そして、誰もいなくならせない

@HoshiStar

Chapter.1「That past tense is no longer past tense」

Episode.1「How did you know that」

 不登校か保健室登校ほけんしつとうこうの生徒が、同じクラスにいるらしい。その事実を知ったのは、意外にも入学式が始まる前のことだった。

「それでは皆さん、整列して、体育館に行きましょう」

担任と思しき老齢ろうれいの女性教師が、初々しくクラス全体に呼びかける。まだ「はい」とも「おいーす」とも返せる人はいない。緊張がクラスの空気を支配しているからだ。


 教師の一声で、今日からクラスメイトになる彼らがガラガラと教室を出ていく。僕も浮きたくなかったから、漫然まんぜんと彼らの群れの中に紛れ込んだ。まるでポーの『群衆の人』みたいに。果たして今の僕は、『罪悪の典型にして権化』だろうか。


 移動しながら残された教室を一瞥いちべつすると、ふと一台の机が目に飛び込んでくる。教室の角にポツンと、まるで隔離かくりされたように置かれている机だ。椅子がひかれた形跡けいせきもなく、スクールバッグも置かれていない。


――あぁ、事情があって教室に来られない生徒がいるんだな。


 僕はその光景を見たことがあった。つい数か月前まで在籍ざいせきしていた中学校、その教室にも同じような机があったのである。

 要するにそれは、不登校ないし保健室登校ほけんしつとうこうの子のための机だった。いつも空いているから、ああしてすみに置いておくのである。誰かの席の間にあると、プリントの受け渡しやグループ学習の時に不便だから。


――どんな子なんだろうか。どうして教室に来られないんだろう。家庭の事情か、それとも本人の都合かな。


 体育館での入学式。校長先生の言葉や先輩の言葉が流れている時でさえ、僕はそんなことをずっと考えていた。彼らの言葉を右から左に流して。入学式のもろもろの挨拶は、作業用BGMとしては60点くらいだったと思う。


「それでは、高校3年間を全力で駆け抜けてください」

校長先生が最後を締める。カッコいい言葉だな。素直に僕はそう思った。




 みんなで教室に戻ると、さっそくグループが出来上がり始めていた。それぞれが、誰と友達になるか試行錯誤しこうさくごしているのだ。

 僕も誰かに話しかけなきゃ。そう思って周りをキョロキョロしていると、後ろから声をかけられる。野太のぶとく力強い、男子の声だ。

「あのー、その眼鏡おしゃれだね」

振り返ると、そこにいたのは大柄で筋肉質の男の子だった。僕みたいな文化系に話しかけるなんて、スクールカーストとかあまり気にしない人だな。


 パッと彼の全体像を見る。体が大きいことに加えて、制服もとても大きい。3年間分の成長を見越してのことだろう。スクールバッグはすでに汚れている。中学校から使い続けているんだな。上履きも微妙に黒ずんでいる。あまり経済的に余裕がないのかもしれない。

 体格から判断するに運動部系だと思ったが、どうやら最初に話しかけたのが僕らしいことを見ると、運動部グループに所属する予定はないのだろうか。足でも怪我しているのかと思ったが、普通に直立しているのを見れば、その仮説も否定される。運動部に入ることよりも、優先順位が高いことがあるに違いない。


 彼の制服とバッグのことを考えれば、それはすぐに分かった。アルバイトだ。さっそくアルバイトを始めて、生活費の足しにしようとしているんだ。

 そうだとすれば、彼は運動部に入れない。そのうえで体つきの良い男子に話しかけず、僕とつるもうとしているのは何故か。彼が、運動部に誘われると断れない、友達想いの性格だからだろう。僕に話しかけてくれたのも、僕がまだ一人でいたから、というのもあるかもしれない。優しい人なんだな。


「俺、ハルカゼ。春の風と書いて春風。下の名前は、grassの草と書いてソウ。ハルカゼソウ。よろしく」


 春風草はるかぜそうくん。なんて爽やかな名前。友達になりたいな、と素直に思う。

 しかし、そんな純朴じゅんぼくな感想とは裏腹に、僕の脳みそはまるで壊れた車輪のように回り続けた。


 経済的余裕がないのに、彼のガタイがかなり良いのはなぜか。おそらく成長期が終わるまでは、たくさんご飯を食べたくさん運動できる環境だったのだ。つまり、経済的に余裕がなくなって彼がアルバイトをしなければならなくなったのは、きっと最近――ここ数年のことだ。

 ご両親のいずれかが働けなくなったのかもしれない。しかしそれなら、アルバイトではなく介護に回るだろう。きっとそれ以外の理由があるんだ。収入が減ったのではなく、出費が増えた理由があるに違いない。


 もう一度彼を観察する。すると、武骨な彼の持ち物の中で、唯一かわいいものが見えた。スクールバッグについた、ピンクのお花型のストラップだ。その正体は、彼が僕に話しかけることで見せた面倒見の良さと併せて考えれば、すぐに看破できた。


「妹さんは、今3歳くらい?」

 気がつけば、僕の口から出た言葉はそんな唐突で、無機質で、そして失礼なものだった。


 え、と目を丸くする春風はるかぜくん。僕はとたんに、自分の愚行を恥じて顔を赤くした。

「ごめんね、変なことを突然聞いて。春風草はるかぜそうくんだよね。ハルカゼソウくん。素敵な名前だね」

 出来るだけ平静を装う。この高校に同じ中学出身の子がいない僕にとって――あえてそんな高校を選んだのだが――最初からクラスになじめないことはすなわち死を意味するのだ。


 春風はるかぜくんが、少し怪訝けげんそうに聞いてきた。

「えっと、名前は?」

 あわてて応答する。

「僕は、ナツヨホタル。夏の夜にひらがなでほたると書いて、夏夜なつよほたる。仲良くしてくれると嬉しいな」


 しばし沈黙が走った。嫌われたか、変な人だと思われたかもしれない。スタートダッシュを間違えた。


 と思ったのだが、彼、春風はるかぜくんが示した反応は、意外にも好意的なものだった。

「すげーな、ほたる君。あと4か月くらいで3歳になる妹がいるんだよ。なんで分かったの!」

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