隣の席の雨宮さんは究極の雨女だった

時津彼方

1.入学式

 僕はあまり学校で目立つタイプではなかった。教室の隅ではないけど、まるで隅っこにいるような気持ちで、教室の隙間で本を読んでいるようなタイプだった。

 それは高校生になった今日からの生活も変わらないと思っていた。でも、そんな僕の予想は初日の、それも入学式の前に変わることになった。


 ザーー…………。


「……あの、ごめんなさい」


 教室の中であるにも傘をさす彼女の頭上には雨雲があり、そこからばらばらと音を立てて傘に水滴が零れ落ちていた。


「私、雨女なんです。一か月も経てば席替えすると思うんで、すみません……」


「いや、別に気にしてないよ。ていうか、何で可はわからないけど、こっちに雨飛んできてないし」


「でも、案外うるさいですよ?」


「まあそれは過ごしてからわかることじゃない?」


「……まあいいです。今の内だと思うんで」


 会話が途切れ、雨のしとしとという音が二人の間を埋める。


「あ、あの、名前は?」


「あとで自己紹介あると思いますけど」


「でも、いいじゃん。別に今聞いても」


「……雫。雨宮雫」


「いかにも、って感じの名前だね。でもいい名前じゃん」


「そう? だったらよかった」


「よろしくね、一年間」


「……うん、よろしく」


 一通り会話を終えたと思い、僕はカバンから本を取り出す。教室を見まわそうにも、隣でさされた傘であんまり見えないからだ。入学初日から本を読んでいたら友達はできないと思ってはいるが、向こうからも見えないだろうから別に構わないだろう。


「その本、何の本?」


「え?」


 雨宮さんがこちらに覗き込む。雨音が近づくが、それでもこちらに水が飛んでこないのは不思議だ。


「あ、ごめんなさい。邪魔するつもりはなかったんです……」


「別にいいよ。推理小説。こういうの読むの?」


「あ、いえ、あんまり……」


「そ、そっか……」


「……本好きなんですか?」


「うん。好き」


「そ、そうなんだ……」


「雨宮さんは?」


「私も、結構本読む方ですよ? 大体ファンタジーっぽい現代ドラマ系読みますけど」


「……あのさ、タメ語にしない?」


「えっ?」


「ほら、一応今日から晴れて高校生で、同級生なわけだし」


「そ、そっか。そ、うだね」


「……ぷぷっ」


 思わず吹き出そて笑いそうになる。


「うわっ! ひどいじゃないですか!」


「いやでも今のは雨宮さんが悪くない? たどたどしすぎでしょ」


「そっ、それはそうですけど……そうだけどぉ」


 いじけて空いた方の手で毛先をいじる雨宮さんを見て、僕は少し心拍が速くなるのを感じた。


「どうしたの? そんなに私の髪気になる? いつも湿気ちゃうから困ってるんだよ。とても長い髪にできないし」


「いや、別に何も。ちょっと気になっただけ」


「……嫌?」


「え?」


「こんなじめじめした女、嫌じゃないの?」


「ううん。そんなことないよ。なんかさ、こうやって誰かと仲良く教室でしゃべるのも久しぶりだなって思って」


「え、君ぼっちだったの?」


「雨宮さんデリカシーないよね……まあ実際そうだったけど。中学入るころにちょうど転勤で引っ越しをしたから、初めの一か月がピークだったかな」


「そうだったんだ。中学からの友達はいないの?」


「何人かいるけど、みんな賢い学校に行っちゃったから、ちゃんとした顔見知りはいないと思う」


「へー……」


「雨宮さんは?」


「何人かいるけど、あんまり……」


 僕は雨宮さんの雰囲気を見て察し、何も言えなくなってしまった。


「君も、私とつるんでるとそういうことに巻き込まれるかもだからさ、本当にたまに、でいいよ。話しかけるの」


 しかし、その言葉を聞いて、僕は何かを確信した。


「たまに、は話しかけていいんだ」


「え?」


「たまに、話しかけてほしいんだ」


「え、いやそういうことじゃ」


「雨宮さん」


「は、はい」


 僕が本を置いて隣の席に向いて背筋を伸ばすと、雨宮さんもこちらをまっすぐ見つめ返した。少しドキッとしたが、僕は言葉を続ける。


「今日から、よろしくね」


「う、うん」


「はい」


「え?」


「手を差し出してるんだから、ほら」


「う、うん」


 僕が差し出した手に、雨宮さんが重ねる。


「はい、友達」


「え?」


「僕は、少なくとも僕は、友達になろうと思うよ。もし嫌だったら断ってもらっていいけど」


「ううん、そんなことない!」


 雨宮さんはようやく少し笑ったような気がした。


「えへへ、なんか照れるね」


「そ、そうだね」


 僕は自分の頬が紅潮するのを感じた。それは照れから来たものか、あるいは。

 隣の席の雨宮さんは、究極の雨女だった。

 そんな雨女と、僕は友達になった。



*****



「雨宮さん、授業中ってどうするの?」


「あ、授業中はね、これ着るの」


「レインコートか」


「うん。ノートとかは別に濡れないから、これで十分なんだ」


 雨宮さんはレインコートを羽織ってフードを目深にかぶった。手慣れていたのか素早い動作で着衣をしたものの、少し制服が濡れてしまっていたのが気になった。

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