ある男の話
荒川翔平はストリップクラブ紫陽花の、常連客の一人だった。
彼は陸軍に所属している兵の一人で、治安が激化する現代日本で治安活動を主とした機動隊のメンバーだった。
眼鏡をかけたその男は、無口で、真面目だった。軍の規範となる理想の人物そのものだった。
機動隊としての実力も優れていて、戦闘能力や頭脳の面においても優秀な成果を上げていた。
休日はトレーニングか勉学しかしていない彼が、とあることをきっかけに、休みのたびにストリップクラブに通うことになる。
彼が初めてこの店を訪れたのはおよそ半年前。
翔平の先輩の誘いで一度、公演を見に来た時だ。
彼らの所属する軍隊の基地は、付近に娯楽施設が少なく、休日や休憩時間に過ごす場所に困っていた。
そんな中見つけたのが、最も近く手軽だったのがこのストリップクラブだ。
以前からここを利用していた翔平の先輩たちは、翔平の同僚も含めて「いいところを教えてやる」と、休日に連れ出してクラブを紹介した。
「おすすめの女の子がいてさあ…」
「えーどんな子ですか?」
盛り上がる同僚たちと違い、翔平は先輩の話を適当に聞き流して、公演の始まりを待った。
真面目な彼は、興味のない事柄でも一度は触れてみよう、という質だった。
せっかく誘ってもらった手前、ここで帰ってしまうのも悪いと思っていたのもあった。
「席がいつも埋まっちまうから、1公演前から席取っとかないといけないんだぜ?」
「なーるほど!で、これから始まるのは誰の公演なんスか?」
「ああ、次のは…なんだ、静香かよ。どうりで混んでると思った」
「誰スかそれ?」
「最近人気の男だよ。男女両方から人気があって、最近よく出てるんだよ」
そう言って先輩は、スマホでクラブの所属メンバー一覧が表示されているサイトを表示し、全員に向って見せた。
静香、と名前の付いた写真を見た。顔や体つきは確かに男そのもので、どこか引き込まれる笑顔で映っていた。
ストリップと言えば女のイメージがあった翔平は驚いた。彼のような男性ストリッパーもいるのか、と感心した。
「男に興味ないからなあ俺は…一公演暇だぜ、こりゃ」
「そっスねー自分もです」
「俺もー」
先輩と同僚たちはこの公演に興味をなくしていた。
だが、翔平は違った。未知の世界を前にして、少しだけ楽しみになっていたからだ。
彼は無口故に、そのことを口にしない。しかし、少々の気持ちの高ぶりを自覚していた。
特に男性ストリッパーとなれば、どのような公演になるのか想像がつかない。故に、翔平は真顔のまま、気持ちだけわくわくしながら開演の時を待った。
暫くして、ブー、と開演を知らせる音が鳴る。
それを合図に、会場のざわめきが静まっていく。
「お待たせいたしました!今回の主役、静香の登場です!皆様拍手でお出迎えください!」
MCのアナウンスが響き渡った。翔平や同僚たちは周りに倣ってとりあえずで拍手をした。
音楽がフェードインで鳴り始める。
すると、ステージ袖から一人の男が出てきた。彼が静香だった。
客席中央あたりに座る翔平たちは、静香に視線を集めた。
特に翔平は、彼の姿をじっくりと観察していた。
細い体。きらめく衣装。何とも男というよりは、女性的だと思った。
人体構造についても学んでいた翔平は、骨格や体つきは紛れもなく男だということを確信していた。
静香は会場全体に向けて手を振った。それにファンたちが声援を送る。
MCが静かに近づきマイクを手渡す。
「みんなー!来てくれてありがと!楽しんでってねー!」
マイクを返して、MCは即座にステージ袖に帰っていった。
静香はストールを投げ捨て、少しずつ体を動かし始めた。しなやかに四肢を動かし、存分に体を魅せつける。
会場が温まった頃合いで、衣装を一枚脱ぎ捨てた。下着と靴とアクセサリーしか残っていない。ほとんど裸だ。
翔平はその姿に釘付けになっていた。その時すでに、彼が気づかない、ある感情が生まれていた。
心拍数が上がる。汗を流し頬を赤らめながら舞う静香の姿を、食い入るように見つめた。
すると、静香は下着に手をかけた。応じて、会場のボルテージも上がっていく。
観客たちがリズムに乗って手拍子する。だんだんと、テンポが上がっていく。
翔平の双眸にはステージに立つ静香だけが映っていた。
早くその先を見たいと、無自覚で彼は思っていたのだ。
テンポが最高潮に達すると、静香は下着を勢いよく脱ぎ、ステージ袖へ放り投げた。彼のすべてが露わになる。
大勢の人の前で裸体をさらす行為が見慣れず、そのようなものを目撃している背徳感のような、はたまた罪悪感のような複雑な感情を抱いた。
さらに彼は、訓練中ですら驚きという感情を抱くことがなかったというのに、静香の肢体を前にして心臓が跳ねあがるのを感じ取った。
普段、筋骨隆々の男たちばかりがいる基地にいるのもあってか、細身でか弱い、繊細な乙女のような男の静香は、翔平にとっては珍しいタイプの人物だった。それが、翔平の興味を加速させていく。
「…ん?」
ふと、翔平は違和感を覚えた。
性格には、その違和感に翔平だけが気づいていた。
「顔色が悪い…」
化粧と演技で隠し通していたものを、翔平は持ち前の直観力と知識で見抜いた。
表情こそ笑顔だったが、その奥にある陰りのようなものを、彼は感じ取っていたのだ。
体調が悪いのだろうか?翔平は訝しんだ。
無理をしていないだろうか。翔平はこの日初めて見たばかりの男を本気で心配していた。
その時こそ彼は気づいていなかったが、すでに彼は静香のファンの一人になっていたのだ。
ちょっとした刺激で今すぐにでも崩れてしまいそうな、愛おしいあの姿を思わずにはいられなかった。
初めての気持ちに、目の前に料理があるのに、壁があって食べられないようなもどかしさを感じていた。
やがて公演は終盤に差し掛かる。
音楽が鳴りやみ、静香は最後のポーズを決めた。
会場から拍手と歓声が沸き上がる。翔平も声こそ出さないが、心の底からの賞賛を込めた拍手を送っていた。
お辞儀をして、客席に手を振りながら静香はステージ袖へと消えていった。
「公演は終了いたします。次の公演はー」
MCの言葉を合図に一部の客たちは席を立ち、出口へと向かっていった。
「はー終わった終わった。男見てもしょうがないんだけどな…」
気怠そうに先輩が背もたれに寄りかかる。
「でも先輩、盛り上がり凄かったですよ。俺めっちゃ拍手して手が痛いッスよ」
「俺も~」
同僚たちは意外にも静香に対して肯定的だった。彼らは恋愛的や性欲の対象としてではなく、ただ一人のパフォーマーとしてステージ上の静香を評価していた。
「俺は見慣れてるからな、気にしてねえ。次だ次」
「次が先輩の言ってた人っすか?」
「おうそうだ。杏って言ってなあ乳がでかくてよぉ…」
そう会話しながら、次の公演を同僚と先輩たちは待ち始めた。
だが、翔平は違った。先ほどの公演の余韻に浸り、彼のことをずっと考えていた。
翔平は妙な気分になっていた。満足したようにも思うし、まだ足りないとも思っていた。
「…静香」
ぼそ、と彼は口に出してみた。
彼の頭の中に、静香の姿が焼け付いて離れない。
もう一度見て、この謎の感情を確かめよう、と翔平は決めた。
「ん?なんか言ったか翔平?」
同僚の一人が翔平に向き直ると、翔平は急に顔を上げた。
「公演スケジュールは、どこかに載っているんだ?」
「え、えーっと…このサイトってどう見てるんですか先輩」
「お?そりゃ普通にストリップクラブ紫陽花って入れりゃあすぐに…」
「なるほど、ありがとうございます先輩」
それを聞いた翔平は、すぐさまスマホを取り出して「ストリップクラブ 紫陽花」と検索した。即座に検索結果が表示され、一番上にこのクラブのホームページが表示された。
画面を触ってページを表示する。メニュー項目に「公演スケジュール」というのがあり、それを開くとカレンダーが表示され、日ごとに公演の予定が書かれていた。
その中から、自分が休みと取れる日付と、静香の出演予定が重なっている日を探し出した。
「お前まさか…」
先輩が何かに気づいたのか、翔平のスマホを覗き込んだ。
「そっちだったのか…」
「そっちって…なんです?」
「いや、いいと思うぞ。だけどお前、気を付けたほうがいいぞ」
「はあ…何にです?」
「その静香ってストリッパー、ものすごいヤリチンらしいぜ。いろんな男をとっかえひっかえ…。毎日誰かとヤってるらしいぜ?」
「ふむ…そうですか。わかりました、覚えておきます」
「おい軽いな…まあお前が誰と遊ぼうが止める権利は無いが…」
先輩は呆れたように息を吐いた。
翔平は再びスマホに試練を戻した。
ステージでみた静香の表情と、サイトに表示されている写真の表情を比べると、やはり先ほどの彼はこの写真程、心の底から笑っていないように思えた。
「…何かあったのだろうか」
知りたい、翔平はそう思った。
これが彼の、人生を変える出来事の始まりであった。
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