第53話 バジコ

 「ふう、手間取らせやがって。嬢ちゃん、待たせたな」


 七師ガトリフがアーリナたちの元へと戻ってきた。だが、そのやや疲れた顔も、彼女たちと共にいる蛇の姿を見て一変した。彼は先に来たザラク同様に表情を険しく、体を揺らしズカズカと歩みを早めた。


 「俺あ~、言ったよな? その蛇は始末すると。ったく、先に少年が戻っていたはずだが──」


 ガトリフは蛇を背にして立ちはだかるアーリナを前に、キョロキョロと辺りを見回す。そこで目に留まったのは──。


 「おっ、おい?! あ、ありゃあ少年じゃねえのか?」


 瓦礫の横に立つ一つの石像の顔は、紛れもなくザラク。ガトリフは一瞬たじろいでしまったが、すぐさま魔弓をしならせた。アーリナは慌てて両手を広げてその場で跳ねる。


 「ま、待って待って! お願い! 話を訊いて欲しいの」


 「いやダメだ。つうか嬢ちゃん、仲間が石にされてんだぞ。それでもなお庇うというのか?」


 ガトリフは理解の及ばぬ目を彼女に向けたが、バスケスも「落ち着いてくれっぺえ」と助太刀する。


 「ガトリフ氏、アーリナ様の話も訊いてくれっぺなあ。そいに、あん蛇は悪さしねえっぺ」


 「バスケス、お前まで何を言っている。一端の魔猟師ならばわかるだろうが、魔物は所詮魔物だぞ。善悪などでは決して計れぬ野生の本能と呼ぶべきものがある──」


 「そいは勿論わかってるぺえ。けんどもさ、とても人を傷つけるような蛇には見えんっぺ」


 「だから、お前──」


 「んにゃあ、そいやええこと思い出すた。ミサラさんに頼めばいいっぺ。ミノタウロスすら手なづけてポーチに入れてるっぺさ」


 「んんっ、いったい何の事だ? ポーチ?」


 「はぇ……」


 突如としてアーリナが腰に下げたポーチに視線が注がれる。それよりもこの髭もじゃ口軽親父め、こんな魔物のくだりで盛大にぶちかます? 今は禁句でしょ!──アーリナは蛇が憑依したかのような無機質な眼光でバスケスを射抜きつつ、ポーチのかぶせを手で抑えた。


 「嬢ちゃん、バスケスコイツは何を言っているんだ?ミノタウロスがそこにって、正気なのか?」


 「えっ、そ、そうそう、全然正気じゃないのこの人。ほら、きっとバジリスクがつけてた魔石の影響を受けたせいかも」


 「いんや! おいは正気っぺ。アーリナ様、さあ目にもん見せてやるっぺ。あん蛇のためにっぺ」


 ふざけんな、と、彼女は心で叩き斬った反面、瞳は動揺し慌ただしく揺れた。ガトリフは彼らのやり取りに不思議に首を傾げたが、こうしている場合じゃないと、その場から再び魔弓を構えてバジリスクに照準を合わせた。


 「無駄話に付き合っている暇はない」


 ガトリフはこの場の空気を切って捨て、つるにかけた魔矢を力一杯に引き絞って放った──だが、手元を離れた矢は、下から伸びた巨大な腕によって握りつぶされた。


 「モハッ。まあ待つのだ、人間よ」


 アーリナのポーチから飛び出たのは筋骨隆々した片腕。モーランドは体は小さく維持したままに、右腕だけを巨大化させていた。アーリナはその急激に増した重量に耐えきれず、腕が伸びた瞬間、地面に腰を打ちつけることとなった。


 「っくう~、モ、モー君! 痛ったいじゃないのお~!」


 「モッ?! モーしわけございませぬ!」


 カッコよく決めたかったモーランドだが、アーリナの前には形無しだった。すぐさま腕をシュルシュルと細い布切れの如く懐へおさめ、ポーチの中でこじんまりと土下座を繰り出した。


 アーリナがそれを覗き込み、さらにその上からガトリフが目を落としていた。


 「ど、どうなってやがるんだ……。その小さな牛が喋っているのか?」


 「はぇ、えっ、ええと、その~」


 男の声にハッとし、しどろもどろでポーチに蓋をし隠そうとするアーリナだったが、もう見られた以上はどうしようもないことも同時に理解していた。だからこそ余計に頭は混乱したが、とにかく今はと、必死に気持ちを持ち直した。


 「じ、実は……バスケスさんの言ってることは本当なの。ええとね、ミサラっていうのは元──」


 「元、三煌聖さんこうせいの光の魔剣士か。その名を訊いて知らぬ者などいないだろう。理由は分からぬが、クルーセル家に奉公に出たという話は耳にしていた。光魔法の中には、魔物を従える高位なものもあるとも訊く。そうか……」


 彼女が説明することなく、ミサラの名前一つでガトリフは納得した。ここに在らずともミサラの威光は絶大すぎた。アーリナは独り頷くガトリフに対し、「あの~」と視線を泳がせながら続いた。


 「それでなんだけど、バジリスクもきっと──」


 「いいや、それとこれとは話は別だ。ミノタウロスも魔物ではあるがバジリスクとは違う。言うなれば、神の使い魔に近いといったところか。かたやバジリスクはただの魔物。心などなく、本能のままに生きる野生の蛇なのだ」


 ガトリフは一部の意は汲んだが、バジリスクに関しては頑として譲らない。その落差がアーリナを苛立たせ、ムキッと猿のように吠えさせた。


 「何なのさっきから、魔物魔物って。ザラクもガトリフさんも同じことばっかりでもううんざり! 私はあの子を助ける。邪魔をするなら、このモー君が相手よ」


 「モッ?」


 いきなりの振りにモーランドは目を丸くして固まった。一方のガトリフは、額を抑えて「やれやれ」と顔に書いている。


 「じゃあ訊くが、助けるとは、あの蛇を嬢ちゃんがお世話するとでもいうのか? ここから連れ出してどうする? どこか別の場所にでも放すつもりか?」


 ガトリフは魔弓の構えを解かず、そのまま視線だけを落としてアーリナへと問う。彼女はそれに即答し「もちろんお世話するわ」と、突き返した。


 彼は琥珀の眼光でアーリナを見据え、その返答を否定した。


 「嬢ちゃんは何も分かっておらん。俺は魔猟師として長年、魔物とは常に生死をかけて向き合ってきた。あの蛇を手なづけるなど不可能だ。たとえ、光の力を以てしてもな」


 「でももう名前も決めたもん! 『バジコ』は私が守るの!」


 「ったく、名前を決めたとか、ガキみたいなことを」


 「じゃあこうしよう、ミサラから預かった光る斧を試してみるの。それでダメならガトリフさんの言うとおりにするわ」


 「試す? まったく次から次へと何を言いだすのだ。光る斧を預かっただと?」


 アーリナはポーチの中から光る斧を取り出した。名目はミサラから預かった武器とのことだが、まごうことなき斧神ラドニアルである。こうなったらこれしかないと、彼女は閃いたのだ。


 「この斧でバジコを斬れば、貴方の言う邪心は消えてなくなるわ。清められた心で私に仕える仲間になるの」

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