ねえ……
生田英作
ねえ……
どうして、こんなことになっちゃったんだろう?
ぼくは、鬱蒼と茂る雑木林の下の濃い陰に目を凝らしながら、
それでいて──
なるべくそこを見ないように、
なるべくそこを見ないようにしながら歩いていた。
(誰も……いないよね?)
陰って来たといえまだ十分明るい七月の空。
なのに──
五メートルほど先の道路脇に見える薄暗い雑木林。
その大きくせり出した枝の下にある一メートルほどの高さの石碑とそのすぐ隣に立つ赤い布を首に巻いたお地蔵さまは、濃い陰の下でまるで蹲るようにして、じーっと前を見つめていた。
下校時間だと言うのに誰もいない通学路。
しーん、と静まり返った住宅街の坂道をランドセルの金具のカタカタと言う音とぼくの息の音だけが響いていた。
──あと二メートル。
(朝行くときは、いなかった……)
だから……
ぼくは祈るような気持ちで石碑とお地蔵さんの前へ。
どくん、どくん、というぼくの心臓の音とランドセルの音。
石碑とお地蔵さんの前を通り過ぎた。
チラリと横目に見た石碑とお地蔵さまは前を向いたまま、不気味なほどに静まり返っている。
(よかった……誰もいない)
……よね?
三メートルほど歩いたところで、ぼくはそっと肩越しに振り返った。
と──
(………)
喉が、きゅうと鳴って背中から両の二の腕に掛けて冷たい感触がざわざわと広がって行く。
(いる……)
今日も──
(やっぱり、いる……)
石碑とお地蔵さまの間からこちらを見つめているお下げ髪の女の子。
全体的に色調の薄いその姿。
七月だと言うのに、厚ぼったい紺色の上着とその下の灰色のワンピース。
青白い顔と虚ろな黒い瞳。
女の子は、じーっとぼくの方を見つめている。
(────っ!)
ぼくは、堪らず走り出した。
まさか、今日もいるなんて……。
ぼくが走りながら恐る恐る肩越しに振り返る。
と──
女の子が「ゆらぁーり」と石碑とお地蔵さまの間を通り抜けて道路に出て来て……一端立ち止まると首を傾げてぼくを見た。
そして……
『ねえ……』
微かに聞こえた声。
女の子は、呟きながら一歩、また一歩。
ぼくの後を追って歩き出す。
徐々にスピードを増していく女の子の足取り。
全身の毛が逆立って、走っている足が思わずもつれそうになる。
(うわあああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!!!)
ぼくは、全速力で通学路を転げるようにして家へとひた走る。
体中から冷たい汗が噴き出して来て、みぞおちの辺りに「ずーん」と重くて冷たい感触が満ちて行く。
息が苦しい。
ぼくは、絞り出すようにして呻いた。
つい最近まであの石碑は、通学路の中の当たり前の景色の一つでしかなかった。
ただの交通安全の碑でしかなかった。
隣に立っているお地蔵さまだって、ありきたりのいつもの風景でしかなかった。
一年生の頃から今日までずっと。
なのに──
それなのに……。
(どうして……)
どうしてこんなことに……。
それは、先週の金曜日のことだった。
梅雨開け間近の薄曇りの空と湿り気を帯びた空気に満ちた通学路。
でも、ここ数日降り続いた雨がようやく止んで、ぼくたちはすっかりご機嫌だった。
「ね~、先にお菓子買いに行こうよぉ~」
デブの
ぼくももちろん笑った。
康太、昴、雄大、ぼく、幼稚園から一緒のこの四人で遊ぶのは久しぶりだ。
それぞれ家の方向が違うのはもちろんだけど、ついこないだまで康太が足首を骨折してギブスをしていたし、昴は六年生になってからは毎日のように塾。
雄大も去年学校の裏に引っ越して家が遠くなってしまって、それまでみたいに毎日のように遊ぶことはなくなっていた。
だから、こうやって四人で一緒に遊ぶのは本当に久しぶりだった。
何して遊ぼう。
(せっかく、四人集まったんだし……)
うーん……。
ずっと考えていたけど思いつかなくて、結局、ぼくの部屋で遊ぼう、って話になった。
曇り空もなんのその。
康太が、「腹へった~」と元気よく歌い出すとぼくたちも別にお腹は空いていなかったけど一緒に歌い出す。
はーらへったー、はらへったー♪
いつも一人で帰るこの通学路も四人だとやっぱり楽しい。
と……
康太の声がぴたりと止まった。
「?」
康太の顔を覗き込むと数メートル先の道路脇を見つめて康太は顔を引きつらせていた。
康太の視線の先にあったのは、石碑とその隣の一体のお地蔵さんだった。
「?」
雄大も首を捻ると昴がメガネを拭きながら肩を竦めてみせた。
「康太苦手なんだよ、あーいうの」
「あーいうの……って?」
「え? まさか、あの交通安全のヤツが?」
雄大とぼくが顔を見合わせる。
(康太が……)
まさか、あの康太が──
石碑とお地蔵さんが──
(こわい……って?)
徐々に近づいて来る石碑を見つめて康太が珍しく神妙な顔をしていたのが、ぼくらにはどうにもおかしかった。
と言うのも、康太はおふざけが過ぎて先生にしょっちゅう叱られている常習犯だからだ。
一年生の歩き遠足に始まって二年生の校外学習、三年生と四年生の時の社会科見学、そして、去年行った林間学校でも、いつも康太は隅っこの方に連れていかれて先生に叱られていた。
その康太が──。
「………………」
ぼくたちは、一様に足を止めて目の前の石碑とお地蔵さまを見つめた。
四角い台座の上に載せられた一メートルほどの高さの石碑とその隣の小さなお地蔵さま。
苔むして相応の年月に風化した石碑とお地蔵さまは、訪れる人も無いのか、台座やその周りに古い落ち葉が積もって、生い茂った夏草に飲み込まれそうになっていた。
でも、なによりもその周囲を取り囲むように鬱蒼と茂る雑木林──。
奥もろくに見えないほど生い茂った木々が不気味に静まり返って、その張り出した枝が作る濃い陰の中で忘れられたように佇む石碑とお地蔵さまは、なにか物言いたげな感じに見えてそのやさし気な表情さえもどことなく不気味だった。
確かに康太が怖がるのも不思議ではない気がした。
いや、ぼくらも十分怖かった。
こんなにまじまじと見るのも初めてだったし。
けど……。
一瞬、黙り込んでしまったぼくらだったけれど、雄大がそんな沈鬱なムードを吹き飛ばすかのようにニヤリと笑ってぼくと昴を見る。
そうだ、そうだ。
確かにこれを怖がっているのが他のヤツならともかく、あの康太なんだ。
ぼくも雄大と顔を見合わせてニンマリと笑った。
「あれあれ、康太くぅーん?」
「どしたの、康太くぅーん?」
からかう気まんまんの雄大とぼくに康太は、丸い顔を引きつらせてプルプルと首を振る。
「いや、マジでヤバイんだって!」
「いやいや、ただの交通安全のヤツとお地蔵さまじゃん」
「お地蔵さまが、コワイのかな~?」
「だからぁ!」
康太は、目の前の石碑とお地蔵さまから必死で目を逸らしながら真ん丸な顔をさらに引きつらせた。
「父さんが言ってたんだよぉ。昔この場所で女の子が車に轢かれて死んじゃって、マジでオバケが出たから、近所の人たちがこの石碑とお地蔵さまを造ったんだ、って。だから、ここでふざけたりするとホントにヤバイからやめろ、って──」
──だから、ダメなんだよぉっ!!
顔を真っ赤にして力説する康太に「ふ~ん」とぼくと雄大。
昴がまたメガネを拭き拭きため息を吐く。
いやいや、康太がこんなに怖がるなんて……。
雄大がぼくを肘で突く。
ぼくもこっくりと頷いた。
「ふざけるっていうのは、こうかな~?」
雄大が変な顔をしてお地蔵さま相手にふざけたポーズを取る。
「ちょ! ちょっ! マジでやばいって!!」
雄大に合わせてぼくもとびっきりの変な顔で石碑へ向けてふざけてみせた。
さらに──
「「いえ~い!」」
二人でお地蔵さまの両脇で記念写真みたいにポーズ。
康太は、もう泣きそうだった。
「康太は、本当に怖がりだな」
「な~」
止めとばかりにぼくが隣の石碑の台座の隅に片方の足を載せる。
そこで昴が呆れたように首を振った。
「もう、いい加減にしろよ。遊ぶ時間が無くなっちゃうよ」
それに──
「康太も怖がり過ぎだよ。ふざけただけで呪われちゃうんなら、この辺の小学生みんなとっくに呪われてるよ」
だろ?
昴の言葉に半べその康太が、「ホントに?」とすがるように言い募る。
「ホントに……ホントにオバケ出ない?」
「大丈夫だよ。もし出たら、雄大と
「え~。ずるいぞ、昴」
「そーだ、そーだっ!」
「自業自得だね」
「ジゴー……ジト……え?」
「じごうじとくっ!」
わいわい言いつつ、ぼくらは再び歩き出す。
でも……その時だった。
ぼくが何気なく石碑へ振り向いた瞬間、
目が合った。
そう。
お下げ髪の女の子が石碑とお地蔵さまの間からこっちを見ていた。
全体的に薄い色調に青白い顔。
厚ぼったい紺色の上着とその下の灰色のワンピース。
その足元に転がった赤いランドセル……。
ぽっかりと開いた穴のような虚ろな黒い瞳が、ぼくのことをじーっと見つめている。
「…………」
お腹の底から湧き上がってくる恐怖。
背中から両の腕の辺りに向けて「じわじわ」と冷たい感触が広がっていく。
(なんだよ……あれ……)
ずっと見つめて来る女の子。
時間が止まったかのようにぼくの周りが一瞬静まり返った。
(まさか……)
あれが?
(みんなに──)
と思って一度目を逸らして、もう一度見ると──
もうそこには誰もいなかった。
(……何だったんだろう?)
心臓がまだドクドクと鳴っていた。
もし、あれが康太の言っていた女の子なら、と思うと居ても経ってもいられないような気持ちになる。
そう、あれがその女の子の幽霊なら……。
とは言え、康太の事を散々からかった手前いまさら言いづらいし……。
それに──
(見間違いかもしれない……)
そうだ、そうだ。
きっとそうだ。
ぼくは、そう納得してみんなの後を追った。
そう、来週もこれまで通り、いつも通りだと自分に言い聞かせて。
そして──月曜日。
肩越しに振り返ると──いる。
見てる。
こっちを見てる。
まだ、見てる。
いや、それどころか──
ぼくを追いかけて来る。
(もし、今日もいたらどうしよう……)
そんなふうに心配していたぼくを嘲笑うかのように。
石碑とお地蔵さまの間をすり抜けて出て来た女の子は、ぼくの後を傾ぐように左右にゆらゆらと揺れながら確実に追いかけて来る。
はぁっ! はぁっ! はぁっ!
女の子は、明らかに歩いているだけなのに。
ぼくは、全速力で走っているのに。
それなのに──
はぁっ! はぁっ! はぁっ!
それなのに、女の子とぼくとの距離が徐々に確実に狭まって来ていた。
ぼくは息を切らして必死に走る。
学校から家までは、ずっと緩やかな下り坂。
距離は歩いて十分ぐらい。
石碑のある雑木林の先の十字路を右へ曲がって、
はぁっ! はぁっ! はぁっ!
足がもつれそうになるのを必死で堪えて溺れるみたいに、ぼくは必死で走った。
(もう、少し──)
はぁっ! はぁっ! はぁっ!
あと少し──
この先の、この先の──
(カーブを曲がれば──)
はぁっ! はぁっ! はぁっ!
うっ……ぐっ!
はぁっ! はぁっ! はぁっ!
はぁっ! はぁっ! はぁっ!
はぁっ! はぁっ! はぁっ!
はぁぁっ!! はぁぁあっ!!!
はあぁぁぁぁぁぁっ!!!!
L字カーブを道なりに左に曲がって──
向かって左側、四軒目の青い屋根がぼくの家。
背後にひたひたと感じる身の毛もよだつあの女の子の気配。
最後の力を振り絞って、ぼくは突き当りを這うようにして左へ曲がると──
一、二、三──
四軒目──
ガチャンッ!!
ステンレスの白い門扉を体当たりするようにして押し開けて、玄関へ──
ドアを──
ガチャ……ガチャッ……。
(──カギっ!)
頭が真っ白になった。
(あああああああああああああああああああああああああっ!!!!!)
泣きそうになりながら、なんとかランドセルを下ろして、横にぶら下げてあるキーホルダーを、
キーホルダーを──
と、そこでふと気が付いた。
(…………あれ?)
背中に感じていたあのじっとりと冷たい女の子の気配がすっかり消えていた。
ぼくは、恐る恐る振り返って門扉の外を見る。
もう、真後ろにいるんじゃないかと思った女の子は、そこにはいなかった。
(いない……)
ほんとに……
(……いない?)
ぼくは、開けっ放しのままで揺れていた門扉をそっと押し開いて道路に出るとそっと左右を見回した。
(…………)
ざわざわと冷たい感触が体を背中から包んできて喉がゴクリと鳴る。
もう一度……
本当にいないよね?
走って来た住宅街の突き当り、L字カーブ。
道路を挟んで向かいにある団地のフェンス。
そして、道の先にある十字路──。
誰もいない住宅街は、眠ったように静まり返っていた。
(よかった……)
ぼくは、思わず道路にへたり込んだ。
(よかったぁ……)
と……
その時だった。
走って来たL字カーブの突き当り。
その角の家の塀の隅からゆっくりと何かが覗いてきた。
青白い顔とお下げ髪。
そして、虚ろな真っ黒い瞳──
あの女の子が塀の角から、じーっとこっちを見つめていた。
(うわぁぁあああああああああっ!!!!!)
ぼくは、飛び起きると門の中へ飛び込み、転がるように家の中へ逃げ込んだ。
ドアのカギだけでなく、チェーンも掛けて玄関にへたり込む。
もう、ドアスコープから外を確認してみようとは思わなかった。
あの女の子は……
あの女の子は──
(家まで付いて来た……)
全身を覆う冷たい感触と絶望的なまでの恐怖にぼくは、どうすることも出来ず、しばらく玄関にへたり込んでいることしかできなかった。
明日、どうしよう……。
校門を出たところでぼくは、左右を見渡した。
門を出て左へ行くといつもの通学路。
百メートルほど先に見えるT字路を右へ曲がれば、左手にあの石碑がある雑木林がある。
(…………)
まさか──
(──いないよね?)
喉がコクンと鳴った。
いや、迷ってはいない。
昨日、学校に行くときは、確かにあの女の子はいなかったから、今日も行きは大丈夫だろうと思った。
けど、昨日の今日……。
やっぱり、どうしてもあの石碑の前を通るのが怖くてぼくは、別の道から学校へ行った。
だから──
(帰りも……)
ぼくは、校門を出ると迷うことなく右へ、あの石碑のある雑木林とは反対方向へ歩き出す。
いつもの通学路の二倍の時間が掛かる回り道。
ぼくの家は、学校との直線距離は近いけど、家と学校の間に横に長く住宅街と団地があるせいで、左右のどっちかに遠回りしないと学校に行けない。だから、家から出て右か左、どっちかに行かなきゃいけないけど、石碑の前を通るいつもの通学路、右回りの方が左回りより確実に十分は早く学校に着ける。
なので、これまでその道を通って学校に行っていたけど……。
石碑の前を通るいつもの通学路とは、だいぶ違う周囲の景色。
曇り空の下のごみごみと建て込んだ住宅街。
同じような造りの古い家が道なりにずっと並んでいる。
でも、この道なら石碑の前も通らないし、
(周りに人が結構いる……)
いつもの通学路は、ぼく一人しか歩いていないことも多いけど、こっちの道は、思ったより結構たくさんの人が歩いていた。
年下の学年の子や他のクラスの人。
前にも後ろにも結構いる。
これなら──
ぼくは、そっと胸を撫で下ろす。
この調子で帰れば、あの女の子に会わずに済む。
追い掛けられないで済む。
そう思った。
周りを見渡してもあの女の子は、影も形も見当たらないし。
これなら……。
そう思って歩いていたら……。
道を歩いていくにつれて、前を歩いていた子たちが最初の十字路で曲がり、後ろを歩いていた他のクラスの人が、その次の十字路でまた曲がって……
一人。
二人。
また一人……。
そして──
気が付くと、道路には、ぼくしかいなかった。
白々しいほどに静まり返った住宅街。
家と家の間にひっそりと佇む、古ぼけた小さな公園。
その鏡のように静かな中をランドセルの金具のカタカタと鳴る音とぼくの息づかいだけが響いていた。
薄暗い曇り空。
ひと気のない真っ暗な家々の窓。
波打つ曇りガラスに映る歪んだ景色──。
ざわざわとした冷たい感触にぼくは思わず身震いした。
(なんか嫌だな……)
と、いう気持ちがぼくの中でどんどんと膨らんでいく。
でも、
それでも──
この道ならあの石碑の前を通らなくて済む。
それに、
(もうすぐ……)
もう左手には、ぼくの家の向かいの団地が見えている。
次の交差点を曲がってしばらく行けば、家に着く。
あと少し。
もう少し──。
相変わらず誰もいない住宅街の道路。
薄暗い七月の曇り空。
歩くスピードを少し速めて、ぼくは交差点へ。
左へ曲がって、しばらく進むと、
(見えた……)
青い屋根のぼくの家。
あと少し──。
ぼくは、さらに歩くスピードを速めて先を急ぐ。
ステンレス製の白い門扉を「キィィ……」と開けて……
(…………)
ぼくは、おずおずと周囲を見回した。
歩いて来た交差点の方向。
(誰もいない……)
反対方向、いつもの通学路のL字カーブ──
(…………)
昨日、女の子が顔を覗かせていた塀の角──
(……大丈夫)
誰もいない。
ふー、と大きな息を吐いてぼくは胸を撫で下ろした。
(よかった……)
そうだ。
やっぱり、そうなんだ。
(あの石碑の前を通らなければいいんだ……)
少し面倒だけど、明日からはこっちから学校に行こう。
そう思って、門扉を閉じてから、もう一度交差点のある方へチラリと視線を向けた時だった。
『ねえ……』
青白い顔。
じーっとこちらを見つめる真っ暗な両の瞳──
背中に冷や水をぶっ掛けられたように寒々とした感触が体全体を覆って行く。
厚ぼったい紺色の上着。
灰色のワンピース。
体温の感じられない色調の薄いその輪郭。
いる。
いる。
いる──
──いる。
さっきまで誰もいなかった道路の真ん中に。
ぼくからほんの三メートル前に。
あの女の子が立っていた。
(うぅわぁあああああああああああああああああああああああああっ!!!!!!)
ぼくは、踵を返すと一目散に玄関へ。
(あぁっ!! あっ! ああっ!!!)
ランドセルの脇にキーホルダーと一緒に吊るしたカギを何度も失敗しながら鍵穴へ差し込み、
(わあああああっ!!!!)
ドアを引っぺがす様にして開けて家の中へ。
(うわああっ!!! あっ!! あっ!!)
カギを二つとも掛けて、チェーンを──
まるで自分の手じゃないみたいにものすごい速さで手を動かしてそれを終えると、ぼくはその場にペタンと座り込んだ。
ドッ、ドッ、ドッ、ドッと心臓が激しく鳴っていた。
体中が冷たくなって全身から嫌な汗が噴き出てくる。
今日、あの石碑の前は一度も通っていないのに……。
それどころか──
(碑がある方の反対方向から……出て来た……)
まるで……
飲み込む唾も無いのに喉が動いてコクンと鳴った。
まるで──
(ぼくの事をずっと……)
みぞおちの辺りに「ずーん」と感じる重たい感触。
背中から二の腕、そして指先までを冷たい感触がじわじわと蝕んでいく。
まるで、ぼくの事をずっと──
(付けていたみたいに……)
「だから、言ったじゃんかよぉ~」
ど~すんだよぉ、海斗ぉ?
半泣きの康太のセリフに、昴と雄大も青ざめた顔で互いに顔を見合わせた。
昼休み。
ベランダの隅っこでぼくたちは、緊急作戦会議を開いていた。
あの石碑の女の子は、明らかにぼくの後をずっと付いて来ている。
ずっと、ずっと……。
もう、ぼく一人の力ではどうにもできない。
給食の時間が終わるとぼくはすぐに三人をベランダの隅へ集めて、先週の金曜日に実は女の子を見ていたことも含めて全部三人に話した。
女の子の話を始めた途端に半泣きになった康太。
雄大も昴もどんどん顔が青ざめて行く。
それでも……。
昴は、やっぱりさすがだった。
「女の子は、家には入ってこないんだな?」
「うん。家の前まで」
「でも、反対廻りの道でも──」
「付いて来たみたい……」
康太が相変わらずの半泣きで右往左往して、雄大が難しい顔で腕を組む。
ぼくは、首を捻った。
もしかすると……
「学校からずっと後を付けてたのかも……」
うーん……。
昴が唸る。
さすがは、昴。
でも──
昴もその後は唸るばかり。
相談はしてみたものの、どうにもならない感じだった。
康太が、マジでど~すんだよぉ……と呟いて雄大も黙り込む。
頭上に見える曇り空がいつも以上に息苦しかった。
と──
突然、それまで黙り込んでいた雄大が、ぽんっ、と手を打った。
「近道すればいいんじゃね?」
「……は?」
だから──
「近道だよ」
「近道?」
「そっ」
「近道って、あの校門の前の家の……」
「そっ。庭を通って海斗んちの前の団地に抜けるヤツ──」
──だって、家とか入って来れないんだろ?
「だったら、付けられる前に近道通って家までマッハで帰る」
そうすれば──雄大が、青ざめた顔のまま拳を握った。
「振り切れんじゃね?」
雄大らしい作戦だった。
でも……
昴が頷いた。
「やってみよう」
放課後
ぼくたち四人は、校門を出ると周囲の様子を窺いながらすばやく向かいにある家へ。
(おじゃましまーす)
キィ……ィィ……。
赤く錆び付いた格子状の門扉を軋ませながら押し開くと、雄大を先頭に雑草だらけの庭へと入っていく。
ぼくの家の向かいの団地からこの家の庭を通って学校へ向かう近道。
低学年の頃、時々通っていたこの近道は、その後学校に苦情が来て、それ以降使う事はなくなっていた。
だから、ここを通るのは四年ぶりくらい。
あの頃、この家には、おじいさんが一人で住んでいたけれど今はもう誰も住んでいないらしい。窓は、雨戸が固く閉じられていて、人の気配は一切ない。
どんよりとした空気が淀む庭をぼくらは、家の周囲に沿って裏手の方へ。
(生垣の隙間、まだあるかな──)
団地の端、コンクリートブロックで固められた一メートルほどの少し傾斜のある段差をよじ登って入る小さな入り口は──
雄大が振り返ってニヤリと笑って前方を指さした。
隙間どころか、生垣そのものが無くなっていた。
幸先がいい。
ガシャッ。
雄大を先頭に段差を飛び下りる。
雄大の次にぼく。
ぼくの後に昴がコンクリートブロックの上をお尻で這うようにして下りて来て、最後に康太。
ぼくは、そっと周囲の様子を窺った。
静かだった。
(こんなに静かだったかな……)
どこかの会社の社宅だと言う団地は、昼間にも関わらず人の姿が無かった。
平日でも、子供連れのお母さんとか仕事がお休みらしいおじさんが歩いているのをいつもは見かけるのに……。
この日に限って人っ子一人いない。
誰もいないベランダ。
締め切られたカーテン。
隅の方に置かれた小さなブランコが所在投げに揺れていた。
(………………)
(──海斗!)
雄大が、ぼくの肩をトントンと叩く。
(大丈夫か?)
(……うん。……大丈夫)
ぼくが、頷くと雄大を先頭に小走りに敷地の隅へ。
まるで真夜中のような団地の中をぼくたちは、建物の間をすり抜けるようにしてぼくの家の方へ。
団地の敷地に沿って立つ低いフェンス。
ぼくの家の向かいまでフェンスに沿って走ると、雄大がフェンスの上から身を乗り出して左右を窺い、
(オッケー!)
親指を立てる。
(みんな、ありがとう)
(またな、海斗)
(またな)
(海斗ぉ~、死ぬなよォ~)
ぼくは、フェンスをよじ登ると、
ガシャッ!
道路へ飛び降りる。
ぼくは、左右を見回した。
道の先の十字路。
反対方向のいつものL字カーブ。
(……………)
見えるのは静まり返った住宅街。
そこにあるのは、見慣れたいつもの景色。
いつもの景色──
その筈……
唾をゴクリと飲み込んだぼくの顔を汗がたらぁと一筋流れ落ちて行く。
(……うん)
誰もいない。
(よし……)
少し安心したぼくは、フェンスの向こうで固唾を飲んで様子を窺っていた三人へ手を振ってから家の中へ。
カギを閉めると──
ぼくは、いま一度ドアスコープから恐る恐る外を覗く。
……団地の出口の方へ歩いていく雄大、昴、康太の三人。
喉が苦し気にコクンと鳴って、ぼくはなおもスコープ越しに周囲の様子を窺う。
最後に左右をもう一度ゆっくりと眺めて……。
(…………よし)
「ほぅ」と大きなため息が出た。
今度こそ、あの女の子はいない。
今度こそ、本当にいない。
(よかった……)
あの子は、家の中へは入って来れないからもう大丈夫だ。
とは言え、本当に怖かった。
ぼくは、階段を上って二階の自分の部屋へ。
(みんなに「うまくいった」って連絡しないと……)
部屋のドアを閉じてランドセルを下ろしたその時だった。
………………。
背中にざわざわと広がっていく冷たい戦慄。
うなじに感じる誰かの視線。
そして、この冷たい気配──
(まさか……)
どんどんと強まっていくその気配。
いる。
いる。
誰かいる。
二の腕から指先へ冷たい感触が広がっていき、ぼくはもうそれ以上動くことが出来なかった。
(まさか──)
じわじわとにじり寄って来る誰かの気配。
それは、ぼくのすぐ後ろまで来ていた。
(あぁ……)
あぁぁ──
ぼくの耳元でそれは静かに囁いた。
ねえ……
ねえ…… 生田英作 @Eisaku404
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