番外編:2 とある日常の一角
それは夜の帳が下りた頃だった。
「初めまして~、僕が静香だよ」
僕が軽薄な態度で片手を手を振って挨拶をしたが、彼は緊張しているのか、意にも介さずに答える。
「…高原だ」
と簡単に自己紹介をして会釈をし、その強張った顔を見せた。
そう緊張しなくてもいいのにな。
中年の背の高いその男は、妙に堅苦しいスーツを着て、仕事用なのだろう黒い鞄を持って家にやってきた。来客用のソファーに彼は前のめりに座り、膝に肘を置いて両手を組んだ。
「今日会ってくれたこと、感謝する。」
低い声が響く。
「単刀直入に用件を言う。…綾目社の須賀と"寝た"というのは本当か?」
「うーんとね…」
わざとらしく僕は思考を巡らせ、過去にあった人々の中から該当する人物を探すふりをした。
「あーこの前遊びに来た、鼻が高くて髪を結んで、少しやせ気味のスガちゃんのことかな?」
「身体的特徴は一致している。おそらく彼だ」
食い気味に彼は喋った。切羽詰まって焦っているのだろう。
「なるほど。うん、それなら彼とは"お友達"になってもらったばかりだけど、彼がどうしたのかな?」
彼なぜそんなことを聞くのか、その理由は等にわかりきっていたが、こういう時はあえて僕からは言わないことにしている。言葉とは、自分の口から言うと重みが違ってくるからだ。
恥ずかしがって困惑する姿が面白いというのが本懐だけども。いやはや、僕というのは実に性格が悪いな。思わず口角が上がってしまう。思わずニヤリと笑う僕を見て、試されているとでも思ったのか、いっそう彼の眉間の皺は深みを増した。
「…彼は何か言ってなかったか?」
用件は素直に言ったのに、こっちはぼかすんだ。面白い。
「好きだとか、そんな奴はやめて俺と付き合おうとかなら言われたけど?」
「ふざけているのか?」
「そうだよ?」
わざとらしく肩をすくめてやった。
はあ、とため息を吐いて、彼は和也君が淹れてくれた紅茶を一口飲んだ。
「綾目社についての情報を、何か君に話していなかったか?」
最初からそう言えばいいのに。いや、それが聞きたいのは初めからわかっていたけど。
「結論から言えば、言ってたね、それっぽいこと」
「本当か!?」
彼は立ち上がった。感情が行動に出やすいタイプのようだ。
「ただの愚痴だと思うけど…会社でどうのこうの?言ってたね」
「ぐ、具体的には!?」
「まあ待ってよ」
僕はティーカップをあおり、紅茶を一口飲んだ。うん、今日もおいしい。
「教えてあげてもいいけど、お友達の情報をそう簡単にに教えるわけにもいかないよ。それに、それが重大な事実だとしたら、それを話す僕にもリスクがある。わかるよね?」
「ぐっ…それは、そうだな」
物分かりが良くて助かる。
「いくらだ?」
「そうだねえ…」
人差し指をくるくると、空気をかき混ぜるように振った。
「1億?かな」
「なっ…そんなに高額なのか…!?」
「うーんこのくらい欲しいけど…、ダメ?」
ブランド品をおねだりするように、小首をかしげて言ってみた。
「だがしかしそれだけの価値が…いやいくら何でも…」
ぶつぶつと何かを呟きながら、悩んでいる様子だった。
ああ面白い。情報一つでこうも弄べるのだ。これだから情報商はやめられない。
とはいえ一企業の秘密を、僕にリスクがあるとはいえこれだけの値段で買い取るのは少々厳しいだろう。
「じゃあ、500万でどう?」
「は!?いや構わないが…どうして急に…」
「ちょっとさすがにぼったくりすぎたかなーって」
「なんなんだ…」
辟易した様子で彼は僕をにらみつけた。
先に通常より高い金額を提示して、その後に下げると安く見える、という法則を使ってみただけだったけど、金額の落差が大きすぎたかもしれない。冷やかしだと思われないといいけど。
「まあそういうわけで…まだちょっと高いと思うけど、いい?」
「…わかった。いいだろう」
「ありがとう!じゃあ早速…」
僕は手持ちサイズの端末を操作し、目の前の彼に向ってローカル回線でメールを送った。
「まずは…スガちゃんが言ってたのは綾目社の裏でやってる悪ーいことの話。添付したこれがスガちゃんが見せてくれた綾目社のデータ。ほら、怪しいところいっぱいあるでしょ?」
「まて、なぜ君がそのような機密事項を知って…」
「気分が上がって、調子に乗っちゃったスガちゃんが見せてくれただけだよ。細かいことは良いじゃん。それとも偽りの文書に見える?」
高原はまじまじと自分の持っていた端末を見ていた。
「いや…どの数字も正確だ。レポートらしきものも筋は通っている…偽るにしても完成度が高すぎる」
「でしょ?あとそうだ…社長さんの浮気相手と会う用の家があるらしくて…これその住所ねー」
もう一軒データを送ってあげる。彼はおお、と歓喜の声を上げた。
「これが本当なら、あいつらを貶めることはたやすいぞ…」
「そうだねー。だからこそ僕も消されかねなくて怖いんだけどー」
とはいえうちには翔ちゃんもいるし、頼れるお友達もいる。その点はそんなに心配していない。
「金はどうやって払えばいい?」
「オンラインで良いよ。こだわり無いから。あ、名前とか出ないようにブラインドはした方がいいかも」
「わかった」
送金先を教えると、すぐさま彼が手元の端末を操作した。すると僕の端末に通知が来て、開くとしっかり500万円が振り込まれていた。
彼にもプライドや信条があるんだろう。おとなしく払ってくれてよかった。
情報ももらったし君には消えてもらおう、なんてなったら面倒だったけど、その心配はないみたい。
「ん、おっけー。ちゃんと入ってるよ~」
「では取引成立だな。俺はこれで…」
「あ、ちょっと待って!」
僕は端末を操作して、一つのQRコードを表示して彼に見せた。
「せっかくだから、連絡先貰っていいかな?」
「何故だ?」
「お友達は多いに越したことないでしょ?特に意味は無いけど、何かあった時に役に立つかもしれないでしょ?」
プラプラと手に持った端末を振った。
「ふん、まあいいだろう…また世話になるやもしれん」
仕方なし、といった感じで渋々QRコードを読み取る。すると僕の端末に「高原」と遊び心の一つもないアイコンと名前で、友達申請が来た。
取引をした相手とはいつもこのようにして連絡先を交換する。その後の経過を知りたいのもあるし、さらなる情報源を増やすためでもある。
「ありがと~ほかにも聞きたいことあったらよろしくね。あ!夜のお相手でもいいよ?」
「後者は遠慮しておく…」
「そう?」
「では、この情報を早く本社に持ち帰らねばいけない。これで失礼する」
「はいよ~」
話を打ち切り、彼は立ち上がって僕に一礼した後、足早に家を出ていった。
その様子を確認した後、大きめの声で言った。
「あの人もう帰ったよ、スガちゃん」
僕の声に応じて奥の部屋の扉が開き、一人の男こと、スガちゃんが出てきた。
「ああよかった…ありがとう静香…」
冷汗で汗だくになった彼は、奥の部屋から出てすぐに膝をついた。
「役員のほうが来なくてよかった…これなら何とかなるだろう」
「あれでよかったの?」
歩いて傍に寄り、しゃがんで彼の肩をさすった。
「いいんだ。遠回しの内部告発みたいなものだ。あとはあの高原が、ライバル会社たるうちの会社の悪事を公表し、自社の地位を上げるために勝手に綾目社を貶めてくれるだろうさ。プライドがあるから僕や静香から聞いたとは言わないだろうし、僕は手を汚さずに会社をつぶせてラッキー。彼は会社の英雄。うまくいけば万々歳だ」
「うまくいくといいねー」
僕は立ち上がり彼に手を差し出した。彼は僕の手を取り、引っ張り上げて立たせてあげる。
「本当にありがとう。さすが情報屋だ」
「ただコミュ力ってやつが高いだけだよ。彼、単純だったしねー」
ふふ、と笑ってみせた。スガちゃんもつられて笑った。
あの高原という男、正確には「綾目社に所属する社員の三鷹原須賀」を狙った人が来ることを僕は知っていた。
ひと月前にたまたま出先で知り合ったスガちゃんは、会社の現状に嫌気がさしていたらしい。労働基準法に違反するレベルで散々働かされていたし、何より法に触れるようなこともさせられていたみたいだった。そのストレスせいか、ちょっと誘ったらすぐにノってきてくれた。若いのに気苦労が多かったからなのか、痩せていて少し心配だったから話を聞いたら、先ほどの内情が聞けたというわけだ。
それを嗅ぎつけたのか、内部情報が漏れることを恐れた綾目社の幹部の手先や、ライバル社の社員、つまり高原などが、スガちゃんを狙っていることを、別の企業の幹部である"お友達"から聞きつけた。すぐにスガちゃんに連絡したら、「足」が用意できるまで匿ってくれ、と頼まれたから、新作コスメを買ってくれることを条件に承諾した。
その結果が先の問答だった。事前にツテを使ってどんな奴か調べておいて正解だった。
「あとはセーフハウスでおとなしく事を待つだけだ。君に会えないのは寂しいけど、しばらくは隠居生活だな」
「残念。スガちゃんの話面白いのに…」
「事がおさまったらまた来るよ」
「うん、連絡待ってるね」
彼の頬にキスをしてあげた。
「じゃあな、ありがとう。愛してるよ」
「はいはい、いってらっしゃい」
玄関を飛び出していく彼の背を、手を振って見送る。
まだ28歳だというのに、隠れて生活をしなきゃいけないなんて大変だろうなあ。
早くあの高原とやらが事を進めてくれればいいけど。
「あいつも大変だな」
離れたところでパソコンを操作していた翔ちゃんが、そう言いながら僕のそばに来た。
「無理に働かされた挙句、命を狙われるとはな」
「ねー。最近物騒だし、どさくさに紛れてやられないといいけど」
「まったくだな」
「うんうん。…っとそろそろ返事してあげないと」
僕はソファーに座り直して、端末を操作してチャットアプリを起動した。画面にいろんな人たちからのチャットが何通も届いていた。
これだけ友達が多いと、関係を保つのも一苦労だ。
だけど、誰かと関わるのは面白いから好きだ。
新しい話を色々と聞けるし、見識が広がる。
あと不埒な動機があるとすれば、人によっては色々と貢いでくれるからというのもある。ちゃんとお礼は言うし、無駄遣いはしないという、僕の中だけのルールはあるけれど。
「静香」
「ん?なあに翔ちゃん」
「来客も帰ったし、いいか?」
「いいよー」
それは僕と翔ちゃんのイチャイチャタイム開始のサイン。彼は隣に座り、僕の腰に手を回し抱き寄せる。
「お返事終わったら相手してあげるから、待っててね?」
「わかった」
彼は口ではそう言いつつも待ちきれないのか、腰に当てた手で僕の体を撫でていた。
「くすぐったいよ…まってて、もう」
餌を待つ犬みたいで面白い。
身を駆け抜けるこそばゆい感覚に体をくねらせながら返信を打っていく。
「んふふ…翔ちゃんったら…もうちょっとだから…!」
「早くしてくれ。待ちきれん」
「はいはい…よし、これでおしまい!お待たせ~」
僕はくるりとソファーの上で回転して、翔ちゃんと正面で向き合った。
「どうぞ」
そう言うと彼は僕に覆いかぶさり、欲望のままに体中を弄られる。
「きゃー!翔ちゃん獣すぎー!」
僕はじたばたしてはしゃぐ。ことエッチなこととなると、翔ちゃんはすごく前のめりになる。もとはといえばそうなるように虐め倒した僕が原因なんだけど。
「待たせた君が悪い」
「難癖じゃない?」
「うるさいな、ほら黙れ」
「んっ…」
キスで言葉を遮られる。最近、こういった小細工を映画とかで仕入れているものだから、最近すっかり小賢しい色男になり果てている。嬉しい悩みだ。
唇を解放されると、僕は足りない酸素を吸うために荒い息をした。
「はあ…翔ちゃん大好き…」
「知っている。俺もだ」
「だよねー」
もう一度僕たちは唇を重ねた。
2人が交わっている間、夜はさらに更けていく。
これが桜木静香の「取引」の一例である。
日付が変わる。
さて、今日は誰に会えるのかな?
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