第26話 最愛の婚約者
「そんな……では、ロベリアは……ロベリアはどうなったのだ……?」
最後の希望に縋るようなエイドリックの言葉に、ルシアンが思い出したように反応した。
「ああ、あの女は今牢屋に入っているよ」
「牢屋ですと!?」
「だって、昨夜——」
ルシアンは昨夜のことを思い返す。
数日前にロベリアからアマリリスのことで相談があると、メモ紙を密かに渡された。真っ先に考えたのはどうやってこのチャンスを活かし、ロベリアを排除するかということだった。
『いや、むしろロベリアが来るのを待っていたよ』
『本当ですか? 嬉しいです……!』
一瞬だけロベリアは表情を固めたが、頬を染めて喜びルシアンの私室へと足を踏み入れる。ネグリジェの上にガウンを羽織っただけの装いは、夜遅くの訪問だとしても不適切だ。
(ふふ、わかりやすいなあ……僕はその方が助かるけれど)
ルシアンは獲物がかかった喜びを抑えながら、ロベリアをソファーへ座らせた。
『それで、アマリリスに関しての相談というのはなに?』
『実は……お義姉様に隠れて意地悪をされているのです。ずっと部屋に立たされていたり、何度も何度も無駄な用事を言いつけられたりしています。ですから、お義姉様はルシアン殿下の婚約者としてふさわしくないと思うのです!』
『そう……だったんだ。それはつらかっただろう』
嘘にまみれたアマリリスの悪口を聞くのは、ルシアンにとって業腹だった。しかし、確実にロベリアを排除するためにはここで耐えなければならない。この先の行動を促すためにも努めて優しく振る舞う。
『本当はこんな格好でルシアン殿下の前に来るのも、とても恥ずかしかったのですが……お義姉様が許してくれなくて……』
そこまでアマリリスのせいにするのかと、ルシアンは感心した。ロベリアはとことんアマリリスのせいにして、男の庇護欲を誘う作戦のようだ。
(まあ、普通の男だったら効果があったかもしれないけどね……)
あいにくルシアンはアマリリスにしか興味がない。そしてアマリリスを害する存在は徹底的に排除するつもりでいる。そのために非道な手段を使うことに抵抗はなかった。
『ルシアン殿下。明日の婚約者のお披露目をお考え直しください。どうかお願いします。そのためならわたしは……どんなことでもいたします』
『どんなことでも……?』
『わたしがお義姉様の代わりに、心も身体もルシアン殿下に捧げます。どうかそれでお許しください』
そう言ってロベリアはルシアンの身体に手を伸ばし、着崩れたシャツの間に手を入れてきた。
『……罪だな』
『罪ですか? お義姉様を裏切ることが、ですか?』
『いや、お前だよ。許可なく王族の身体に触れた罪だ。ロベリア・クレバリー、お前を不敬罪で処罰する』
『えっ! そんな、どういうことですか!?』
ルシアンの不敬罪という言葉で、近衛騎士が部屋へ雪崩れ込んできた。ロベリアは一瞬で拘束されて、喚きもがいている。
『ルシアン殿下はわたしを好きになったはずでしょう!? どうしてわたしが捕まるの!? ねえ、どうして!?』
『どうもこうも、いつ僕がお前を好きだと言った?』
『嘘よ! だってあんなに優しく見つめてくれたのに……!』
『僕が愛するのはリリスだけだ。だからリリスの敵を排除しただけだよ?』
ようやくルシアンの本性に気が付いたロベリアは、ハクハクと口を動かすだけで言葉が出てこないようだった。それにも興味がないルシアンは、ロベリアが触れたところを清掃するように命じて翌日に備えて眠りについた。
「夜遅くに王太子の私室にやってきて関係を迫ってきたんだ。不敬罪になるに決まっているでしょう? そもそもリリス以外に興味すら持てないのに、悪手もいいところだよ」
「そ……馬鹿な……こと……」
エイドリックはなにかをブツブツと呟いていたが、近衛騎士に連行され会場は水を打ったように静まり返る。
「さて、余興は以上だ。リリス」
途端に甘さを含んだ声でルシアンがアマリリスを呼び寄せる。やっと心置きなく自分のものにできると、ルシアンは満面の笑みを浮かべて高らかに宣言した。
「僕の最愛の婚約者アマリリス・クレバリーだ。彼女とふたり、この国のために尽力していくと、ここに誓う」
ルシアンの宣言で会場は歓声に包まれた。
「さあ、リリス。ここからは僕がエスコートするよ」
「はい、ルシアン様。よろしくお願いいたします」
「本当は今日も最初から僕がエスコートしたかったのに……」
「これからはルシアン様だけですわ」
少し拗ねていたルシアンがアマリリスの言葉にふんわりと笑みを浮かべる。それは背後から黄色い悲鳴が上がるほどで、アマリリスもその笑顔に心臓がおかしなことになっていた。
(待って、待って、待って! こんな麗しい表情で見つめられたら、心臓が止まっちゃう!!)
心の中ではのたうち回っていても表情には出さずに、アマリリスはルシアンにエスコートされダンスを踊りはじめる。
クルクルと回りながらステップを軽やかに踏み、優美なふたりは会場の視線を集めた。ルシアンはアマリリスが自分のものだと見せつけたくて、耳元で愛を込めて甘く囁く。
「リリス」
「はい、なんでしょう?」
「君だけを愛してる」
「…………っ!」
突然のルシアンの愛情表現に、アマリリスはこらえきれずクールな表情を崩した。
頬は薔薇色に染まり、琥珀色の瞳は潤んでシャンデリアの光を反射している。いつもはまっすぐな眉尻を下げてアマリリスはルシアンを見上げた。
「うわっ! その表情、他の男に見せないで!」
「え? どうしてですか? こんな風にしたのはルシアン様なのに」
「ダメ、絶対に他の男に見せたくない」
珍しく余裕がないルシアンは素早くダンスフロアから抜け出し、誰もいないバルコニーへやってきた。途中、アマリリスに見惚れた男たちに氷のような視線を向けて牽制しながらきたが、ルシアンを焦燥感が襲う。
「リリス。いますぐ結婚しよう」
「えっ! それは無理です。妃教育も終わっていませんし、今日お披露目したばかりですし」
「いや、僕が無理。あ、それなら行動範囲を限定してもいい? 他の男に会わない範囲なら許せるかな」
「あの、ルシアン様。それは無理があります」
「だってさ、リリスのあんなかわいい表情見せたら、他の男が惚れちゃうでしょう!? 僕のリリスなんだよ!?」
アマリリスは甘い気持ちから一転、なぜそうなるのかと頭が痛くなる。
そもそもルシアンがあんなところで愛の言葉を囁かなければ、アマリリスは落ち着いた気持ちのままだったのだ。
「それでは、むやみやたらに愛の言葉を囁かないでください」
「うっ、でもさあ……リリスに伝えたくなるんだよね」
「ではふたりきりの時だけにしてください。そうでないと、平静を保っていられません」
「……それって、つまり」
ルシアンはハッとしてアマリリスをジッと見つめる。
「それだけ僕を好きってことだよね?」
「……知りません!」
「ふうん、そっか。ふふ、そんなに僕が好きなんだ」
「…………」
ルシアンの花が咲くような極上の笑顔に、アマリリスの心臓が暴走しているのを悟られたくなくて背中を向ける。
そのまま背中から抱きしめられて、アマリリスは抗議したくて斜め後ろのルシアンを見上げた。
その瞬間、熱く柔らかなルシアンの唇が降ってきて、心臓だけでなく身体中が燃えるように熱くなる。
ルシアンの深い愛を受け止めて、それしか考えられない。
やっと解放された頃には、クラクラとする頭でルシアンをうっとりと見上げていた。
「リリス、すぐに結婚しよう。もう絶対に誰にも渡したくない」
「……は、い」
妖艶に微笑むルシアンを見てアマリリスは思った。
(やっぱり腹黒教育なんてもう必要ないわ——)
その後、テオドールはすぐに正式な手続きを取り、クレバリー侯爵家の当主となった。モンタス辺境伯はテオドールが正当な後継者だと認められたことを喜んでくれて、年に一度顔を出すことを条件に退団に応じてくれた。
すでに王城で働いている使用人たちには、屋敷に戻るか確認して希望に応じて職場を用意している。
アマリリスはクレバリー侯爵家が没落する前に取り戻せたことで、ケヴィンたちにも義理を果たせたと安堵した。
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