第54話 蛇の『邪』を斬る!

 バジリスクを光の斧で斬る──アーリナの決意の目に、ガトリフは目を眇めた。助けると言ったり斬り捨てると言ったり、よくわからない娘だ。そのうえ「言ってる意味分かるよね?」なんて訊いてくるが、正直言ってよくわからん。


 どこからそのような奇天烈な自信が沸き起こるのか、全く以て奇怪千万とはこのこと。よもや斬った相手を仲間にするとは、亡骸でも連れ帰るつもりか?──考えても考えても理解の及ばぬ返事に、ガトリフは一層眉を顰めた。


 (いや、待て……。そもそも斬ると言っているのだからそれでよいではないか)


 わけの分からない言葉の応酬で彼の頭は麻痺してしまっていたが、よくよく考えれば目的は一致していた。バジリスクを斬るも、魔矢で射抜くも結果は同じ──ただ、目の前の敵を屠るのみ。斬られた蛇がどうなるかなど、死以外にあり得ないのだ。


 ガトリフは問答を止め、「わかった」と一言だけ残して魔弓をおろした。アーリナはその返事に下唇を噛み、覚悟の眼差しでコクリと頷く。



 夜空を靡く朱い煙。火の手は収まらず、その熱すらも彼女たちのいるこの場所まで迫りつつあった。遠くにあった戦いの音もより鮮明に響いてくるし、こうしてなどいられない。アーリナはバジリスクの元へと歩み寄りながら、ラドニアルを手に覚悟を綴った。


 ──結局、私の覚悟が全てだった。町の人たちを助けるのだって、バジコのことだって同じ。気持ちを押し殺して、他人任せで、本当に私って口ばっかりでもううんざり。ラドニーの力は命を奪うだけじゃない。心一つで、生かす力にだって振り切れる神の御業。今、この町を真に救えるのは斧神に憑かれた私だけ。


 ラドニアルの光がより強まる。そして同時に頭の中で不満が零れた。


 (予を憑きもの扱いするでないわ)


 思っただけで筒抜け。アーリナは良くも悪くもその声で、力みすぎていた肩の力が抜けていた。彼女は「悪かったわね」と独り言ちて笑みを浮かべ、斧を片手に歩いている。かたやバジリスクはその姿に瞳を怖れで震わせた。


 「ぎしゃしゃしゃ」


 その鳴き声もガタガタと揺れ、彼女の前から一目散に逃げだした。


 「ま、待って! 大丈夫だから」


 アーリナが咄嗟にそう叫ぶも、一体何が大丈夫なのか──ガトリフもバスケスも二人して思う。そりゃあ斧を手にした半笑いの少女が近づいてくれば、蛇どころか誰であろうと恐怖心を抱く。さらにはそんな顔で『大丈夫』なんて言われたりでもすれば余計に危険度は増すだろう──彼らはアーリナの背を、苦笑の目で見つめている。




 

 暫しの時が過ぎた。アーリナとバジリスクの追いかけっこは未だ続いている。どれだけ斧を振ろうとも小さな蛇には掠りもしない。いいかげんアーリナは、宥めることにも追いかけることにも疲れていた。


 「お願いだから、じっとしてて。これは儀式なの。絶対にあなたを助けるから」


 彼女がそう言ったところで、バジリスクに人間の言葉が通じるはずもない。そもそもミノタウロスが異質なだけであって、その他多くの魔物たちは言語を理解するなど不可能──ガトリフは遠目に彼女たちの様子を見ながらも、身近に迫る戦火に焦りを覚えていた。


 「嬢ちゃん、早くしねえともう猶予はないぞ」


 「分かってる! もう少しだけ待ってて」


 無論、アーリナも焦っていた。瞳をよぎる火の手は、彼女から冷静さをも奪い去っていく。残された時間もごく僅か。それなのにバジリスクは逃げ続けるばかりで、アーリナの斧は空を切り、同時に彼女の余裕まで切り裂いていた。


 どうしよう、このままじゃ──アーリナは深く眉を顰めた。いくら攻撃しても当たらない。斧を握る手の感覚まで鈍ってきた。痺れているのか、疲れているのか、段々と力が入らなくなってきていた。


 バジリスクは彼女の足が止まったのを確認すると、その隙を突いてスルリと一気に距離を離そうとした。


 「バジコ待って!」


 アーリナが叫んだそのとき、ガスンッ、と、大きな金属が地面に突き刺さる音が響いた。それは彼女の体よりも大きな巨大な両刃の斧。バジリスクの尾を突き刺してこの場に引き止めていたのだ。


 「モハッ。物は試しといいますか、やってみるものですな」


 ポーチから聞こえたモーランドの声。彼は自身の武器である斧をどこからともなく投げつけたのだった。対するバジリスクも、斧の追撃に耐えるためなのか体を元の大きさに戻し、そのお陰もあって切断を免れていた。


 「さあアーリナ様、早く」


 アーリナは不思議な目をモーランドに落とすも、彼の言葉に頷いて疲れ切った体を前に動かす。蛇は尚も全身を振って抵抗するも、突き刺さった斧の刃からは逃れることができなかった。


 「バジコ、今、あなたを救ってあげる」


 彼女は蛇の前に立ち、両手で持ったラドニアルを頭上に構えた。そこから迷うことなく斧を振り下ろしたが、光る刃は何ら手ごたえもなく、スゥ、とバジリスクの体を通り抜けた。


 以前、キュートリクスと呼ばれる魔物を斬った時とは、手ごたえがまるで違っていた。肉や骨を断つたしかな感触、嫌悪する脳髄の感覚もなく、血飛沫だってまるでたたない。


 これって上手くいったの?──アーリナは息を止めていたかと思うほど、呼吸を荒く、不可解な眼で蛇を見ていた。


 「ぎ、ぎしゃしゃ」


 バジリスクが鎌首を持ち上げ彼女を振り返る。いつしか、尾に突き刺さっていた斧も消えており、身体をシュルシュルと小さくした蛇はアーリナの目下まで来て深くお辞儀をした。


 「はぇ?」


 彼女は目を擦ってもう一度、足元のバジリスクを見た。蛇はまたアーリナの目を見てお辞儀をした。


 「ぎしゃ、ぎしゃしゃしゃ、ぎしゃ」


 何かを言っているようにも聞こえるが、当然彼女には分からなかった。アーリナはラドニアルをポーチに戻し、そこに小声で「上手くいった、ってことでいいの?」と尋ねてみる。


 「うむ。まだまだではあるが、及第点と言えよう。彼の者の邪は完全に潰えた、とはいえ、元からそのようなものは感じられなかったがな」


 斧神の答えに、疲れなんてどこ吹く風。アーリナは思わず両手を上げて「やったあ」と声を上げた。


 斧で斬ったにもかかわらず、バジリスクは生きている──ガトリフらの目にもその奇怪すぎる事実は克明に映り、二人揃って首を横に倒していた。

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