第8話

「桃を取りに」

 凛音は本音でいった。

「桃?」

「はい。特別な桃です」

 初老の男の顔が険しく徐々になった。

「お前ごときが取れるものか! 身の程を知れ!」

 初老の男は怒鳴った。

「それでも、必要なのです。なので、忠告は意味がないです」

「お前は現世の者か? なら、帰れ。お前がいる世界ではない」

「それはできません。それに、あちらの世界には自分の存在はもうないですから」

 凛音は静かにいった。

 凛音はすでに場所を放棄していた。それよりも戻る気はない。目的を遂げるまでは。

「禁呪を使ったのか。バカ者が!」

 初老の男は怒鳴った後、ぶつぶついいながら考え込んでしまった。

 現世で凛音に関する記憶を消す。それは禁呪だった。

 それを簡単に理解する男はただ者ではない。

「凛音といったか。おぬしは人間の身でできると思っているのか?」

 牛車のみすの奥から女性の声が聞こえてきた。

「やるか、やらないかの二択しかありません。人間だろうが神だろうが構いません」

「姫様」

 初老の男が割って入って会話を止めた。

「お前はわかっていない。黄泉へ続く場所の危険さ。それに求めている物がどんな代物かも」

 初老の男はいった。

「西王母の桃のように寿命を伸ばしてくれないですか?」

「それすら知らず、禁呪を使ったのか。バカとしかいいようがない」

 確かに男のいう通りだ。うわさを聞きつけ、詳しく調べもせずに幽世に来た。無謀なのはわかっている。しかし、幽世の情報は現世のでは手にできづらい。雲を掴もうとするようなものだ。だが、凛音には必要だった。

「何のために、桃が欲しい?」

 みすの向こうの姫がいった。

「遺伝的な病気を治すためです」

「姫様」

 初老の男は割って入るが姫は無視した。

「病名はなんだ?」

「白血病です」

「下賤な者との会話は私にお任せください」

 初老の男が会話に入り込んだ。

里弦りげんよ。話をさえぎるのはやめろ。いつまでたっても終わらん」

「ですが」

「くどい!」

「申し訳ありません」

 里弦はみすに向かって頭を下げた。

「それで、白血病とはなんだ?」

「こちらの世界にないのなら、肉体の病気でしかありません」

「ふむ。それなら、われにはわからんな。だが、その病気を治すにはこちらの物が役に立つとは思わん。現世とことわりが違うからのう」

 姫の言葉にウソはない。現世と幽世では体は違う。

 凛音は神仙道で肉体を変化させているため、普通の肉体と違う。玄気を昇華して肉体を変化させて、現世と幽世で生活できる肉体になっている。簡単にいえば仙人だ。

「それでも、少しでも望みがあれば手に入れます」

「ふむ。わかった。……それより、おぬしの師は誰だ? その力は本当の神仙でなければならん。そうでなければ、ここにはいまい。誰に教えられた?」

「申し訳ありません。私にもわからないのです。前世の記憶を頼りに修行してきました。そのため、師の名前はわからないのです」

「なるほど。輪廻を繰り返し、ここまで来たのか? 人間としての法則を破っておるな」

「はい。ですが、過去の自分も含め、長年の願いがあるのです」

「それが、病気の治療か」

「はい。遺伝的な病気のため親から子に遺伝します。そのため、短命な者が多いのです」

 凛音は奥歯を嚙んで地面を見た。

 沈黙が流れた。

「……ふむ。わかった。われが後見人になろう。その代り、われに仕えよ」

 凛音にはうれしい申し出だ。街に入るのに身分の証がいらないからだ。だが、難点があった。

「うれしい申し出ですが、お仕えできません。自分にはやることがあります。それも、すぐにでも。なぜなら、幽世と現世では時間の流れが違います。なので、お仕えできません」

「ふむ。それはわかる。だが、あせればことを仕損じるぞ?」

「はい。わかっております。それでも、進むしか道はないのです」

「……わかった。大きな街まででいい。我に仕えて、現世の話を聞かせてくれ。それぐらいできるであろう。それに街に入れば、身分の証がもらえる」

「お待ちください」

 里弦は割って入った。

 止められていたが、我慢できなくなったようだ。

「姫様。素性の知らない者をかごに乗せるわけにはいきません」

「当たり前だ。みすの前の前板に座らせる」

 姫様のご機嫌は悪くなったようだ。

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