人工魔道士と地理学者〜砲弾と魔法の世界で〜

風見 岳海

第1話 戦端

「少しは眠れたかい?」


 快適とは言い難い寝台に寝そべったまま、その上段で休息をとっているリリアに声をかける。


「ええ、大丈夫ですよ」


 穏やかな風のような声が降りて来る。これから戦端が開かれるという事実さえ忘れてしまいそうな、清楚さを湛えた可憐な声音だ。


「先生こそ、眠れていないのではありませんか?」


 逆に心配されてしまった。彼女の能力を持ってすれば、この渡洋の最中一睡もしていない事くらいすぐに分かる。寝息をたてる振りすら通じない。


「無理もありませんよ。これから始まる事を思えば、緊張するのは当然です」


 彼女は、僕の神経物質の動きを感じとってそう解釈した。

 しかし、なぜ、どういう理由で緊張しているのかは彼女にも分からない。

 いかに人工魔道士とはいえ、人間の心の中までは覗けない。

 おかげで、狭い部屋に女性とふたりきりで押し込められているから、という不埒な理由に見当をつけられずに済んだようだ。


「僕の事より、キミの体調の方が何よりも大事だよ。作戦に関わる事だからね」


「先生は心配性なんですね」


 柔らかな忍笑いで返される。

 彼女と出会って1年になるが、とても18歳の少女とは思えない程に落ち着いている。僕とて、一応は彼女の保護者のつもりでいるのだが、これではまるで立場が逆だ。

 その事には若干の歯痒さを感じつつも、彼女に対しては少し気がかりを感じていた。

 普段は講堂で教鞭を取っているからこそ分かる。彼女には年相応の無邪気さがない。

 こうして穏やかで気立もよいのだが、時折諦観、ともすれば虚無すら滲ませる。僕にはそれがどうも引っかかっていた。彼女は可憐で、そして大人過ぎるのだ。人工魔道士としての施術を受けたからなのかは分からない。

 僕自身、あまり彼女の過去を詮索して来なかった。女性に対して無粋な真似は慎むべきだと思ったからだが、彼女を保護、監督する立場として、やはり一歩踏み込むべきなのだろうか。


「学者先生、嬢ちゃん、お楽しみのところすまんが艦橋へ上がって来てくれ。仕事の時間だ」


 口を開きかけた瞬間、伝声管を通じて、ギムレット中将の無頼漢然とした声が、狭い急ごしらえの船室に飛び込んで来た。

 卑わいな冗談は海賊上がりだからか。相変わらず慣れないな。


「行こうか」


「はい」


 下の寝台から滑るように降りると、リリアも梯子を降りてきた。


「大丈夫ですよ。これくらいなら平気です」


 筋肉への神経伝達を読み取られてしまった。

 大型の揚陸艦ともなれば、そうそう波に揺られるものではない事は分かっているのだが、どうしても彼女を庇うように身構えてしまう。男としての性分だろうか。


「そ、そうかい?」


 気恥かしさをかき消すように鏡の方を向く。両手首から熱が上がったのも、緊張のせいだと思っていると信じたい。

 壁に掛けた紺色の軍服を引ったくるようにして袖を通す。リリアも身支度すると2人揃って部屋を出て、甲板へ通じる階段をかけ上がった。

 夜明け前、穏やかな波に引き潮、上陸作戦には理想的な条件だ。上空に忌まわしき飛竜ワイバーンの姿はなく、頬を撫でる潮風も心地よい。とても今から戦争が始まるとは思えないほどだ。


「凄い数だな」


 海の上では数多の上陸用機材が集結していた。浮航仕様の襲撃戦車ヴィルケリスに水陸両用兵員輸送車、そして大小の揚陸艦に曳航された密閉型の上陸用舟艇。いずれも敵魔道士の風系魔法の雷撃をもろともせず、炎系魔法にも抗耐しうる兵器だ。

 唯一の弱点は氷系魔法だが、万物を一瞬で凍てつかせるほどの上級氷系魔法を扱える魔道士はそう居ない。かつて魔人族が人間に授けた魔法は全て中級程度までだったからだ。

 一部の人間に魔法を授ける事により、人間同士に差別感情、劣等感を抱かせ争わせる。その間に魔人族はエルフや獣人といった他種族との戦いに集中する。

 勇者が魔人王に敗れてから300年間、散々迫害して大陸の一端に追しこんだ人間に、魔法を教示した理由がこれだ。

 魔法を与えられない者は大陸の一端で2級市民として同じ人間から差別されるか、海の向こうの島に逃避するしかなかった。

 これが、大陸の魔法大国ラグニール帝国と島嶼国家である我が国リオニス皇国の大まかな関係性で、こういった歴史的背景も今回の戦争の遠因になっていた。


「ハリス・ジェファー・マッキンダー特務大尉、及びリリア・ラドフォード特務少尉入ります」


「おう、さっそく始めてくれ」


 中将は左側に見える海岸線を望みながら、まるで興行を待ちわびたかのようにそう言った。


「リ……いや、ラドフォード特務少尉、準備はいいか?」


「はい」


 碧天の瞳を静かに閉じると、リリアの周囲に白群に光る魔法陣が展開される。無機質な艦橋には不釣り合いな程の神聖さを覚える輝きだ。この光景に艦橋内の将兵達もざわつき始めた。

 今まさに攻め入ろうとしているラグニール帝国と違い、我がリオニス皇国には魔法の才がある者は皆無に等しいのだから当然と言える。


「てめぇら! 仕事に集中しやがれ! 海竜のエサにしてやろうか?」


 中将が激を飛ばすと部下達は計器類に視線を戻した。リリアも静かに頷く。術式が完成した合図だ。


「ギムレット中将。索敵魔法術式、展開完了しました」


 僕が声をかけると、中将は犬歯をむき出しにして音響機器を掴んで叫ぶ。


「チェスタトンよりバークへ! 女神の鐘は聞こえたか?」


 音響機器から雑音混じりの声が一瞬漏れ聞えた後、中将は命令を下した。


「攻撃開始! 奴らを叩き潰せ!」

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