超越ウィッチ

篠咲 有桜

第0話プロローグ


「友だちだと思ってたのにッ……!!」


 悲痛に似た叫びで目の前の少女は叫ぶ。それだけで、今まで築き上げてきた関係が瓦解していった。友情、信頼、愛情が音を立てて崩れ去っていく。それが彼女の本意でなないにもかかわらず、受けた衝撃は凄まじい。同時に胸が傷んで傷んで仕方ない。


 辺りは燃え盛る炎で、その渦の中にいる私たちは満身創痍で服も持っている杖も何もかもがボロボロだった。私は、圧倒的な力に押し負けて、彼女の目の前で地面に伏せている状態。手に力も入らない。魔力も枯渇している。頭の中では諦めの2文字が掠めた。


あれもこれもそれもどれも、全てあの男の仕業である。悲痛で顔を歪めた彼女の後ろで、私を冷たい目で見つめる男。私はその男に憎悪を向ける。



「その生意気な目。君はいつから私にそんな視線を向けてるようになったんだい」


 男は蔑んだ瞳で私を見つめた。


 愛情など感じない。

 悔しい。

 苦しい。

 やっとここまで来たのに……

 やっと……、やっと全て終わったと思ったのに……。


 炎壁の向こうで赤いドラゴンが満身創痍で倒れている。そのドラゴンには、黒い首輪が着いていた。まるで誰かのペットかのように。あのドラゴンを倒すために何度も、何度も何度も何度も挑戦したのに。ラスボスが更にいたただなんて聞いていない。


 激痛と魔力切れで意識が次第に薄れていく。

 手には力も入らない。

 魔力が切れて魔法も使えない。


(こんなに、頑張ったのにな……)


 結局は何も報われないのだ。頬を伝うものが、暑さで流れた汗なのか、それ以外なのかも分からない。煤汚れたマントも、ボロボロになった杖も、全て私が辿った唯一の軌跡。それすらも全否定してくる男の目が憎い。目の前の女の子を操る後ろの男が憎くて憎くてたまらない。私の大切を玩具のように扱って、私の大切に普段吐かないような言葉を叫ばせて。私を弱らせる。


 許さない。

 許せない。


 だけど、今の私に何が出来る。魔力もない、体力もない、そろそろ意識さえ無くなってしまう。口を動かすにも、瞼を開けるにも何も出来ない。ここで意識を飛ばしたらあとは男が私の心臓を貫いて終わるだけ。


 そんなの理不尽すぎる。奥歯を噛み締めた時、パキッと音がした。たぶん、歯が割れたのだろう。地を這うように腕を動かそうとした時だ、低く大きく、地面を揺らし辺りに響く怒号が聞こえた。


――ぐぉおおおぉぉおおおおぉぉ


 地面に響いてビリビリと揺れる。激しい叫び声。


 開かない瞼を必死で持ち上げて映ったのは、炎の壁の向こうにあるドラゴンの尻尾がゆらりと動く姿。そして、揺らめいた尻尾は、炎の壁を切って横に空気を切る。とたん、男と彼女が尻尾になぎ払われて壁に叩きつけられた。ドラゴンは、息も絶え絶えに、ゆっくりと満身創痍の身体を起き上がらせると、伏せって立ち上がれない私を置いて、壁に叩きつけた人たちに近づく。ゆっくりと、ゆっくりと近づいて、壁に叩きつけられて動きが鈍いふたりに口を大きく開けたのだ。


 そして――


「そ、んな……」


 目の前に繰り広げられるその悲惨な光景に落ちかけた瞼が大きく開かれた。信じたくない、信じられない。何のために私はここまで来たというのだ。目の前で断末魔を上げているふたりの声に耳を塞ぎたくなった。それでも体は動かない。


(嫌だ、嫌だ、やめて、私の大切な……大切な――なの)


 立ち込める臭気に、絶望で目眩がした。霞む視界で今度こそ頬に伝う粒が汗ではなく涙だと理解した。絶望が私を叩き潰して何もかもが無駄になったと思った、そんな時だった。掠れる視界に軽やかな足取りで、四足歩行の黒くて小さな生き物が飛び出したのだ。その生き物は、私と同じように所々傷だらけで、黒い艶やかな毛を軽く血で染めている。


 その黒い生き物が私の前に来ると、意志を持ってその大きな金色の瞳を私に向けた。数回瞬きをして、その気配は動いた。小さなその子は、自身の額と私の額とを重ねると、途端に流れる温かな空気に枯渇していた魔力が巡回する。途絶えそうになっていた自身の命の灯火がほんの少し吹き返すのがわかった。


「まだ、生きているようねご主人さま」


 目の前の黒い生き物から、鈴の転がすような可愛らしい女の子の声を発しては笑ったような気配がする。なんともご主人様と呼ぶ私に対して酷いものだと少しだけ、眉間に皺を寄せた。そんな私を置いてその生物は楽しそうに金ピカの猫目を細めた。それは何かを決意したように真っ直ぐに私を見つめて――


「それじゃぁ、ご主人様、また会いましょう?」


 あっさりと告げられた言葉。目の前の惨劇を覆い隠す黒。当たりは炎で喉もひりつくと言うし、体のあちこちが負傷して痛みが酷いというのに、そんなことが起きていなかったかのように、気軽な挨拶を送られる。簡単に転がした言葉に、私は彼女が何を言わんとしてるのか、何をせんとしてるのか瞬時に理解をして瞠目する。同時に、重なった額からゆるゆると魔力が注がれてきた。私とは違うのに、とても優しくて温かくて馴染みのある魔力。それが巡って、包んで私に力を与えてくれる。


「だめ、ネミリア……私、まだ、まだ行けない……」


 そう行けない。戻れるはずがない。ネミリアを置いてなんて無理なのだ。あの目の前の暴力を止めなくては、生き物の生を奪ったあの大きな存在を止めなくては。戻ったあとにこの子は――ネミリアは――


「大丈夫よ。これでも私もまだ8つめよ。9つ目のあたしがご主人様を導くの」


 そんなことはきっとこの子は理解している。それでも、私のため、私の望みの為に禁術を唱え始めた。心地のいい魔力。心地のいい言葉の羅列。綺麗でいつまでも聞いていたくなる。止めたい気持ち出てを伸ばそうとするが、上がらない腕は彼女に届かない。お互いの通じた魔力回路から、己の魔力が彼女の魔力と混ざっていく。そして彼女の呪文に呼応して、優しい魔力が動かなくなった私の体を包む。


「やだ、ネミリア」


「諦めちゃダメよ。きっと次こそ上手くいくから」


 唱えきった呪文で目の前が白くなる寸前、彼女こと、ミネリアは私に「またね」と笑った――





  瞼の隙間から差し込む光の強さに、私は深い意識の中から浮上した。気怠い瞼をゆっくりと上げると、見たことのあるいつものベッドの天蓋が見えた。ふかふかとしたものの上に頭を置いて、私はゆっくりと首だけを動かす。寮のひとり部屋にしては随分と豪華だ。しかし、置いているものはとても少なく、まるでこれから人が来るような雰囲気をだしている。


 すっと軽く息を吸うと生活感のない香りがした。入居したての賃貸アパートのような、そんな香り。埃っぽいわけではないが、人が生活した香りはない。私はその事実に吸っていない分の空気まで深く深く吐いた。


 身体は変わらずきしむ。だが、先程までの酷い損傷もなく、動かないわけではない。むしろ、損傷した箇所は筋肉痛となって鈍く体を軋ませる。枯渇していた魔力も回復している。私の魔力は、受け皿はとても大きいのにそこに入っている魔力がとても少ない。高級料理で使うような皿の大きさに対して、魔力の可能体積量が反比例している。だから、人から見るときっとこれは少ない部類だろう。


私は、痛む体を起こしながら、そっと太陽の光が差し込む窓に目を向けた。 


 空が酷く青い。瞼をまともに開けられないくらいに眩しくて爽やかで、またいつもと同じ空だった。


 朝の訪れに祝福を呼び寄せて、遠くで小鳥たちが歌っている。


 飾り窓から溢れる生命の強さに涙がこみあげてくるが、それをぐっと抑え込んで、気怠い体を引きずりぬがらベッドから起きた。すっかりとあちらこちらに穴が開いていたりして、ぼろぼろとなった制服を脱ぎ捨てると、一度体を清めようとシャワー室へと足を向けた。


蛇口を捻ればざぁっと音を立てて冷たい水が体を冷やす。あちこちにできた生傷がどうしてもしみる。次第に冷たいお水が温かいお湯に変わっていくのを感じながら、薄ぼんやりとしていた思考が整っていく。傷に沁みないように丁寧に体を石鹸で清めていけば、それをさっと流してシャワー室をあとにする。


 ぱりっとノリの利いた真新しい制服に着替えれば、まだ少しだけ動きの鈍い身体を解すように伸びをした。


 力をめいっぱい入れて腕を上に伸ばせば、一気に脱力する。濡れた髪をバスタオルで拭きながら、そっと洗面所に備え付けている大きな鏡を見た。本当にここに立っているのは18歳の少女なのだろうかと疑いたくなるような大人びた顔をしていた。酷く焦燥をしているのか、目の下にはひどいクマ。元々骨ばったい輪郭は痩せてさらに酷く細い印象だ。


(貴女は誰……?)


 純粋に思ってしまうほど、私の印象が私自身の中で大きく変化した。声に出したら終わりだ。自分が自分ではないようで、目の前の少女はいったい誰だったのかを疑問に思っては胸が軋む。紛うことなき私だというのに。私が……、私という存在が遠く薄れていくのだ。早鐘打つ心臓を落ち着かせるように深く吸って、吐いて。胸に響く痛みは落ち着かない。


 痛みを隠すように裾がぼろぼろで、すでに彼方此方すすだらけの黒いフード付きのローブを真新しい制服の上から羽織った。


「――……ッ?!」


 ローブのポケット。コロンと手のひらサイズの何か固いものが入っているのに気が付くと、そこに手を入れて取り出す。手のひらにはコロンと転がる、丸い塗香水。小さく息を飲むと、これを渡してきたあの可愛らしい笑顔を思い出してしまった。せっかく止めたはずの固く苦いものが再び喉元までこみあげてくる。次第に熱くなってくる目頭に力を入れて、持っている塗香水を両の掌でしっかりと握りしめた。手を組んで、祈るように額にそれを押し付けると、手のひらから微かに香る華やかな香り。


『この練香水、貴女にぴったりだと思うの。髪も金色で、瞳が緑色で。とてもそっくり』

 それは、何回目かの彼女との街めぐりでのひと言だった。思い出にいる彼女の元気な声が脳裏に響き渡る。それだけでぎゅっと組んだ手に力が入った。ぎりぎりと強く握りしめたからか、手に爪が深く食い込んでいく。じんわりと広がる痛みのお陰か、逆だった感情が次第に落ち着いた。同時に、肩に張っていた力が解けていけば、額に組んでいた手をそっと下して、手のひらに包んでいたのものを改めて見つめる。


 数秒だけ、見つめあった練り香水の蓋を怠惰に開けて、指で香水を手首に塗る。薄く伸ばしただけだと言うのに、目立つ香りはやはり私には似ていない、と苦笑いを浮かべてしまった。


 軽く塗るだけでいい。目立つ香りはつけすぎると鼻に悪い。そう思って、すぐに蓋を締めると再度ポケットにそっと落とした。大切にコロンと転がして、そこにあるのを確かめる。そこに確かにある。その存在だけで前を向ける。


 次いで、外の様子を見ると子どもたちがわらわらと歩いているのが見える。全ての子が私と同じ黒いローブを羽織っている。それだけで時間が迫っていることを確認できた。酷使してぼろぼろになった杖を、腰に下げてある、これまた同じようにぼろぼろになった杖ケースにしまう。そうして再度鏡と向き合った。


 重なる同じ色の瞳には光が差さずにひどく濁っていた。それでも折れない強い意志が見え隠れすると、瞳の持ち主は安心するのだ。きっと今回が最期だろう。手首にあたる金属製の腕輪をちらりと見る。己の中に残っている魔力と、腕輪の中に閉じ込められた魔力。大きな魔法を使えるとしても1度か2度。授業で使用する程度で出し惜しみをするのであれば20回分。供給相手、または使い魔を見つけない状態で使い切ってしまえば終わる。


 背水の陣とはまさにこの事か。繰り返したあの日々を思い出し、今回で全てを賭けなければならないと胸に焦燥感を抱きながらも、じんわりと背後から立ち込める不吉な黒い影を踏みつけた。ここまで来たのだから、ここで立ち止まることは出来ない。


 深く深く息を吸って、深く深く息を吐いた。それと同時に溜め込んだ苦しい気持ちも空気に逃がしていくように想像する。それだけでふっ……と少しだけ軽くなる感情。元気付けられるような華やかな香りに、鏡の前の人物は先ほどの酷く大人びた顔ではなく、年相応の女の子となった。

「――私がどうなろうと、貴女だけは絶対に助けるから」

 

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