甘え上手な銀髪後輩様の再試験

「……へぇ。やるじゃない先輩。まさか私が作った問題を全て正解しただけでなく、制限時間も余裕だなんて」

 

 彼女が手書きで作ってくれた問題用紙に実に気持ちいいボールペンが大きく弧を描く音が俺の自室内で響きまわる。


 勝気そうに言いながら『よくできました』だなんていうメッセージと花丸を描いてくれた山崎シエラであるのだが、そんな彼女の表情はまるで自分の事のように嬉しそうな満面の笑みであった。


「実に解き甲斐がある良問だらけだったけどさ、全部初見だったのは正直言って頭がパンクしそう。死にそう」


「当然。今回の先輩の期末試験の範囲に入りつつ、日本有数の難関大学入試の過去問をモデルにしつつ、私が監修しアレンジしたオリジナル問題なのだから。……まぁ? それを全て解いてみせた先輩も凄いのだけど?」


 褒めてあげましょう、だなんてまるで女王様のような台詞を口にしつつ、今にもご褒美と称してキスをしたいのか、やけにソワソワしている教え上手な彼女である訳だが……まぁ、かくいう俺も彼女とのキスがない生活なんてとても想像できないので、俺たちは悪い意味でも良い意味でもキス中毒者なのであった。

 

「さて、では今日はこの辺りでお終いにしましょう。まだ金曜日の夜とはいえ頭の休憩は必要不可欠よ」


「えー? まだ夜の11時だろ? 俺、いつも深夜の3時まで勉強してるんだけど?」


「はっ、呆れた。生活リズムを怠るようであれば受験成功なんて夢のまた夢。いい? 受験勉強の本番でいったいどれだけの受験生がベストコンディションを維持できていると思う? ほぼ皆無よ。そんなバッドコンディションの状態で人生の桶狭間でもある受験なんてやらせてみなさい。もれなく全員爆死するわよ。というかしてるのよ」


 まるで大学受験をしてきたかのように語ってみせる彼女であるが、シエラはまだまだ高校2年生であるのにも関わらず、塾で東大模試を全教科満点を叩き出してしまうほどの大天才なのである。


 受験という実績はないとはいえ、それでも彼女の教える能力の高さに俺は思わず舌を巻いていた。


 というのも、俺は以前勉強が出来ないフリをしていた彼女に色々と勉強を教えていたのだが、そんな俺の授業はなんとレベルが低かったのだろうかと驚きを覚えるほどのレベルの授業を年下ながら披露してくれたおかげで、俺の学力は目に見えて向上していたのである。


「……それに受験勉強ばっかりだったら私と一緒にいれる時間が……」


「なくなるの?」


「――は?」


「なんでもありません、ごめんなさい」


 ふん、と鼻を鳴らしながら可愛らしくそっぽを向く彼女であるのだが、先ほど俺に見せてきた彼女の瞳はとっても可愛いとは思えないものであった。


 具体的に例えるのであれば、そう、あれはサジェストに『怖い』だとか『人殺し』だとか色々と出てくる海獣界最強最悪の生命体であらせられるミナミゾウアザラシの無邪気さと狂気に孕んだあの目にそっくりで――。


「――痛い!? なんで急に足を踏んづけるの!?」


「理由? 先輩の態度にムカムカしたからだけど。まさか先輩は彼女である私の瞳をミナミゾウアザラシだとか思ったりしてないわよね?」


「何故分かった!?」


「あら図星? ふっ、当然でしょ。だって私は貴方の彼女だからよ――って許す訳ないでしょ、このボケナスゥ!」


 そう言いながら彼女は俺の胸の中に飛び込むと、ペチペチと可愛らしく俺の腹筋を握り拳ではたくように何度も叩いたのであった。


 当然ながら。

 全く痛くないどころか、気持ちよかったまである。


「全く、どうしてこんなか弱い美少女にあんな動物の想像をするのやら。先輩の馬鹿さ加減には本当に嫌になります。すごい馬鹿だから反省しなさい馬鹿。分かりましたかこの馬鹿。じゃあ仲直りのキスをしましょうか、はいキス」


 そうしてキスをねだってきた彼女と軽くディープキスをして、俺たちは再び仲良しの恋人同士になった。


「……んぅ。名残惜しいけれど、私はそろそろ歌乃ちゃんの部屋に戻らなきゃ。欲を言えば先輩の部屋で一緒に寝たいのだけど」


「いや、流石に恋人とはいえ俺たちはまだまだ学生だからな。学生の本業は全うしないと」


「そうね。それにどうせ2年後にはお互いに同じ大学に入っているでしょうし、そういう事はその時に、ね」


 まるで魔性の女のようにそう笑ってみせる彼女であるのだが……よくよく考えてみれば、そもそも1日にディープキスを20回以上はやったり、一緒にお風呂に入ったりとか、夜の11時に異性の部屋にいるだとか、そういう事をしている時点で俺たちは世で言う所の普通の恋人関係でないのではという疑問を1人で胸に秘める俺なのであった。


「……また何かいらない事を考えてはないでしょうね?」


「まさか、全然考えてない。そんな事よりもシエラが俺の勉強を見てくれて助かるんだけど、シエラの方は自分の勉強は大丈夫なのか?」


 話題を無理やりに変えるべく、俺はそんな話題を彼女に投げかける。

 というのも、この金曜日と土曜日に日曜日を終えた先には、あの期末試験で待ち受けているという事実は高校2年生である山崎シエラも同じ事なのである。


 彼女は昨月色々とあって病院送りにされた所為で中間試験を受けておらず、6月に行われる期末試験の点数で5月の中間試験を見込み点と見なすという制度のおかげでギリギリ救われていたのであった。


「……大袈裟。むしろ、3年生である先輩の方が心配よ」


 彼女は嘆息しながらそう言ってみせたが、確かに期末試験の役割は生徒たちの学校内での成績を決定する為のものであり、当然ながら良い点数を取った生徒は受験で大きなアドバンテージを得られることだろう。

 中高生1・2年であったのなら、何をたかがテスト如きにと思うのかもしれないが、中高生3年生になってしまえばそうは言ってられない。


 ……いるのだ。

 範囲が決まっている期末試験は努力で何とか出来るけれども、範囲が広すぎる実力試験では良い結果を出せないだなんていう人間が。

 言ってしまえば期末試験とは、努力はしているのだけれども実力試験で良い点数を叩き出せない生徒を救ってくれる為の通知表の成績を上げてくれる数少ない機会であり、勉強が苦手な受験生の駆け込み寺のような存在なのである。


「いやいや、こう見えてもいつも学年1位なんだけど俺。だからこそ、俺としてはシエラの方が心配なんだよな」


「はっ、私は大天才にして誰もが羨むような超記憶持ちよ? 勉強もしないで全教科満点なんて当たり前。むしろ、勉強をしない方が丁度いいハンデよ」


「いや、そういう話じゃないんだ……シエラは本当に、つもりなのか?」


 俺がそう問いかけると、シエラは厳しい表情を浮かべて黙りこくってしまった。

 といっても、彼女の表情が曇ってしまう原因は彼女の頭が悪すぎることなどではなく、むしろその逆……


 彼女の実力であれば、高校2年生の試験で全教科満点なんて本当に文字通り簡単なのだろう。


 実際、彼女は幼い時からその高い学力を周囲に披露し――迫害された。

 だからこそ彼女は頭の良い自分を隠して、高校生活を送り、自分が馬鹿であるという嘘を1年続け、そしてようやく勉強が出来なくて頭の悪い山崎シエラとして俺に近づいてきたのだ。


「……正直に言うと、お風呂場で話した通り怖いわね」


 それは怖くて、当然だろう。

 いや、俺なんかが彼女の苦悩を知ったつもりになるのもおかしい。

 彼女の苦悩は彼女だけのものであり、彼女という人の在り方や人生観を捻じ曲げてしまうぐらいには恐怖の対象であったに違いないのだ。


「まだ小学1年生の時だったかしらね。なんでもすぐに覚えられる超記憶の事を塾に通っていた親友だと思っていた子に話してしまった事があったの。何て言われたと思う?」


「……」


1、って言われたわ」


 くすくす、とまるでおかしそうに笑う彼女であったが、俺はとても笑えなくて無言を貫き通していた。


「幼稚園の時から忘れられないぐらい色々あったけれども、あれが一番効いたわね。勉強が出来る人間が特に勉強していないと言ってしまうぐらい……いや、あれよりも質の悪い解答をしてしまった私が一方的に悪いだけなのだけれども。でも、親友だと思った子にあんな目で見られるのは流石に傷ついたわ」


「……辛く、ないのか」


「先輩は何度も見たホラー映画をいちいち初見のように怖がるの?」


 それはあまりにも酷い話だった。

 要するに彼女は恐怖を克服したのではなくて、恐怖に対する感受性を意図的に麻痺させて……いや、壊しているだけなのだった。

 何度も何度も忘れられない記憶を見せつけられる事を永遠に繰り返されるから、その映像記録を見せられた際に最小限の被害でいられるように自身の感情を磨り潰していたのだ。


 気持ち悪い、ずるい、卑怯だ、と過去のトラウマから言われても彼女は幼稚園の時から自殺しようとした中学校1年の時まで無視し続けてきたのだ。

 いや、もしかすると彼女は今までずっと、俺と恋人になる事を決めたあの日まで、感情を磨り潰し続けていたのではないのだろうか?


「そんな悲しそうな表情をしないで。これは私だけの問題で――」


「――違う。これは俺たちの問題だ。死ぬまで一緒にいる2人の問題だ」


 彼女の言葉を遮って、そう口にした俺に対して意外そうな表情を浮かべて瞠目していたが、柔らかい笑みを浮かべては「いざという時には頼りにさせてもらうわ」だなんて、手短にクールに言ってみせたのであった。


「思えば、そうね。これは最初から私たちの問題だったわね。ねぇ、先輩は私たちの最初の勉強会の事を覚えてる? まだ4月で、私が意図的に4月の実力試験の全教科全てを30点以下を取った時の勉強会」


「……あぁ、覚えているよ。だって、それが俺たちの初めての勉強会だったからな」


「じゃあ、これも覚えてる?」


 そう言うと、彼女はこほんと咳払いをした。


「――じゃあ、先輩。次のテストで満点取ったらご褒美に付き合いませんか?」


 実に1ヵ月ぶりに聞いた彼女の猫撫で声をこうして聞くのは何だか久しぶりで、本当にその声そっくりそのままに発音してみせたシエラに対して俺は思わず笑ってみせた。


「冗談。もうとっくに付き合ってるだろ?」


「あら。私の人生に付き合ってくれるだなんて、貴方って本当に最高の馬鹿ね」


 彼女はすっかりといつも通りの口調と声音に戻って、いつもやるような罵倒を俺に投げかけては、幸せそうに笑ってみせた。


「シエラが不安になるのも仕方ない。だが、今回ばかりは大丈夫だ」


「あら、それはどうして?」


「だって、学年1位を取り続けたこの首藤清司が勉強を教えたんだ。シエラが全教科で満点をとっても、で周囲は納得せざるを得ないからな!」


 俺がかっこよくそう言うと彼女は何度も目を瞬きさせると、ついには噴き出した。

 幸せそうに「馬鹿なんじゃないの」と呼吸をするのが難しくなるぐらいに笑いながら、何度もその言葉を俺に向かって口にして、とても眩しい笑顔を見せてくれた。


「あぁ、次のテストが本当に楽しみ! こんな気持ちは産まれて初めてよ! この馬鹿!」


「それはどういたしまして。ついでにもう1つ提案があるんだけれども」


「へぇ、何かしら?」


「ご褒美、先払い制にしてみないか? ……つまり、その、なんだ。明後日の日曜日にどっか出掛けたりとか……その、デート……しないか?」


 俺がかっこ悪くそう言うのだが、彼女は笑うだなんて事をせずにクールに俺の提案を受け入れてくれた。

 

「喜んで。とはいえ、あまり羽目を外さない程度に初デートを楽しみましょうか。例えば、そうね。どっかのファミレスやハンバーガーショップに3時間居座って勉強するっていうのも悪くはないわね」


「え、そんなのでいいの?」


「まさか夜景の見える高級レストランでも考えていた訳? はっ、夢見がちな馬鹿なのかしら。いい? 私たちはまだ高校生よ。だったら、高校生ならではの楽しみ方っていうのがあるでしょ。無理に大人ぶらないで、貴方は貴方のままでいいの。私はそんな馬鹿な貴方が大好きなんだから」


 彼女は最高にクールにそう言い放って、流れるように俺と数分間もディープキスを楽しんで、じゃあまた明日と言い残して俺の部屋から去ったのであった。




━╋━━━━━━━━━━━━━━━━━━━




「ねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇ歌乃ちゃん歌乃ちゃん歌乃ちゃん歌乃ちゃん歌乃ちゃん歌乃ちゃん歌乃ちゃん歌乃ちゃん歌乃ちゃん歌乃ちゃん歌乃ちゃん歌乃ちゃん歌乃ちゃん歌乃ちゃん歌乃ちゃん歌乃ちゃん歌乃ちゃん歌乃ちゃん!!!」


「……うぅ、起こさないでよ……」


「夜の12時よ! もう遅いわ! 早く寝ましょう!」


「……いや、何で寝ている私を起こした……?」


「その前に……えへへ……! 少しだけ話をしてもいいかしら! 本当にちょっとだけだから!」


「……うわ、これ絶対3時間は一方的に話されるヤツだ……カップルできたリア充どもは揃いに揃って連絡ツールで聞きたくもない惚気を一方的に投げかけるアレだ……」


「ねぇ歌乃ちゃん聞いてる?」


「……うん、聞いてるよ。ぐっすり寝ていたっていうのに無理やり起こされて聞かされているよ。眠い目を擦りながら聞いているから少しは黙ってくれないかなシエラちゃん……」


「あのねあのね! 先輩がね! 今さっきね! 先輩がね! 私とね! 今度の日曜日にね! デートしようって! 言ってくれたの!」


「……へぇ、よく分かんないけどそれは凄いね――は? 初デート? 今まであんなにイチャイチャしていた癖に? あんな性に溺れた爛れた大学生カップルみたいな事をずっとしていた癖に? いや順序おかしすぎでしょ? 恋愛観バグってるの? いい、シエラちゃん? 普通のカップルはディープキスを1日に20回もしないよ? ディープキスとか実質アレなんだよ? 当たり前のようにお風呂に一緒に入らないんだよ? そんなの実質そういうプレイなんだよ?」


「えへ、えへへ、ふへへ……! デート……! 先輩とのデート……! ふひ、ふひひっ、ふへへ……!」


「なんで普通のデートの約束をしただけでそんな幸せそうに笑えるのかなぁ!? いいなぁ!? 理解のある彼がいてくれて羨ましいなぁ!? そんなシエラちゃんが大好きですよはい! さっさと幸せになれやバーカ!」


「ふひひ……! 私はもうこれ以上ないぐらい幸せになってるわよ歌乃ちゃん! という訳で後7時間ぐらいは付き合ってもらうわよ! 取り敢えず、日曜日に私が着ていく服の話をしましょう! ね! ね! ね! これだったらどっちの服が良いかしら!?」


「なんで期末試験勉強で疲れている私を期末試験勉強に関係ない事で徹夜させてこようとしやがるんですかね、この恋愛脳スイーツは――!?」

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