じゃあ、食事関係じゃないデートスポットと言えば……目黒川とか?」


「今は桜の季節じゃないから別にいいかしら。それよりも清司さんの行きたいところを聞かせて頂戴。一応、さっき見たガイドブックの内容は完全に記憶しているから安心して言いなさいな」


「俺の行きたいところ?」


 俺が思わずそう聞き返すと、彼女はそうよ、と勝ち気そうに言ってみせた。

 確かに先ほどの博物館は彼女の要望であったのだから、今度は自分の行きたいところを言ってみろというのは実に彼女らしい。


「そうだなぁ。いや、とてもデートに行くような場所じゃないから俺はいいや」


「ふふ、寄生虫の博物館に行った私の前で言うなんていい度胸ね。……で? それは何処なの? 面白そうだから言ってみるだけ言ってみなさいよ」


 彼女にそう言われた俺は遠慮することなく、行ってみたいところを口にしてみると、シエラは意外そうな顔色になったが、すぐさま余裕そうな表情を浮かべてみせたのであった。




━╋━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

 



「意外も意外よ。まさか清司さんが雑貨屋さんに行きたがるだなんて」


「言うほど意外か?」


「だって、そういう拘りとか無さそうだったし」


 俺たちが今現在足を踏み入れているのは1階が雑貨販売スペース、2階がカフェスペースとなっている中目黒駅の南口から徒歩数分ほどで辿り着く雑貨屋であった。


「ふむ、旅行用向けの商品がたくさんあるわね」


 彼女はあまりこういうお店に行かないのか、とても興味深そうに陳列されている商品たちをまじまじと見つめていた。


「そうなんだよ。いつの日かシエラと一緒に旅行に行けたらな……って思ってな」


「良いわね。うん、凄く良い。実を言うと、私、旅行した事がないのよね。だってほら、私の家って家族仲が色々と終わっていたから」


「……」


「……ちょっと。申し訳なさそうな表情をしないで」


「いや、だって、これは流石に俺が一方的に悪すぎるし……」

 

「なら今度の期末試験が終わったら、どこか適当な所に旅行でもしましょうか。はい決定」


 そう一方的に決めつけて、彼女は踊るように陳列されている商品の元に移動した。


「ふぅん……? とっても意外なのだけど文房具があるのね。派手なデザインから無骨なデザインまで多種多様。あぁ、でもそうね、旅行するのなら筆記用具はある意味欠かせないのかしら。スマホで写真を撮ったり、目に焼き付けるのもいいけれど……うん、敢えて文字に書き起こしてみるのも悪くないのかもしれない」


 うんうんと頷きながら、シエラは吸い込まれるように文房具のコーナーへと足を運ばせ、買うとしたらどのデザインにしようかしら、だなんていう独り言を発してしまう程度には夢中になっていた。


 俺も取り敢えず、端から商品を見ていこうと目を動かすと様々な革細工に、牛革製のカバーで包まれた手帳に、ボールペン、ペンケース、クリップなどが陳列されているのだが、やはり俺の目はどうしても彼女の方を向いてしまうのだ。


「……」


 彼女は本当に子供のように目を輝かせながら、せわしなく左右に顔を動かしていた。


 確かに彼女は基本的に勉強を必要としないほどに地頭がいいし、記憶力に関してはもはや超人的でさえあるが、だからといって知的好奇心がないという訳ではない。

 彼女は超人的な知能と記憶力を持っているだけの、どこにでもいるような普通の女の子なのだ。

 

「……あ」


 シエラはそう言葉にしては、店の一角で足を止めて、机の上にある商品を興味深そうに覗き込んでいた。

 俺も彼女が何を見ているのかで興味を持ったので、彼女の視線の先を見てみると、そこにあったのは銀色の無難なデザインをしたシャープペンシルがそこにあった。


「どうした。それに興味があるのか?」


「興味というか……まぁ、別に。これなら学校でも普通に使えそうだなって思って」


「あぁ確かに。これぐらいの無難なデザインの方が学校でも使えそうだ」


「そうね、明日の期末試験でも使えそう」


「……どうだ? それを明日の期末試験のお守りとして買ってみるのは」

 

 俺がそう提案すると、彼女はとても意外そうな表情を浮かべて、こちらの顔をまじまじと見つめていた。


「いや、シャーペンよ? お店の中でこういうのも何だけれども、それぐらいなら学校の購買部やコンビニで買えば事足りるじゃないの」


「いやいや、シエラは分かっていないな。俺はあくまでお守りとして買うのはどうかって提案しただけだぞ? 機能性は二の次。そう言えばあの日にこれを買ったなぁ、あの日みたいなデートをまたする為にもテストを頑張ろう……って気分にする為のお守り」


「……なるほど。興味深い考えね、それは」


「だろう?」


「記憶をする為に買うのでなく、記憶を思い出す為だけに買う起因、か」


「あぁ。この前、シエラは期末試験で自分の本当の成績を人に見せるのが嫌だって言っていたよな? 小テストならまだしも、期末試験を嫌がる理由を色々と考えてみたんだが……やはり順位付けされるからだよな?」


「えぇ、そうね。当然全教科で満点なんて叩き出してしまえば、学年の掲示板に堂々と自分の名前が貼られてしまう。普通の人なら自分の努力が実って楽しいでしょうけれど……私の場合はそうではなかった」


「……」


 彼女の過去は何度か聞いている。

 彼女は余りにも勉強が出来過ぎたからこそ、いじめられてしまったという過去を。

 そして、その出来事が未だに彼女の後ろ髪を引いているという事も。


「ねぇ、清司さん。私は臆病だけれども……変われるのよね。だって私は清司さんと出会えて変われた。清司さんの恋人になって変われた。……だから、今度も変われる、よね……?」


 シエラはとても不安そうな瞳でこちらを見つめていた。

 彼女の過去を知っていなければ簡単に変われると答えただろうし、彼女の過去を知っているからこそ簡単に変われるだなんて口に出しては言えない。


 けれども、俺は彼女の過去を知った上で、彼女のパートナーとして、彼女が意味を違えないように、慎重に言葉を選びながら言の葉を紡いだ。


「変われる。だって、俺もシエラと出会って変われたんだ。人は変われる。変わりたくなくても変わってしまう生き物だ。だからこそ、なりたい自分になってしまえばいい」


 俺がそう言うと、無言で何度も瞬きをしてはそのシャープペンシルと俺の顔を交互に見入る彼女の姿がそこにあり、そして彼女は意を決したように絞り出すように声を発した。


「……そうね、なってしまおうかしら。私のなりたい自分に。先輩が思わずクールだって褒め称えてしまうぐらいにかっこよくて、余裕で全教科満点を取ってしまうような天才美少女で、清司さんの隣に堂々といる私に」


 そう自信満々に答えてみせた彼女は机上に置かれていた銀色のシャープペンシルを1本ではなく2本手に取ると、まるで挑発するかのような視線でこちらを一瞥してきた。


「買うわ。だけど、1つだけお願いがあるの」


「何だ?」


「どうせなら、お揃いにしましょ。私だけがこんな素敵な記憶を独占するだなんて、ズルいでしょ?」


 そう言って彼女が笑うと、財布を取り出そうとする俺を置いて、先にレジで会計を済ませ、ばつが悪そうな表情を浮かべている俺を覗き込んではニヤニヤとサディスティックに笑っていた。


「あら、もしかしてかっこいいところを彼女に見せたかった? でも残念、もうかっこいいところを見るのはお腹いっぱいなの。これ以上はもう入らないわ」


「いや、でも、さぁ……?」


「ふふっ、清司さんもまだまだ子供ね。でも、そんなに財布のお金を使いたいのなら今度の旅行で使わせてあげるけど?」


「いや、その、それはそれで、程々にお願いしますね……?」


「そうそう、清司さんはもう忘れているかもだけど、テストで満点を取ったらご褒美に清司さんが……いえ、先輩が私の言う事を聞くっていう制度、まだ廃止されてないから。良かったわね、先輩。財布を使う機会が増えたわね?」


「……勘弁してくれよ、本当に」


 そうは言いつつも、明日行われる期末試験が楽しみで楽しみで仕方がなかった俺たちなのであった。




━╋━━━━━━━━━━━━━━━━━━━




「それでは――期末試験、開始」


 テストの始まりを告げる教員の声が静寂だった教室に響くのと同時に、周囲からテスト用紙がめくられる音が続いて聞こえてくる。


「……」


 私は、深呼吸をする。

 机の上には、昨日のデートで雑貨屋さんで買った銀色のシャープペンシルがある。

 今、私の教室の上にある3年生の教室で、私は別々の問題とはいえ清司さんと一緒に、清司さんと同じペンを使って、テストを受けている。


 その事が、とても心強かった。


「……」


 私は心の中で先輩の名前をもう一度言って、周りから一足遅れて裏表が逆になっているテスト用紙を裏返して、問題文を一瞥し、銀色のシャープペンシルを握った。


 やはり、私の掌には周囲とは違った意味で冷たい手汗が流れていたが、それでも私はその不安を押し殺すように手汗を握り潰す。


 ――先輩を信じよう。

 ――先輩と一緒に居続けて成長した私を信じよう。

 

 そう心に決め、まず最初にテスト用紙の名前を書く項目に自分の名前を記入する。


「……ふっ」


 私は敢えて、いつの日の小テストでやらかした『首藤シエラ』だなんて名前を書いて、自分と先輩との繋がりを文字で確認する。


 このテストが終われば、これから何回もあるテスト達を乗り越えれば、私は先輩と同じ苗字になれる筈だと、心の中で信じては1人で声にも出さずに笑う。


 とっても名残惜しいけれども、首藤という苗字を消しゴムで消して、再び銀色のシャープペンシルを握りしめては山崎という苗字を書き足して、5分足らずで全ての解答という解答を正解だけで埋め尽くした。


(――簡単。本当に簡単。嫌になってしまうぐらいに簡単ね、私って)


 このテストで満点を取ったら清司さんからご褒美を貰えるだなんていう浅ましい思いで、私は大人げなく全力を出しつつ、過去のつまらない自分を簡単に乗り越えてやったのだ。

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