エピローグ 晴れた空と飛び立つ鳥

「この人は翔ちゃん。今日から、一緒に住むから。あとこの家引っ越すから」

「荒川翔平だ。よろしく頼む」

「ええええええええええ!!??」

和也君は突然のことに驚いていたまあ、今日来ていきなりだから当然だけど。

ーーーー遡ること数日前。

「決めた、俺は軍を辞める」

海からの帰りの車内で、運転しながら翔ちゃんはそう言った。

「えー、そんな簡単に決めちゃっていいの?」

「構わん。軍にいたら君と会うのに都合が悪い。もっと一緒にいるためにも、やめるべきだ」

「んん、そっか…」

彼の覚悟は本気らしい。僕とずっと一緒にいてくれる気でいてくれる。それがとても嬉しくて、なんだか照れてしまう。

「その場合住む場所をまず探さないと。今は基地の宿舎で生活していたからな…」

「それなら、うちに来れば?部屋余ってるよ?」

「それはありがたいが、元カレとやらの家なんだろう?ずっとそこにいては、変われるものも変われん。…そうだ、一緒に新居に引っ越そう」

「わあ…行動力すっご…」

翔ちゃんがものすごく頼もしく見えた。

「ひとまず君を家へ送る。俺は軍に戻って手続きをする」

「わかった。どのくらいで手続き終わりそう?」

「わからん。最低ひと月かかるだろうが、何とか説き伏せて早く君の元へ行きたいが…さて」

行動力があるのは良いが、ちょっとだけ心配になった。翔ちゃんのことだから、馬鹿正直に僕のことなどを話してしまうかもしれない。どうにかうまいこと話を付けられればいいけど。

「でもありがと。ちょっとびっくりしたけどね?いきなり好きだからーって言い始めてさ…」

僕は窓の外に視線を向けた。海原は遠ざかり、建物が横切り始めていた。

「正直、俺もどうしてここまで君に惚れたのか、よくわかっていない」

「えーそうなの?」

「うむ。始めて見たときから何かを感じていたが…どこに興味を持ったのか未だにわかってない」

「ふうん?じゃあ。今思いつく僕の良いところ上げてみてよ。そうすればわかるかもよ?」

「明白にする必要があるのか?ま、まあいい、そうだな…」

翔ちゃんは数秒ほど黙った。その後、もごもごと何かを言った。

「ん、なんて言ったの?」

「き、聞こえなかったか…?」

「うん。もう一回、大きな声でどうぞー」

にっこりと笑って翔ちゃんを見つめてあげた。彼は恥ずかしそうに、今度は聞こえる声で言った。

「かわいい…ところだな」

「具体的にどの辺が?」

「なっ!?どの辺と言われてもな…」

彼の頬が赤くなっていた。表情こそ変わらないのに、肌にはしっかりと証拠が出ていた。

ああやっぱり翔ちゃんはからかいがいがある。もうちょっといじめてあげよう。

「ほら、パーツがいいとか、仕草がいいとか…色々あるでしょ?」

「ぜ、全部じゃダメか…?」

「んんーいいけど、その場合他にも何か、僕の良いところ上げてくれないとなあ?」

「う、ううむ…」

「ほらほらーなんかあるでしょ~?」

「今考えるから少し待て」

「考えなきゃ出てこないの~?」

「ち、違う!うまく説明できなくてだな…」

「ふう~ん?」

「その…ええとだな…」

「早く早く~!」

しばらくずっと翔ちゃんをからかって遊んだ。運転する手こそしっかりしていたが、口元はずっとふにゃふにゃと言い訳のように何かを呟きながら動いていた。

それがおかしくて仕方なくて、家に着くまで僕はずっと笑っていた。

こんなに楽しいのは久しぶりだった。

ほのかに温かい幸福感に包まれながら、その日は翔ちゃんと別れた。


「ただいま…」

家に着くと、僕は恐る恐るリビングに入った。

「おかえりなさいっす…」

和也君が僕を出迎えてくれた。彼は意気消沈している僕を気遣ってか、テンションを低く抑えているみたいだった。

思えば、彼にも迷惑をかけっぱなしだった。家のことも任せきりだし、ひどい扱いをしてしまった。

「和也君、あのね…」

「は、はい何か…」

「今までごめんね」

僕は頭を下げた。

「えっ!?なんすか急に!?」

「今までひどい態度とってて、悪いと思ってたの。ずっと謝らなきゃって…」

「何言ってるんすか!全然気にしてないっすよ!静香さんの辛さに比べたらなんてこと…」

「ありがとう。和也君は優しいね」

顔を上げて笑いかけた。和也君は首を横にぶんぶん振った。

「お、俺は別にそんな…」

「ふふふ…謙遜しなくてもいいのに」

その時、僕のお腹からぐるる、と音が鳴った。

「あっえっと…」

僕はお腹を押さえた。

そう言えばここ最近、まともなご食事をしていなかった。

これまでの毒気が抜けたのか、心と体がすっきりしていた。そのせいか急に空腹感が襲ってきた。

「あの…お腹が空いたから…何か作ってほしい、な?」

その言葉を聞いて、和也君は涙目になりながら、口を大きく開けて笑った。

「も、もちろんっす!!!!!急いで本気出して作るっすよー!!」

そう言って彼はドタドタとキッチンへ走っていった。

その後、作られた料理たちはどれも絶品だった。

平らげた空の皿を見て、和也君はボロボロと涙を流しながら喜んでくれた。

それから久しぶりにまともな食事をしてお腹いっぱいになり、眠くなった僕はすぐに寝てしまった。

久しぶりに一人でベットで眠ることができた。一人だったはずなのに、もうなくなった熱を探すことは、もうなかった。

次の日、交換していた連絡先に電話が来た。

「結論から言うと、宿舎は出る。軍にはもう少しいることになった」

「ほほう…」

「昨日戻ってすぐに上の人に辞める旨を伝えたらひどく驚かれてな」

「まあそうだね」

「それで、嫌なことでもあったかと理由を問い詰められて、君のことを含めて洗いざらい理由を話してだな…」

「あちゃー…」

僕は頭を抱えた。案の定であった。さすが真面目代表の翔ちゃん…。

「ものすごい勢いで止められてな」

「うん、当たり前だね…」

突然「好きな男ができたから辞める」などと言われたら誰だって気狂いかと疑うだろう。

「まあでも辞める権利はあるわけだから、確固たる意思で退職を迫ったら、そこは認めてもらった。ただ、すぐにいなくなるのは困るとのことで、ひと月ほどは軍の所属のままでいろと言われた。その代わり住居は出て行ってもかまわないと。そこから通うことになるな」

「ほんと!?じゃあ引っ越しするまでは…」

「君の家に厄介になろうと思っている」

「やったあ!!」

ソファーに座り、足をパタパタさせて僕は喜んだ。

予想以上に早く来てくれるとあって、僕の気分は高揚した。

「明日には荷物をまとめて君の家へ向かう。待っていてくれ」

「もちろんだよ!」

じゃあ、と電話を切った。

僕はソファーに寝転がり、嬉しさから一人で笑った。

宣言通り次の日に翔ちゃんは大きいボストンバックを持ってうちに来た。

そうして最初のような光景になった。

和也君に説明するのをすっかり忘れていた。電話の時は買い出しに行っていていなかったし。

「そ、それは全然かまわないっすけど、住むって、え?」

「話すと長くなるんだけど…翔ちゃん僕と付き合ってて…」

「えぇ!?いつの間に!?」

「うん。あ、あとこの家引っ越すから。新居、一緒に来る?」

「ええええ!?もうわけわかんねえっす!もうなんでもいいや!とにかくついて行きます!!!」

「ありがとー!」

僕は和也君の手を握った。彼は顔を赤らめていた。僕から手を出したことが一度もないから驚いたのだろう。

「なら話は早い。引っ越

しの準備をしつつ物件探しだ」

「早すぎるっすけどね!!!」

ふと、ぴろろと電子音が鳴った。僕のスマホの着信音だ。

「あ、ごめん電話…」

僕はスマホを取り出して電話に出た。

「もしもし?静香ちゃん?俺だよ、リョウ」

「あ、リョウちゃん?久しぶりー!急にどうしたの?」

電話口の相手に向かって猫を被った態度で話しかけた。

「電話に出ると別人になるやつっすね」

「あるあるだな」

2人が何か言っているが、僕には聞こえなかった。

「明日、友達男女何人か集めてご飯食べるんだけどさあ、静香ちゃんも来ない?」

「み、皆でご飯?、え、えっと…今回は遠慮し…」

ぐい、と腕を引っ張られる感じがした。

その方を見ると、翔ちゃんが僕の腕を掴んでいた。

彼は首を横に振り、電話に載らないほどの小声で僕に言った。

「行った方がいいと俺は思う」

「え…」

意図がわからなかったが、彼の言葉を信じてみようと思った。

「…あ、ごめんね!うんと、参加させてもらおうかな!」

「オッケーありがと!場所は…」

場所や時間などを聞き出し、僕は電話を切った。

「ねえ翔ちゃん、どういうこと?」

「何がだ」

「行った方がいいって」

「ああ」

翔ちゃんは腕組をした。

「君はいろんな奴と交流を持った方がいいと思った。コミュニケーション能力に長けているし、何より…一人の人間に固執していては、また同じことになってしまうかもしれん」

「ん…なるほど」

「もちろん、俺は君の元を去る気はないし、手放すつもりもないがな」

「わかってるよ~」

僕は片手をひらひらと振った。

たしかに翔ちゃんの言うことにも一理ある。まったく他人と交流がなかったわけじゃないけど、一人を愛して執着していた節はあった。突然の別れだから、というのもあったが、見識を広げるためにも愛人や行為をする相手としてではなく、"お友達"として様々な人と関わるのは良いことかもしれない。

「じゃあ明日は出掛けるとして…、今日はどうしよっか?」

「俺は今日は休みを取っている。何でもいいぞ」

「静香さんたちについて行くっす!」

「そしたら…物件見に行こうか?」

「了解だ」

「わかりましたっす!」

「じゃあ支度するからちょっと待っててね」

3人は出掛ける支度をしに、散らばっていった。


そうして僕たちは、少し都心から離れたところのマンションの一室を買い取った。

僕たちは新しい生活へと変わっていった。

まず僕はストリッパーを辞めた。ステージに立つことや、化粧をすること、衣装を着ること。それらは嫌いじゃなかったけど、もう以前のようなモチベーションが無かった。

何よりあの場所にはいい思い出も悪い記憶もありすぎる。それらと区切りをつけるためにも、僕は離れることを決めた。

それを伝えた杏や柚子には、

「えー!うっそ辞めちゃうの!?」

「本当に?人気あるのに、もったいない…」

とすごく驚かれた。多少引き止められもした。

けれどナターシアさんだけは、引き止めてこなかった。

「わかったわ。アタシが手続きしといてあげるから。元気でね、静香」

その目はどこか寂しそうにしていた。

「はい、今までお世話になりました」

僕は深く頭を下げた。

この人には本当にお世話になった。色々なことを教えてもらった、僕の自慢の大先輩だ。

「その…ナターシアさんが嫌じゃなければ、今後も連絡とか…」

「もちろんいいに決まってるじゃない!困ったことがあったら言いなさいよ?」

彼女は笑いながら、僕の背中を叩いた。

「ありがとうございます…!」

彼女は本当に頼もしい。言葉の一つ一つがありがたくて、なんだか泣きそうだった。

「じゃあ、またどこかで」

そう言い僕はストリップクラブ紫陽花を後にした。

後にネットでは「人気絶頂期に突然謎の引退をした、噂のストリッパー」として、知る人ぞ知る裏の掲示板で語られていた。

翔ちゃんは軍へ通いながら、引っ越しの手伝いや新居の手続きを積極的にやってくれた。

引っ越しする日の直前に彼は退役した。それまでで同僚や上司にしつこく引き止められていたみたいだった。僕と違い、彼らの反対を振り切るのには苦労したみたいだった。後から知ったが、翔ちゃんはものすごく優秀な兵士だったらしい。成績はトップクラスで、これまでも若いというのに数々の活躍をしていたらしい。そんなすごい人が僕のものになりたい、などといってくれていたのかと気づいてから、ますます好きになった。

和也君は新しい家でも専属の家政夫として尽力してくれている。

衣食住は僕が保証する代わりに、ほぼすべての家事や管理をしてくれることになった。本人曰く、

「理想の職場っすよ!俺は家事をずっとやっていたいくらい好きだし、何より静香さんたちの世話をするのも好きっすからね!まじリスペクトっす!」

とのことだった。完全に僕と和也君の利害が一致していた。

礼儀正しく、家事も丁寧。気配りもできる。

他の人にとっては欠点に見えるかもしれない、彼の元気すぎる性格は、僕にとっては犬が走り回ってるように見えてむしろかわいいくて好きだ。

彼は僕にとっては理想の良い子でしかない。


新しい家で、僕たち三人で窓から、新しく変わった風景を眺めた。

晴れ渡る空が広がり、その下を鳥たちが優雅に飛び回っていた。


これまでが、今の僕を成す始まりの話だ。


まあ色々あったけど、それなりに今は楽しいからいいや。

けど時々、激しく雨が降り注ぐころ、思い出してしまう。

彼は、純壱は今どこで何をしているんだろう、と。

遠いどこかを見つめながらそう考えてしまう。

彼は目的を果たせただろうか…。

「…わっ!」

突然視界が真っ黒になり、目に温かくごつごつした感触がした。

目を手で覆われている。だーれだ、ってやつだろう。

「翔ちゃん?びっくりしたんだけど~」

「ぼーっとしているようだったから、つい」

「もうっ、そんなのどこで覚えたの?」

「この前映画で見た」

翔ちゃんが手を離すと、視界が一気に明るくなる。窓の外は相変わらず雨だ。

振り返ると、背の高い翔ちゃんが立っていた。僕はいつも首を上に向けて会話する。おかげで彼と立って会話すると首が疲れてしまう。それも一つのロマンではあるが。

「またか」

「何が?」

「君は雨が降るといつもそうやって遠くを見つめている」

図星だった。

「俺はそんな君が苦手だ。ここではないどこかを見ていて、不安になる」

「あはは…ごめんね。大雨の日は…いつも思い出しちゃうんだ、いろんなこと」

翔ちゃんの胸元に僕の額を当てた。

「だめだよね、ほんと…忘れなきゃなのにさ」

彼に腕を絡めて抱き着く。

苦しいわけでも、思い詰めているわけでもないけど、ずっとあの思い出が消えなくて、ふと後ろ髪を引かれるような感じがしてしまう。

今の生活は楽しい。幸せだと思う。

好きな男を抱いて、おいしいものを食べて、適当に来客に情報を売ってお金にして…。

それでもいつも一瞬だけ、過去に置いていかれたかのように感じる。

ただ空虚な心で、何かを探している気がする。

「忘れたいことほど、忘れられないものだ」

大きな手が僕の頭を撫でた。

「辛いか?」

「ううん、全然。ただ思い出すだけ。悲しいとか思わない」

「そうか、ならいいんだ」

安心したのか、ふうと翔ちゃんは息を吐いた。

僕は顔を上げて、頭上の彼の顔を見ながら笑った。

「あと、湿気で髪がごわごわするなーとか思ってたの」

「本当か?」

「ほんとだよ」

「そうか。ところで、俺は腹が減った。早く朝ごはんを食べに行こう」

「そうしよっか」

「うむ、では…」

翔ちゃんは僕の背中と足に腕を通すと、ひょい、と僕をいわゆるお姫様抱っこの形で抱き上げた。

「んもう!一言くらい言ってからやってよね?嬉しいからいいけど~」

彼の首に腕を回した。

「行こう」

「はいはい」

翔ちゃんに抱えられたまま、部屋を出ていった。


外では雨が降り続いている。

けれど僕の心は晴れやかだった。


今の僕に傘を貸してくれる人は、たくさんいるからね。

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