ショートショート セルフコミカライズ作品集

花水 遥

人生へようこそ

 微弱な頭痛を感じて目を覚ますと、見慣れない天井が視界に入った。

 自分がベッドの上で眠っていた事に気づき、慌てて体を起こすとそこは知らない部屋だった。

 壁には本棚に敷き詰められたハードカバー本、歪んだ額に入れられたひまわりの絵。

 下部が半円形になっているテーブルの上には、やかんとワイングラス。

 一体何故私は知らない家で眠っていたのだろうか。

 そもそも、私は誰なのだろうか?

 自分の名前や顔すら思い出せない。

(とりあえず、顔でも洗おう)

 ベッドから出た私は、リビングから洗面台へと向かう。

「なんじゃこりゃ」

 自分の顔を見て、無意識に出てしまった言葉だった。

 何故自分の顔に疑問を持ったのかすら、私には分からない。

 ただ、鏡に映る黒髪の女が自分であると言われて納得が出来なかった。

 まだ続いている微弱な頭痛、きっと頭を強く打って記憶が混濁しているのだろう。

 己が目に映る現実全てに違和感があり、私は頭を抱える。

「病院に行こう」

 それが、今の私に取れる唯一の手段だった。

 もし仮に今日行うべき予定があったとしても、その予定すら思い出せないのだ。

 六角形のなんとも握りにくいドアノブを回し、玄関から外に出ると私は私が思っていた以上に重症である事を知った。

「……なんじゃ、こりゃ」

 道路を走る馬車や軽自動車。

 空を飛ぶドラゴンや巨大な船。

 武士のような恰好をした人や宇宙服を着た人等、雑多な服装の人々。

 それぞれの名前や使い方は知っているが、それらが混在しているこの世界を私は到底受け入れられなかったのだ。

 まるで、ワンダーランドに迷い込んでしまったかのような感覚に私は、再び頭を抱える。

 目の前の意味不明な現実も大概だが、ワンダーランドに迷い込む事などあり得ない。

 記憶喪失な自分よりも、私は眼前に広がる現実を信じる事にして病院を探す事にした。

 

 精神科の診察室にて、医師は私に質問する。

「本日はどのような症状で、ご来院されたのでしょうか?」

「どうも、記憶喪失みたいなのです」

 頭を抱える私に白衣を着た医師は、表情一つ変えずに質問を続ける。

「なるほど、セーラー服を着ているし学生さんかい?」

「いえ、学生では無い気がします」

「では、お仕事は何をされているのですか?」

「さぁ……?」

「自分の名前はともかく、仕事すら思い出せないなんて重症だ」

「仕事をしていない、かもしれません」

 私の言葉に、今まで表情一つ変えなかった医師は大声で笑った。

「はっはっは! それはあり得ないでしょう!」

「仕事をしていないのは、そんなに可笑しいですか?」

「ええ、仕事をしていなければ生きていけないですからね」

「そうですか……」

 では、私は一体どんな仕事をしていたと言うのだろうか?

「記憶喪失なら、丁度いい。街を歩いて色々なお店に行って見ると良いでしょう。そうすれば、きっとご自身の仕事も思い出すはずです」

「そうしてみます。ありがとうございました」

 頭を下げて、帰ろうとする私を医師は呼び止めた。

「ちょっとちょっと、記憶喪失だからって支払いまで忘れたとは言わせないよ」

「支払いですか?」

「そうだよ。メダルか紙切れを持っていないかい?」

 医師に言われて、私はスカートのポケットを漁ると一枚のカードが出て来た。

「これでしょうか?」

 手に持つカードを見た途端、医師は目を輝かせた。

「それは何でも手に入る魔法のカード! そのカードを持っているとは、とても素晴らしいお仕事をしているに違いないですよ!」

 私を呼び止めた医師はカードを見るなり、快く見送ってくれた。


「お腹が減ったな……」

 気が付くと時刻は正午を少し回っており、朝から何も食べていない私は手ごろな料理屋を探す事にした。

 すると、美味しそうな匂いを漂わせる一軒の屋台が目に入った。

 『ハンバーガーショップ』と書かれた屋台に私は足を止める。

「いらっしゃい。ハンバーガーを食べるかい?」

「ハンバーガーとは、何ですか?」

「ビーフと呼ばれる四足歩行の生物をステーキにして、それをパンに挟んだ食べ物さ」

 そう言って、屋台のおじさんは慣れた手付きで鉄板で焼いたステーキをパンに挟むと、

「そして、この特製ソースを掛けたら完成さ」

 こげ茶色のソースをハンバーガーに掛けた。

 パンの上からソースを掛けられたハンバーガーは、絶対に手にソースが付く食べ物。

 手が汚れるなーと受け取れずにいると、そんな私を見ておじさんは笑った。

「みんな同じ反応をするんだ! ハンバーガーっていうのは、手を汚さないと食べられない食べ物なんだ」

「どうして、手を汚れないように作らないんですか?」

「さぁ? 何でだろうな?」

 私は手が汚れる前に魔法のカードをおじさんに見せてから、ハンバーガーを受け取った。

「……美味しい」

 魔法のカードを見せただけで、こんなに美味しいものが簡単に食べられる。

 この世界は素晴らしい世界だ。

 その後、私は魔法のカードを使ってオシャレな服を買い、気になった物を買い、贅沢の限りを尽くした。

 店員さんは皆、魔法のカードを見せた途端に最高の笑顔で最高のサービスを提供してくれた。

 何でも手に入るそれは正に、魔法のカードだった。


 街を散策していると、街の外れにある大きな河川敷が視界に入った。

 河川敷には数名の人が這いつくばって、何かを探している様子だった。

 気になった私は、河川敷へ立ち寄る事にした。

「一体何を探しているの?」

 河川敷で何かを探していた少年に声を掛けた。

 すると、少年は視線を砂利に向けたままぶっきらぼうに答えた。

「メダルを探してるんだ」

「それが君の仕事なの?」

「そうさ。メダルを持って行けば食べ物と交換してくれる。メダルを見つけられないと、オイラは飢えて死んじまう」

 泣きそうな顔で私を見上げる少年は、街で生活人々とは比べ物にならない程粗末な服を着ていて、頬は痩せこけていた。

「君はこのカードを持ってないの?」

 そう言って、魔法のカードを見せると少年は激怒した。

「おいら達みたいのが持ってる訳ねぇだろ? 見下したいなら他所の川に行け?」

「痛っ」

 少年に石を投げられた私は、逃げる様に帰宅した。

 一体、何が少年をそこまで怒らせたのか私には分からない。

 記憶を取り戻せば分かるのだろうか……。


 帰宅すると、部屋に置いてあった電話機が耳障りな音を鳴らしていた。

 街で買い物した品々床に置いて、慌てて受話器を取ると聞こえて来たのは低い男の声だった。

『おい? テメェ今までどこほっつき歩いてやがった?』

「え、え……えっと」

『早く店に顔出せ!』

「いや、店って……どこですか?」

『はぁ? 寝ぼけてんのか? テメェの家の裏だよ! 分かったらすぐに来い!』

 そう言って、受話器の向こう側の相手は乱雑に受話器を叩きつけた。

 どうやら、私の仕事が何か分かる時が来たらしい。

 家の裏にある店に向かうと、店の外には赤いドレスを着た女性が立っていた。

 派手な化粧が目立つ赤いドレスの女性は、私を見つけると優しく微笑んだ。

「あんた、逃げたのかと思ったわよ」

「すみません。どうも記憶喪失みたいで……」

「ふーん」

 訝し気に目を細める女性。私は息を整える。

「とりあえず中に入りな。今日のお相手は――――様だよ」

「え?」

 女性に背中を押されるようにして、店の中に入るとそこには激怒した店主らしき男性と、見るだけで吐き気が込み上げてくるような醜い生物が居た。

 その生物を形容するなら、黒い毛で覆われた二足歩行の人間モドキだろう。

 人よりも一回り大きいソレは、私を見るなり両手を広げた。

「ひっ!」

 思わず、半歩後ろに飛び退く私を見て、店主と女性は驚きのあまり言葉を失った。

 直度、正気に戻った女性は私の胸ぐらを掴み平手を上げた。

「ちょっとあんた!」

「教えてください! 私の仕事って何なんですか!」

 瞳を閉じて声を荒げる私を諭すように女性は言う。

「あんた、分かってて来たんじゃないの?」

「記憶が無いんです!」

「……そう。あんたの仕事は――――様のお相手をする事だよ」

「お相手って、一体何を……」

「いいから、あんたは――――様の言う通りにしなさい」

「――――っ!」

 女性を突き飛ばして、私は逃げ出した。

 一体私の仕事が何だったのか、想像したくもない。

 仕事から逃げ出しても、私に不安は無かった。

 何故なら、私には魔法のカードがあるから。

 ポケットから取り出した魔法のカードを抱きしめて、私は夜の街を走った。


 一月後、黒いスーツの男達がやってきて私から魔法のカードを取り上げた。

 支払い能力の無い者に持たせられないと言っていたが、私には意味の分からない言葉だった。

 カードを奪われた私は、黒いスーツの男に連れ出された。

 気が付いたら、私は法廷に立っていた。

 裁判官のような男が、木槌を打ち付けて静粛を促す。

「只今より、被告に判決を言い渡す」

「ちょっと待って下さい! 私が一体何をしたって言うんですか!」

「被告は、支払い能力が無いにも関わらず、魔法のカードを利用した」

「確かに魔法のカードは使いました。けど、みんな喜んでたじゃないですか!」

「更に、被告は従事していた業務から逃亡し、一ヶ月間もの間不労を状態であった」

「確かに仕事には行きませんでしたし、他の仕事も探さなかったけど、それがそんなに悪い事なんですか!」

「よって、被告には死刑判決を言い渡す」

「ふざけるなぁ?」

 プツンッ――。

 という音と共に視界が真っ暗になった。

 もし仮に私に死刑が執行されたのなら、視界が真っ暗になっても意識がはっきりとしているのは不思議だった。

 漆黒だった視界が、ぼやけを残しながら徐々に白んでいく。

 眩い白光の元で私は仰向けで眠っていたようだ。

 視界の中で、人影が私を見降ろしていた。

 それは頭部に一本の触覚を生やした見慣れた顔。我らヨーグル星人の顔。

「気分はいかがでしょうか?」

「ああ、最悪な気分だよ」

「皆様そう仰られます」

 微笑む女性に私は悪態の一つも吐いてやりたかった。

「お客様に体験して頂いたのは、約五千年前にこの地球に生息していた人間と呼ばれる生き物の生活です」

「あんなに『仕事』を大事にする生き物だなんて、想像するだけで恐ろしい。心底この時代に産まれて良かったと思うよ」

「ええ、皆様そう仰られます」

 そう言って、人間歴史博物館のボランティアスタッフは、にっこりと笑った。

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