第25話 正当な後継者
フレデルト王国の婚約者が正式に発表される夜会には、国中の貴族はもちろん近隣の国からも外交官や高官、王族たちが参加していた。
王城でも一番格式のあるホールが会場となり、優雅な音楽を聞き流しながら貴族たちが親交を深めている。
ゆっくりと会場の扉が開かれ、アマリリスはパートナーと共に一歩足を踏み出した。大理石の床を進むたび、カツンとヒールが音を立てる。
淡い紫のドレスには金糸の刺繍がびっちりと施され、イエローダイヤモンドのアクセサリーがアマリリスを煌びやかに飾っている。身体のラインに沿ったドレスは、女神のように均整の取れたスタイルを引き立てていた。
真紅の髪は左肩へ流され、小さな黄色の花飾りが散りばめられている。シャンデリアの明かりを反射した琥珀色の瞳は、気高く真っ直ぐに前を向いていた。
アマリリスたちが会場を進んでいくと、今までのざわめきが嘘のように貴族たちが静まり返っていく。アマリリスをエスコートしているのはルシアンではなく、その様子を見たパートナーの青年が楽しそうに呟いた。
「随分注目を浴びているな」
「仕方ないわ、テオ兄様が素敵なんですもの」
「いや、どちらかというとリリスが美しすぎるからだろう」
見覚えのない精悍な青年がルシアンの婚約者であるアマリリスをエスコートしているので、フレデルト王国の貴族たちは会話も忘れてどういうことかと必死に思考を巡らせている。
テオドールを知るリオーネ王国の外交官たちだけが、穏やかな瞳でふたりを見守っていた。
そんなふたりを見て、誰よりも顔を青くしたのはテオドールを追放したエイドリックだ。
(あれは……まさか、テオドールか!? しかし、入国拒否にしていたはずなのにいったいなぜ? もしかして……アマリリスが手を回したのか!?)
エイドリックは必死にロベリアを探した。三日前にアマリリスの侍女となったロベリアから、今日の夜会で嬉しい発表があるはずだという内容の手紙を受け取っている。
だが、エイドリックがどこを探してもロベリアの姿は見つけられなかった。
(ロベリアはどこだ……!? もしや、ロベリアが婚約者として発表されるのか! それが嬉しい発表なのか……!)
それならば婚約者としてルシアンと入場するのかもしれないと、エイドリックは胸を撫で下ろす。テオドールの姿を見て焦ったが、ロベリアがルシアンを奪ったのだと思い至り王族の入場を待った。
それから程なくして王族の入場となり、貴族たちの視線はルシアンに集中した。
黒いジャケットには金糸の刺繍で縁取りされ、血のように赤いシャツが覗いている。アマリリスとテオドールはそんなルシアンの衣装に苦笑いしていた。
「おい、あの衣装でよかったのか?」
「私も進言したけれど、ルシアン様が絶対に譲れないっておっしゃったのよ」
「そうか……まあ、計画に支障がないなら問題ないが」
「……そうね」
アマリリスは短くため息をつく。ある計画のため今日だけは衣装について意見を述べたのだが、ことごとくルシアンに却下されたのだ。それでも周りの反応を見れば問題なさそうなので、このまま流れに身を任せることにした。
国王が席の前に立つと、開始の言葉を高らかに宣言しはじめる。
「本日は王太子ルシアンの婚約者披露の夜会への参加に感謝する。そこでこの場を借りてルシアンより重大な発表があるゆえ、ご静聴願いたい」
するとルシアンは国王の隣に立ち、艶やかな笑みを浮かべた。貴族たちの視線を集めたルシアンは王者たる風格で、凛とした声を響かせる。
「本日は婚約者披露の場にお集まりいただき、感謝いたします。婚約者の紹介の前に、皆様に余興をお楽しみいただきたい。クレバリー侯爵、こちらへ」
ルシアンに指名され、胸を張って自信たっぷりに前に出るエイドリックを見たアマリリスは薄く笑う。
「では、リリスとテオドール殿もこちらへ」
ルシアンがアマリリスを愛称で呼んだことに、エイドリックは不思議そうな顔をしている。それこそが計画がうまく進んでいる証であった。
「実は、僕の婚約者が不遇な環境で過ごしていて、その事実を明らかにし正しい形に戻したいと考えている。この場を借りたのは、婚約者を苦しめた犯人を処罰し彼女の名誉を完全に復活させるためだとご理解願いたい」
ついに始まった。アマリリスとテオドールにとって、本日のメインイベントとも言える断罪の幕が上がった。
エイドリックからは先ほどまでの高揚感がすっかり消え去っている。その様子をアマリリスは冷めた心で観察していた。
(あら、ようやくこの状況が理解できたのかしら? この場の婚約者が誰なのか、処罰の対象が誰なのか——)
アマリリスの思考に応えるようにルシアンが話を進めていく。
「それでは、テオドール。十四歳の時になにがあったのか、今までどうしてきたのか証言を頼む」
「はい」
ルシアンの声掛けでテオドールが一歩前に出る。
八年もの間、苦境に耐え鍛え上げた身体は凛とした佇まいで見る者を魅了した。何度も死線をくぐり抜け生き延びたテオドールの孤高の瞳には、絶対的な自信が宿っている。
「俺が十四歳の時に両親が事故で亡くなり、養子に出すと言われましたが実際は身ひとつでリオーネ王国へ追放されました。それから冒険者になり、剣の腕を見込まれてモンタス辺境伯の騎士団へ入団しました。必死に努力し現在は辺境伯の騎士団長としてお役目を果たしております」
「それについては、リオーネ王国からすでに冒険者登録や騎士団への入団書類の証拠資料を受け取っている。クレバリー侯爵、これはどういうことかな?」
「いえ、なんのことだか……八年も前のことですから記憶にございません」
突如ルシアンに名指しされたエイドリックは、そう言うだけで精一杯だった。だがそんな言い訳をルシアンが許すはずもなく、さらに追い詰められる。
「そうか、記憶にないのなら思い出してもらおう」
ルシアンの凍てつく視線を浴びたエイドリックは、顔面蒼白で今にも倒れそうだ。カッシュがルシアンに書類の束を差し出しすと、一枚ずつ読み上げていく。
「当時の入国審査員の証言。マイケル・サントンはクレバリー侯爵からテオドール・クレバリーの入国拒否の申請を受けつけた。しかし明確な理由がないため申請を却下すると翌日には部署異動となり、後任にベルナール・トストマンが任命され申請を受理。後日トストマンの借金が一括で返済され、同等の金額がクレバリー侯爵の小切手で換金されている。借金の返済と引き換えに入国拒否の申請を通すように依頼されたとトストマンは証言している」
「そっ、そんなこと……っ!」
「少し前のことだったから調査に少々手間取ったけれど、すべて物的証拠もあるし証言も取れている。思い出したかな?」
エイドリックはどうやって言い逃れたらいいのか必死に考えているが、頭の中はパニック状態で考えがまとまらない。なぜこんなにも証拠が揃っているのか不思議でたまらないし、トストマンが証言したのが納得できなかった。
「その証拠や証言は捏造ではないのですか!? 八年も前のことです、今更そんなもの——」
「捏造ではありません。小切手の控えは私がクレバリー侯爵家に保管していたものですし、証言はカッシュ様とルシアン様も同席されて聞き出したものです」
アマリリスはここで口を開いた。
エイドリックを完膚なきまでに叩き潰すため、クレバリー侯爵家の正当な後継者が誰なのか知らしめるため、アマリリスはルシアンに促されて大きく動く。
「リリス、続けて」
「私は兄たちが養子に出されたと聞かされ、それから使用人のように仕事をこなしていました。やがてクレバリー侯爵の政務も手伝うようになり、主に帳簿の管理や書類の作成を任されていました。そこでクレバリー侯爵の杜撰な領地経営や、脱税の証拠を見つけました。屋敷にある直系しか開けられない隠し部屋に証拠を保管してあります」
「うん、それは間違いない。家令ケヴィンの協力のもと僕とリリスで侯爵の執務室にあった隠し部屋を調べたから」
エイドリックは大きく目を見開き、アマリリスを振り返る。執務室の隠し部屋の存在をエイドリックは知らなかったのだ。それは正当な後継者にしか知らされないクレバリー侯爵家の秘密で、テオドールが養子に出される前にアマリリスにこっそり教えてくれた。
「当主の許可なくそのようなことを……!!」
「黙れ。未成年である甥を国外へ追放し、その後もクレバリー侯爵家で不正を働いた者を当主と認めない。ただいまを以て当主にはテオドール・クレバリーを任命する」
「……っ! そんな、横暴だ! 国王陛下、これが忠誠を誓ってきた家臣に対する仕打ちでございますか!? それにアマリリスが聞き出したという証言だって信憑性はないでしょう!?」
ルシアンの当主変更の命令にエイドリックは当然のように異議を唱えたが、国王は冷酷な視線を返し淡々と告げる。
「脱税をする家臣が忠誠を誓ってきたとはおかしなことを言う。アマリリス嬢はその手腕によって、ルシアンに害を為した犯人を見つけ出しており、実力は間違いない。そのような才女を虐げてきたお主の行動こそが、この国に損失を与えているのだ」
国王からも容赦なく切り捨てられ、エイドリックはガックリと床に膝をついた。
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