草太の拳

緑窓六角祭

[1] 祭

「今日こそあんたをぶっ倒すぜ、玄さん」

「草太よ、まだまだ若いもんには負けんぞ」

「もうあんたの時代は終わったんだよ、老いぼれが」

 秋祭りのメインイベント。村の喧嘩自慢が集う勝ち抜き戦。

 最後まで立っていたのは俺と玄さんの2人。中央広場にて真正面から睨みあう。


 玄さんは普段は温厚な人だ。

 けど収穫が終わればいつも外に出かけていく。そしてちゃんと生きて帰ってくる。

 身長は2M近い。横幅もあってがっちりとした体形。

 40をいくつか過ぎて、腹回りの肉が少々気になってきたとは本人の弁。

 対する俺はどちらかと言えば小柄な方。体格だけで勝負が決まるならすでに結果は明らかだ。


 リングはない。ただ村人たちが円形に2人を取り囲む。

 じりじりとした熱気が肌を焼く。緊張が高まっているのがわかる。

 村人たちの間の賭けでも圧倒的に玄さんが有利だという話。

 そんなもん知ったことか。全員損してしまえ。

 長老はゆっくりとその細い右手を挙げた。振り下ろす。しわがれた声が「試合開始」を告げた。


 先に動いたのは俺、その場で軽くステップを刻む。

 対照的に玄さんはどっしり構える。迎え撃つ姿勢を見せる。

 春兎脚。自らのフットワークを俺はそう名づけた。

 理由は春の兎みたいに落ち着かない様子でぴょんぴょん飛び跳ねるから。

 意味はある。まやかしではない。細かくリズムをとりながら相手の隙を探る。


 さすがは玄さん、付け入る隙は見当たらない。下手に攻撃すれば返り討ちにあうのがオチだ。

 動きの中でこじ開けるしかない。まずは動け。動かなければ何も始まらない。

 右左と揺さぶりをかけながら玄さんへと接近する。

 そんな小細工は通用しないとわかっている。それでも休むな。休むことなく攪乱しろ。

 ほんの小さなキズだっていつかは攻略の手がかりに変わるかもしれない。


 玄さんの方がリーチは長い。すでにその間合いに足を踏み入れている。

 けれども仕掛けてこない。なぜだ? もしかして誘い込まれている?

 迷うな、進め。余計な思考は命とりなる、今の状況に集中しろ。

 なんでもいい。こちらの拳が届く距離まで近づけさせてくれるというなら大助かりじゃないか。

 あと1歩だけ近づけばそれで終わる。こののしかかる圧迫感を押しのけて踏み込むんだ!


 ぶんと空気がうなり声をあげる。

 耳が音を拾うより、あるいは皮膚が空気の流れを感じるより、先に体は動いていた。

 脳のずっと奥深くが警告を発する。危険信号をかき鳴らす。逃げろ。

 バックステップしながらさらに後ろへのけぞる。姿勢が崩れる、そんなことを気にする余裕はない。

 固く大きなものが額をかすめてとんでいく。間一髪のところでそれをかわすことができた。


 通称根こそぎ。玄さんのフィニッシュブローだ。十分に引きつけてから打ってきた。

 なんてことはない左フック。そこに目一杯の気を込める。

 狙いも発想も単純。でも、いやだからこそ? 必殺となりうる。

 やっぱり玄さんは強い。両手を地面について跳ね上がる。反動を利用してさらに距離をとる。

 それでも勝つのは俺だ。怯むな。気合を入れ直せ。


 仕切り直しか? いやそんなことはない。

 今度は距離を詰めたきたのは玄さんの方。その動きは鈍重ながらも強烈なプレッシャーを放つ。

 先に与えられたフックによる恐怖感を体が覚えているせいだろうか。

 そんなもん忘れちまえ。俺は足を動かす。強制的に体をほぐす。

 玄さんはむやみに拳を振るわない。少しずつ敵の居場所を削りとっていく。


 このままではまずい。ペースを握られている。

 先制フックは当たればよし、外れたら外れたでよし。こうして追い詰めて押しつぶせば片が付く。

 考えろ。残された時間と空間を必死に活用しろ。なんとか対策をたてるんだ。

 方針は大きく分けて3つ。正解はどれだろう?

 すぐに暴れるか、相手の攻撃に合わせて反撃するか、じっと耐えて受けきるか。


 軽くジャブを放つ。玄さんのガードに阻まれ有効打にはいたらない。

 主導権を奪い返せなくとも一方的な展開は避けろ。相手に楽をさせてはいけない。

 外側から見れば追い詰められてやぶれかぶれになっているように見えるかもしれない。構わない。

 できれば玄さんにもそう思ってほしいがそう簡単にはうまくいかないだろう。そこまで期待するな。

 チャンスはあって1回しかない。玄さんの根こそぎの間合いは体が覚えている。


 踏み込んできた――ここだ! 強引に前へと飛びだした。

 低く潜り込む。一瞬遅くても一瞬早くてもいけない。ぎりぎりのカウンター。

 下からがら空きの顎めがけて全力の一撃、巨岩崩壊拳をぶっぱなす!

 一撃粉砕流の極意は単純だ。一撃にすべてをかけろ。他のことは気にすんな。

 空気の震える音が頭の後ろから聞こえた。手ごたえはあった――どうだ?


 玄さんはにやりと笑う。「見事だ」と一言だけつぶやくとがくりと膝をついた。

 遅れて湧き上がる歓声が耳に届く。そんな中じわりと感動が押し寄せてきた。

 勝った。俺は勝ったのだ。俺は玄さんを倒し村一番の称号を手にしたのだ。

 拳を高々と天に向かって突き上げる。言うべきことはずっと前から決まっていた。

「俺は村を出る! 世界中の強いやつを片っ端からぶっ倒してやる!!」

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