2章 お弁当を作るのは合法(2)
「おー、賑わってる賑わってる」
日曜日、俺は隣街の端っこまでやってきていた。あちらこちらに『紫陽花まつり』ののぼりが並び、その名に違わず色とりどりの紫陽花が咲いている。
街中の散策ルートからちょっとしたハイキングコースまでの一帯を会場として、道中に咲いた紫陽花を楽しむ――的なイベントがここでいう『紫陽花まつり』らしい。
「……ほんとだ、同年代のカップルも結構いるんだな」
つい、そうつぶやいてしまう。
名前だけは知っていたこのイベントについては、年齢層高めの落ち着いた大人の人たちばかりが来るものだと思っていた。
実際は、自分のような十代やすこし上の二十代もいて、あちらこちらで写真を撮っては楽しんでいる。なるほど、草壁さんの言っていた通り映えるから人気なんだな。
「…………」
草壁さん、といえばもちろんあのときの話を思い出してしまう。中学時代の雷原さんにまつわるあれこれ。
……雷原さんが『わたしのお世話は、結局最後には迷惑をかける』と言っていたことの意味がわかった。あんな経験をしていれば、たしかにそう思ってしまうのも無理はない。
草壁さんもトラウマになっている様子だったが、雷原さんにしたってそうなのだろう。
……なんとか、力になってあげられればと思う。
「地藤さ~ん!」
「雷原さん、おはようございます」
そんなことを考えていると、ちょうど彼女がやってきた。地雷系ファッションが今日も完成度の高い、雷原さんである。
「ごめんなさい、お待たせしてしまってっ」
「いえ、俺が早く来ていただけなので」
まだ待ち合わせの十五分前。来たことのない場所だったので、俺も早めに家を出たのだ。
「天気も大丈夫そうでよかったです」
「はいっ! お花も綺麗ですねぇ」
周囲を見渡しながら、朗らかな表情を浮かべる雷原さん。
「ですね」
相槌を打ちながら、思い出す。
それは、草壁さんが水やりの終わりしなに言ったことだ。
『……雷原さん、さ。…………優しくて、綺麗で、あったかくて、……アタシ、すごく感謝していて』
『でも、だけど……今になってあの夏のことを思い返すと、……ごめん、……アタシ、どうしても……』
『――自分たちとは別の種類の生き物といっしょにいた、としか……思えないの』
「……地藤さん? どうかされました?」
「…………いえ。早速、歩いてあちこち見て回りましょうか。……あ、雷原さん、お荷物お持ちします」
「いえそんな! じ、自分でこれは持てますので」
「重そうですから。はは、店長に言われているんですよ、女性に荷物は持たせるなって」
なんて言い方でもしない限り、渡してくれなそうだったので、叔父さんごめん。……そのようなこと言ってたよなたぶん。言ってた言ってた、言ってたということでひとつ。
「見栄だけ張らせていただけると」
「……すみません、ありがとうございます」
はにかむ彼女から肩下げのバッグを受け取る。……ん、結構ずっしりしてるな。やっぱり持たせてもらってよかった。
「ごめんなさい、その、男性と出かけるときの作法に疎いもので……」
「俺もわかってないですよ」
放課後も土日もずっとバイト漬けだったので、女子とどこかに出かけた記憶はない。
「……ところで、このバッグ」
「え? ……あ、や、そ、それは……!」
中になにが入っているんですか、と俺が聞く前に雷原さんは慌て出す。
「……なんでも、ないんです! 別にそれは、なんでも……」
「……ほんとうですか?」
「…………え、ええっとぉ」
フラリフラリと視線をあちこちに彷徨わせ、その細く白い手を組んだり離したり組んだり離したり。
絵に描いたような挙動不審さだ。
このバツの悪そうな様子、そして重みの感じからして、……もしや。
「……お弁当とか、ですか。俺の分も含めて」
「っ、……っ、…………っ」
口をパクパクとさせ目を見開きプルプル震えた雷原さんは、やがてがっくりとうなだれた。
「で、出来心だったんです……!」
「い、いえ犯罪を犯したわけではないのですから……」
「だ、だって! ……人に甘える練習をしようという人間が! お弁当作ってきてどうするんですか!」
それは完全にその通りだ……。
「ごめんなさい、のっけからこんな……!」
「まだこうして出かけるのも二回目ですし、雷原さんらしさが抜けないのは仕方ないかと」
「でも! ……うう、わ、わかっていたんです! こんなことしちゃいけないって! ダメなことしてるって! で、でも、でも『誰かのためにお料理作れる』と思ったら、て、手が震えて、頭の中にドバドバと快楽物質が……! 気持ちよくて止まらなくてぇ!」
ダメなこと、手が震える、快楽物質、気持ちよくて止まらない。今の地雷系ファッションでそういうことを言うと、とても危ない感じがあるな……。
「お弁当を作るのは合法ですから」
「でも脱法です!」
「脱法ではないです」
そんな周りに聞かれたら誤解されそうな会話をしながら、彼女はその整った顔をクルクルと表現豊かに変化させる。
ともすれば近寄り難い美貌だけれど、とても親しみやすい人で。
「たしかに目的には沿わないですが、ありがとうございます、嬉しいです。さ、いろいろ見て回りましょう」
「す、すみません……そう言っていただけると……つ、次は気をつけますので……!」
……『自分たちとは別の種類の生き物といっしょにいた、としか思えない』か。
草壁さんがそうまで言った気持ちは、さすがにピンときていない。今、俺の隣に並んでいっしょに歩き始めたのは、人間味に溢れた女の子だ。
「でも、すごく楽しみです、雷原さんが作ってくださったお弁当」
「ほ、……ほんとうですかぁぁ……!」
「っ、え、ええ……」
……いや、その、このニィィィッとした妖しい笑顔だけは、たしかに人ならざる凄みがあるけれど。
「やっぱり多いのは家族連れの方々でしょうか。賑やかでいいですね」
隣を歩く雷原さんが、周りの様子をぐるりと見渡しそう言った。たしかに、いちばんのボリュームゾーンは休日の家族連れのように見える。
「ちょうどいい出かけ先なんでしょうかね」
「だと思います。……考えてみればわたしも、ここに来るときはいつも家族とでした」
「そうか、雷原さんは何度かいらっしゃったことがあるんですよね」
ここを行き先に提案したとき、そんなことを教えてくれた。
「はい。縁起のいいイベントだからって父が」
「縁起?」
「紫陽花の花言葉のひとつが『家族団欒』なんです。小さな花が寄り添い集まって出来ているから、だとか」
「へえ、なるほど」
知らなかった。しかし、聞けば納得だ。
「地藤さんは、初めてでしたよね」
「ええ、……こういうイベントとは縁遠くて」
家族団欒、ね。
美しい言葉だ。
「雷原さんのおかげで来られました、感謝です。……なんとか、今日こそお力になれるといいのですが」
「そんな! わたしこそ、今日こそがんばります!」
今日は前回のリベンジだ。目標は同じく、わがまま振る舞いの初歩の初歩、疲れたときに正直に「疲れた」と言うこと。
前回はそもそも、雷原さんが疲れなかったため挑戦すらできなかった。
しかし今回は、こうして紫陽花を楽しみながら歩いていけば、街中からちょっとしたハイキングコースまで行くことになるので、健脚の雷原さんといえどさすがにどこかで疲れてくるはず。
俺たちは花を眺め、とりとめもなく会話を交わしながら、順調にコースを進んでいく。
気がつけば街中を抜け、自然の匂いがグッと濃くなってきた。
「もうちょっと行った先に神社があって、そこに続く石段が名所のひとつなんです、脇にズラッと紫陽花が咲いていて。綺麗ですよ~」
「いいですね。せっかくだからお参りもしていきましょうか」
なんて話をして、しばし。
やがて目の前に現れたのは、かなりの威圧感を放つ長さと角度の石段だった。
「おお~」
話通り、脇に咲いた紫陽花の列は見事だ。そして、それはそれとしてとにかく鳥居が遠い。自分の口から漏れた小さな歓声は、果たしてどちらに対してか。
「なるほど、紫陽花を楽しむ時間がたっぷり取れるようになっていますね」
「ふふ、そうですね。石段の長さも名物のひとつかもしれません。……あ、疲れてしまったら途中でおっしゃってくださいねっ。無理せず休んでいきましょう!」
「……雷原さん」
「え? ……あっ。…………も、もちろんわたしも言いますね! はい、もちろん!」
あせあせと言葉を重ね、雷原さんは最後に力強く頷いた。
「……おぉ、角度ありますね」
実際に登り始めてみると、その急な傾斜を実感する。いい運動になりそうだ。
「そうなんですよ~。滑らないよう気をつけてください」
「ありがとうございます、そうします」
……流れるように気遣ってくれる人だ。もはや天性なんだろう。魂の形がそうなっているのだと思う。
「うえ~、もう無理! キッツ!」「つかれた~! も~!」「何段あんねんこれ!」
自分たちより先を行く大学生くらいのグループから、そんな声が降ってくる。一方で隣を見れば、
「あらあら……お荷物とか持ってあげるのは……、いきなり声をかけたら失礼かしら」
そんなことをつぶやく、見た目はか弱そうな地雷系ファッションの女の子。
……ツッコみたいことが複数あるな。
――でも。
自然の中にある神社、そこに続く長い石段。脇にはズラリと紫陽花が咲いて、降る木漏れ日がところどころを明るいトーンで塗り直す。
この幻想的ともいえる自然風景をバックに、それらと強く不調和なテーマの服装を纏う彼女の姿には、……こちらがつらつらと考えているそんなことなど、ともすれば吹き飛ばしてしまうほど濃密で魔性めいた美しさがあって。
「……地藤さん?」
「え、あ、……いえ」
思わずじいっと見つめてしまっていた。
……自分たちとは別の種類の生き物といっしょにいたとしか思えない、か。草壁さんのその言葉は、まさか見た目のことを言っているわけではないのだとは思う。
だが奇しくも俺もいま、「この人は精霊や妖精かなにかかもしれない」と感じてしまった。
「……よいしょ、っと。……着きました!」
「いい運動になりましたね」
石段を抜け、俺たちはようやっと境内にたどり着いた。高い場所に来たからか、登り切った解放感があるからか、それとも神聖な場所だからか、抜けていく風がひんやりとして気持ちいい。
「ええ、ほんとに! ふ~、さすがの長さでしたね」
お?
見た目とは裏腹な足腰の強さを持つ雷原さんだが、さすがに疲れが溜まった様子。
よし、いいぞ。前回と違い、条件的には「疲れた」と言えるところまで来た。
「……あ、地藤さん」
「はい」
さっそく来るか? 初歩も初歩だが、雷原さん的には大きな一歩の一言が――
「汗掻いてらっしゃいますねっ、ハンカチありますよ!」
ズッコケそうになった。違う、違うんだよ雷原さん。
「ありがとうございます。でも、自分のハンカチがありますので」
自分の汗で汚すのも申し訳ないのでそう断ると、雷原さんは見るからにシュンと残念そうな顔をした。……もし違ったら俺の恥ずかしい勘違いでいいのだが、あのまま受け入れていたら、彼女は手ずからこちらの汗を拭こうとしていた気がする。
ともあれ、雷原さんが疲れているのは間違いないだろう。
「雷原さん、お参りをしていきましょう」
「はい」
立ち止まって休んでしまっては意味がない。俺はそうやってすぐに次の提案をし、なるべくテキパキと動く。
お参りを済ませた俺たちに、次に待っているのはもちろん……、
「さ、今度はこれを降りる番ですね」
俺は石段を見下ろして言った。これでさらなる疲労も溜まるはずだし、そこまで歩けば「疲れた」の一言も言いやすくなるだろう。
「ですね~、がんばりましょうっ」
胸の前、両手でグッと握り拳を作る雷原さん。彼女とふたり、急で長い石段を降りていく。
「家族で来られたとおっしゃっていましたが、妹さんたちもたいへんではなかったですか? ここまで長い階段だと」
「ふふ、そうですね。でもここをすこし行った先に出店が並んだ広場があって、そこに早く行きたいものだから」
「ああ、なるほど」
弱音より食い気は、健全な証だ。
そういえばそろそろお昼時か。意識した途端に、ほんの小さく腹が鳴る。午前中から歩き詰めだったからな。
まあ俺のそんなことは今はどうでもいい。雷原さんの話である。
話をしながら彼女の顔をそれとなく確認すれば、うっすら汗が浮かんではいるようだった。この石段登り降りの前にもかなりの距離を歩いてきているので、疲れていないはずがない。
いっしょに歩く人が疲れるのを願うだなんて変な話だが、……『自分のお世話は迷惑を掛ける。だから変わらなくては』と肩を落として語っていた彼女の様子を思い出すと、そうせざるにはいられなかった。
「よっ、と」
そんな声をこぼしながら、やがて俺は最後の一段を降りた。登りと同じくらいの時間がかかったろうか。雷原さんも横並びでいっしょだ。
さて。
……雷原さん、疲れてませんか? と俺が聞くのはナシな気がする。彼女が自分から自分の要望を言ってこそだ。
なんて思っていると、
「地藤さん」
じっとこちらを見つめて、彼女が俺に声をかけてきた。
「……ごめんなさい、あの……」
わがままを言うことになってごめんなさい、のごめんなさいだろうか? よしよしよし、どうだ今度こそ!
「お腹! 空きましたよね! 気づかなくってごめんなさい~! 広場に行ってお昼にしましょう~っ!」
いい笑顔。
とてもいい笑顔だった。
……そうか、俺の腹の音が聞こえていたのだろうか。あまり大きくもないと思ったのだがよく気づいたな。
「いえ、あの、……ええと、雷原さん」
「はいっ」
はいっ、ではなく。
その顔にはやはりすこし汗も浮いている。『自分が休みたいけどそれを言い出せないから、人の空腹を理由に挙げている』みたいな可能性もなくはないが、……そういう人じゃない。それくらいは、いくら短い付き合いの俺にだってわかる。
単に、とにかく、自分の疲れよりも誰かの空腹が気になってしまう性質なのだ。
「………………あ。いえ、あの、そうだ、ええと、これじゃダメなんだ、ええと、ええと」
自分でもまた気づいたらしい雷原さんは、あたふたと慌て始める。
「疲れ、うん、疲れ、そう疲れている気はする、自分の疲れを口にする、休みたいって言う、自分が休みたいからそうしようって、うん」
小さく自分に言い聞かせるようにつぶやく雷原さんだが、
「……すみません、お恥ずかしい」
最悪なタイミングで、俺の腹が大きめに鳴る。
「いえっ、そんな! ……でも、その、……やっぱりお腹空いてますよね……。お弁当、足りると思うのですが、同年代の男性がどれくらいお食べになるかわからなかったので……うーん」
「ええと、その」
「足りなかったら、地藤さんが召し上がっている間にわたし、出店で何か買ってきますね! 何がいいでしょう、いろいろあるんですよね~」
もう完全に俺の腹が空っぽなことで頭がいっぱいの雷原さんだ。
う~~~~~~ん。
……失敗か。
「またしても不甲斐なく……お恥ずかしい限りで……」
地雷系ファッションの特徴的なシルエットが、ズーンと肩を落としてうなだれている。「疲れた」と言うチャレンジ失敗に落ち込んでいるのだ。
「いえ。……そんなに落ち込まないでください、それだけ雷原さんの悩みが深いということなので」
広場のテーブル付き休憩スペースで向かい合って座りながら、俺がそう声をかけると、顔を伏せたまま雷原さんはポツリと言った。
「……なんにもないんです、わたし」
「え?」
「こんなに他の人のことばかり気になるの、それにばかり心が行ってしまって自分自身のやりたいことが他にないの、……なにか理由やきっかけがあるわけじゃないんです。……たとえば両親に甘えられない環境で育ったとか、そういうの一切ないんです」
「…………」
「わたしは、恵まれています。我ながら、幸せな家庭で育ててもらったと思います。だから、だから、……なのにどうしてまともな性格に育てなかったんだろうって」
「……後ろめたい?」
「……はい」
俺はつくづく実感する。恥じている、と言ってもいいかもしれない。
悩みの形は、人それぞれいろいろあるものだ。わかってはいるはずのそんな常識が、結局頭の中に染み込んでいなかったことを思い知らされる。
温かくまともな環境で育ったからこそ、自分の性質に後ろめたさを感じてしまう辛さ、か。想像したこともなかった。でも、きっとそれはそれで苦しいことなのだ。
「……せめて、今からでも変えなくちゃ。また周りに迷惑を掛ける前に」
「それは、……あ、いえ」
雷原さんの中学時代に起きたあれこれについて、それを知ってしまったことを俺は言えていない。掘り返すことで彼女に痛みを再認識させるのが躊躇われて。
「……お昼、いただいてもいいですか? 実は、ずっと楽しみにしていたんです」
あまり自分を責めて暗い顔をしてほしくない。ひとまず話題を変えることにする。
彼女の作ってくれたお弁当が楽しみなのも、ほんとうのことだ。
「っあ、はい! 食べましょう! ええとですね、よいしょっと……」
「おお……」
バッグからズルッと出てきたのは、大きな包みだった。単なるお弁当箱のサイズ感ではないなと思っていると、包みが解かれて顕になった中身は……、
「重箱」
「は、張り切ってしまいました……つい……」
パカリと蓋が開けられる。一段目の中には、ぎっしりと多種多様なおかずが詰まっていた。豪華で、なにより一目で手が込んでいるとわかる。
「ありがとうございます、……なんか今、感動しています」
「いえっ、そんな大したものでは」
「……こういうの、実は食べたことなくて」
自分の人生にはとんと縁がない代物だと思っていたが、わからないものだ。
「なるほど。お弁当のスタイルってお家でそれぞれですよね。雷原家は妹たちがよく食べるのと、わたしと父が料理好きのたくさん作りたがりなので、お出かけイベントのときはこれが結構定番でして」
言いながら、テキパキと重箱を分けていきテーブルへ広げる雷原さん。
それが終わると、今度出てきたのは太めの水筒。飲み物かと思ったが、カップに注いで出されたのは味噌汁だった。
「ごめんなさい、こういうのも入っているから重かったかと……」
「いえ、それは全然。……すごいですね、フルコースだ」
「そんなそんな」
なおも支度を続ける彼女を手伝いたいが、その手際が良すぎて介入のタイミングが掴めないのと、……なにより。
「お手拭き用の布巾です。お飲み物の入った水筒がこれで、コップはこちら。あ、お箸と取り皿はこれを使ってください」
楽しそうなのだ。つい先ほど沈んだ姿を目にしているから余計に、彼女の生き生きとした表情が鮮やかに感じられる。だから、水を差せない。
「お待たせしましたっ、どうぞどうぞ召し上がってください!」
「ありがとうございます、いただきます」
「あ、よければ取り皿によそいますよ! なにがお好きですか? 男性だからやはりお肉でしょうか。あと揚げ物?」
自らの腰を落ち着けることなく、こちらの取り皿をささっと手にしてそんなことを聞いてくる雷原さん。その一連の流れは達人めいたなめらかさである。
「お野菜もぜひ食べていただきたくて、なのでこれとこれと……………………はっ!」
ピタリと止まって、先ほどのなめらかさとは対極的なギギギと油の切れた機械のような動きで、まさにおかずが載せられる寸前だった取り皿を、俺の方へ差し戻してくる。
「……ち、違いますよね! こういうことをしてはいけないんです!」
「いけないということはないですが、そうですね、今日の趣旨とは……」
「はい! 変わるのです! わたしは!」
力強い宣言だ。彼女がそこに揺るがない気持ちを持っているのは疑いようがない。
……ないのだが、それはそれとして。
「……雷原さん?」
「…………」
「ら、雷原さん?」
俺の取り皿から、まだ彼女の手が離れない。かと思ったら、そのままブルブルブルブル震え始めた。
「…………ハァッ、……ハァッ、……ハァッ、は、離します、そう、離すんです……人の、人のっ、お世話をしないっ、しない、しない……ハァッ、ハァッ、ハァッ、ハァッ」
まずい、たぶん禁断症状だ。我慢しすぎたのかもしれない。
「雷原さん、ゆっくり息をしましょう」
「ハァッ、ハァッ、ハァッ、ハァッ、ハァッ……!」
「雷原さん!」
……彼女から『人のお世話』を取り上げるのは、果たして正しいことだろうか。こんな風になってしまっているのに……。
……いや、こんな風になってしまっているからこれ以上はダメなのか?
難しいものだ。
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