5.遠足

 学校生活が始まってから月日が経ち、やっと一つの定期テストが終わった。高校生活にすっかりなじみ、中学生としての日々が遠い過去のように思える。


「おはよう。雨宮さん」


「おはよう。今日は待ちに待った遠足だね!」


 いつもの学校とは異なり、近くの観光地の最寄駅に集合をかけられた僕は、いつも通り傘をさしながらこちらに来る雨宮さんに手を振る。


「楽しそうだね」


「まあね。中学校の時は三年とも雨だったからさー」


「……今も雨降ってるけど?」


「え…………あ、うわ、最悪」


「冗談だって」


 僕は笑いながら、不機嫌になった雨宮さんをなだめる。互いに部活動に入ってから過ごす時間は少なくなったものの、それでもこうやって少しはいじることが互いにとってのコミュニケーションの一つとなってきた。

 でも、今日は少し様子が違った。


「……本当に、気にしてるんだから」


「え」


 雨宮さんはくるりと方向を変えて他の友人の所に行ってしまった。その際にこちらに水滴が飛んでくるような気がした。


「どうしよう。この後班行動もあるのに、気まずい……」


 それでも、他の友人が助けてくれると、思っていた。

 しかし、その友人たちは集合時間までに姿を現さなかった。



*****



「……」


「……」


 二人で歩く街中で、ただ雨音が鳴る。いつもよりうるさく聞こえてしまうのは、僕の心の中の焦りからなのだろう。


「……雨宮さん」


「……」


「あの、雨宮さん……ごめんなさい」


 信号が赤になり、二人の足が止まった。


「……あのさ」


 雨宮さんはこちらに振り返る。その目元は赤くなっていた。


「私、ひどいよね。やっぱり」


「え? なんで?」


「勝手に傷ついて、勝手に傷つけて。何も事情知らない君にムカついて、突っぱねて」


「いや、でも最近いじりがきつかったかもなっていう自覚はしてて」


「ううん、違うの」


 信号が青になっても、雨宮さんは歩き出そうとはしなかった。


「私、中学校の時の遠足全部雨だった話をさっきしたよね。もちろん、私のせいではないし、この体質は私だけに影響するものだから、皆もそれをわかってたと思う。でも三年生の遠足が中止になった時、ある一人が私のことを雨女ってあだ名で呼びだしたんだ。別にその時はただのいじりかなって思ってたんだけど、だんだん疫病神みたいな扱いされ始めて。幸い、いじめにしっかり対処してくれる学校だったから、そこからヒートアップすることはなかったんだけど、やっぱり嫌だった。本当に私は人に迷惑をかけてるのかもしれないって思って、落ち込んだ。もちろん、君のさっきのいじりはそれに直接的に係わるものじゃないし、悪意が無かったのもわかってる。ごめんね。私…………」


 雨音からかすかに、嗚咽が聞こえた。


「……雨宮さん」


「ごめんね。本当に、ごめんね……」


「……」


 こんな時にどういう言葉をかけたらいいのか、僕にはわからなかった。いじめっぽいことは見たことはあったけど、自分がまきこまれることを恐れて逃げてきた。

 でも、今目の前にいるのは、もしかしたらこれまでで一番大切な友達なのかもしれない。


「……これ」


「……ハンカチ?」


「うん。使って」


「……ありがとう」


 かすれたような声で受け取り、目元に押し当てる。少ししてから、無言でハンカチが差し出される。僕はそれを受け取って、ポケットにしまう。


「あの、雨宮さん」


「……こんなにめんどくさいこと言ってさ、せっかくの自由時間なのにさ」


「だったら、もったいなくない?」


「……え?」


「せっかくの自由時間、なんでしょ? 何年振りかわかんないけど、こうやって色んな所を回れそうなんだよ? だったらさ、一緒に行こうよ」


「……あのさぁ」


 雨宮さんは呆れた様子でこちらを見上げる。傘から現れた顔には、かすかな笑みが浮かんでいた。


「まあいいや。ほら」


 そう言って僕の背中を押す。


「え?」


「エスコート、してくれるんでしょ?」


「あ、ああ、うん」


「さあさあ、行こ!」


 雨宮さんは楽しそうな声を出すが、少し無理をしているように聞こえた。


「あのさ、雨宮さん」


「何?」


「そんなに無理しなくても、いいんだよ?」


「……そう」


「ゆっくりでいいからさ。僕は雨宮さんとのこの時間を、もっと楽しみたいから」


「そう……じゃあ、はい」


 雨宮さんは傘を差し出した。


「え?」


「やってほしいこと、わかんない? 女の子が、こうやって傘を差し出してるんだよ?」


「えーと」


「あーあ。肩濡れちゃうなー」


「あっ、こういうこと?」


 僕は傘を受け取り、雨宮さんの方に傾けた。


「ふふっ」


 雨宮さんは微笑むと、肩同士がぶつかるような勢いでこちらに距離を詰めてきた。


「そういうこと」


 耳元で発された言葉は、僕の顔を真っ赤にするには十分だった。


「もう、行くよ?」


「はーい」


 何回変わったかわからないが、今青になった信号に従って僕たちは歩き出した。

 隣の席の雨宮さんは、究極の雨女だった。

 そんな雨宮さんは、相合傘でドキドキする僕をよそに、軒並を眺めていた。



*****



「そういえば、傘変わった?」


「今更!?」

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