第21話


風間の公開プロポーズから二日、一年ズはあれからずっとバチバチで、喧嘩のような試合をずっとやっている。

飽きずにようやるわ。


「調子は?」

「僅差。玲奈5勝、風間3勝。あと引き分け1」


今日は非常に珍しい自主練の日、つまりは半ばオフだ。各々が遊び半分の練習に取り組む中、桐島ちゃんと風間だけが殺気だっている。


雪寝は柔軟しながら、二人の試合を眺めていた。雪寝は体が柔らかいから曲がり過ぎていて少しぎょっとする。


「へぇー、やるやん。……引き分け?」

「襲来。さっき明日佳さんが来た」

「あー、なるほど」


明日佳さんが乱入して、二人ともボコしたってことか。なんでもアリやな、あの人。


訂正しよう。殺気だっている人はもう一人いた。おかげで俺たち、というか部活の全員が試合という名目の八つ当たりの被害にあっている。拓翔さんの「もっと強くなったら考えてやるよ」という風間への返事がどうにもご不満だったらしい。手当たり次第に試合をしては相手をボコボコにして次の試合を行うバーサーカーモードだ。


記者さんたちの前だったし、風間のモチベーションのためにもアレはしょうがないと思うが、まぁ、そういう建前は明日佳さんも分かってはいるのだろう。それでもなお癇に障る、という複雑な女心……。いや、女心は似合わんなあ。どっちかというと我儘なガキの癇癪の方が正しい気がする。親が下の子にばかり構うことに怒る上の子……うん。こっちの方が的確やな。


「指摘。失礼なこと考えている」

「そんなわけないやろ。俺は明日佳さん尊敬してんねんから」


鈍い雪寝にまで悟られるとは。オフシーズンに入って気が抜けてしまってるかもな。


「お」


何か話題をズラそうと思ったら、ちょうど一年ズの試合が終わった。今度は風間が勝ったらしい。これで桐島ちゃん5勝、風間4勝か。だいぶ接戦やな。


「ほんじゃあ、そろそろ先輩の出番やな」

「ズル。私が狙ってた」

「アホ、じゃあペア戦でええやろ」


俺たちは二人が次の試合を始める前に試合場に乗り込む。二人は息も絶え絶えで、立っているのがやっとって感じだ。試合では傷は治るが、疲労は残る。十試合もやれば当然やな。


「早く位置つけや、ペア戦やるで」

「はぁ…、はぁ… はぁ?  見てわかんない? 試合したばっかなんだけど?」

「はぁ…、はぁ…。何? もう限界なの?  私は一人でもやるけど」


思わぬ反応だ。まだ喧嘩する元気があったのか。喧嘩する体力なくなるまでシゴいて、適当に仲裁してやるつもりだったけど、こうも元気だとめんどくさそうだ。


「耳大丈夫かよ、誰が限界なんて言ったんだよ」

「無理せず休んでなよ。私は1対2でいい」

「俺は1対3でもいいよ」

「は?」


二人は俺たちをほったらかしでどんどんヒートアップしていく。なんや、こいつら。


お互いどうしていいか分からず立ち尽くしていたせいだろう。おかげで雪寝と目が合った。珍しく眉を顰めて困惑をあらわにしている。


「…明日佳さんも呼ぶか」

「賛成。混沌には混沌を」


◇◇◇


拓翔が風間の返事を保留した時、私の胸には怒り、ではなく焦りと不安が去来した。

ソラや桐島ちゃんをはじめ、拓翔を私から奪おうとする奴は今までもいた。けど、そういう奴らは皆、私より弱かった。腹は立つけど、脅威ではない。


しかし風間を、というか私以外の鹿王高校正レギュラーを私並みに強くすると、ほかでもない拓翔が言ったことで全てが変わった。私は拓翔を知ってる。拓翔ならできる。できてしまうだろう。きっと皆は私並みに強くなる。それを確信した時、何も怖くなかった愛玩動物たちが、途端に猛獣へと変身した。


「…怖いなぁ」


独りごちた言葉に自ら共感してしまう。


そう、怖いのだ。酷く恐ろしい。私は後輩たちを恐れてしまっている。もし、私より強い誰かが現れてしまったなら拓翔の1位はきっとそいつになってしまう。


「なにがだ?」

「いたんだ。せっかくの自主練なのに」

「皆が俺に気を遣って働かせてくれなくてな。暇なんだ」


トレーナーたちは総出で全国の県大会のデータを整理している最中だ。

私は片手での腕立て伏せをやめて、拓翔の方に向きなおりながら座った。


「それで何が怖いんだ?」

「なんだと思う?」

「お前が訊き返してくるってことは言いたくないことだろ。いいよ、言わなくて」

「ふふ、優しいね」


拓翔は義足に気を遣いながらゆっくり私の横に腰を下ろす。折角私が拓翔の方を向いて座ったのに、拓翔が隣に来たものだから、視界が開けてしまった。遠くの試合場で正レギュラーたちが集まっているのが見える。


「風間と玲奈はどうだった?」

「疲れてたからあんまり言ったら可哀想だけど、二人だと逆にボロボロ。一人ずつの方がまだ手応えあるかな」

「はは、さすが正レギュラー最弱ペアだ」


「ねぇ、私と拓翔でペア戦したの覚えてる?」

「当たり前だろ。結局誰にも負けなかった伝説のペアさ」

「そもそもそんなに組まなかったじゃん」

「…そりゃあ俺とお前がそれぞれシングル戦に出た方が強かったからな」


拓翔は一瞬だけ詰まって、当たり障りのない答えを返してくれた。本当に優しい。

さっきの私はとても迂闊だった。反省しよう。私と拓翔のペア戦が少ないのは、拓翔が中二で足を失ったから、なんて少し考えれば分かることだったのに。


「トレーナーって楽しい?」

「楽しいぞ。俺には向いていた。…そういう意味じゃ、きっかけをくれたお前には感謝しないとな」

「存分にしてよね。でも、私は『私のトレーナーになって』って言ったんだけどなぁ」

「…あの時も保留したんだっけか」


拓翔が足を失った時、私は病室で半分パニックになって、拓翔に私のトレーナーになってと言った。拓翔はそんな私を落ち着かせ、そんなこと今は決められない、と返事を濁した。


「ねえ、拓翔。もし私が風間に負けたら風間を選ぶの?」


鼓動が慟哭している。平静を装うのに精一杯だ。恐怖がどんどん大きくなる。いっそこのまま時間が止まって、永遠に返事を訊かなくて済めばいいのに。


「そんなの決まってるだろ」


拓翔は立ち上がった。そして私に手を差し伸ばす。


「お前を鍛えて風間より強くする。そんで、その次は長津、雪寝、玲奈もだ。」

「へ?」

「風間が負けたら、風間も強くする。また誰かが抜きんでたら他の奴を鍛える」

「永遠に終わらないじゃん」

「ああ。そしたらみんな永遠に楽しいだろ?」


拓翔は子供のころのように無邪気に笑った。相変わらず、早鐘のような鼓動だけど、これはもう恐怖のせいじゃない。これは興奮のせいだ。そうだった、私の期待に応えようと必死な姿に惚れたんだった。ずっと尽くしてくれた拓翔が私を裏切るなんて想定はナンセンス極まりない。彼に失礼だ。


「流石だね、惚れなおしたよ」


私は拓翔の手をしっかりと握って、立ち上がる。


「でも、風間とか桐島ちゃんとずっと付き合うのはしんどいかも」

「可愛げがある後輩だと思うがな」

「雪寝と長津で十分。もうおなか一杯だよ」


「明日佳さーん。俺たちと一緒に後輩ボコりません?」


少し離れたところから長津が最低な呼び声をしてきた。噂をすれば、ってやつかな。


「いいよー」


私は負けじと大声で返事をして、拓翔と一緒に長津の方へ歩いていく。

私にとっては長津も後輩ってこと、分かってるのかな?


◇◇◇


自主練とはいえ、風間なんかが拓翔さんに専属を申し込んだせいで随分と熱中して、遅くなってしまった。

けど、仕様がないことだろう。私は明日佳さんに勝ってから、という約束を律儀に守っているんだぞ!


その上、風間が強くなったのもムカつく。序列三位を奪われている暇は私にはない。風間なんかぶっちぎりで置いていくくらい強くならなきゃいけないのに…。


私が風間への怒りに折り合いをつけようとしながら校門を出たところで、滅多に動かない私のスマホが震えた。


「もしもし?」

『もしもし、今大丈夫? 玲奈ちゃん』

「…いいよ、タマ。何?」


翠晴に練習試合に行って以来、私とタマはちょくちょく連絡を取っている。でも、大抵は短い文章のやり取りだ。タマから電話してきたのは初めてのことだった。


『実際さ、鹿王の優勝確率ってどれくらいだと思う?』

「藪から棒に何?」

『いいから』

「100」

『玲奈ちゃんの意気込み含んでるでしょ。客観的な意見だったら?』

「100だって。身内だから贔屓してるわけじゃなくて、冷静に考えるほどウチが最強」


当然だ。今のままでも全国最強なのに、拓翔さんにかかれば私たちは更に強くなり続ける。どう考えても負ける道理なんてない。


『そっかぁ…、100かぁ…』

「何が知りたいの?」

『うーん、言い訳かなぁ』


自覚はないんだろうけど、タマは含みのある言い方をし過ぎるきらいがある。というか言葉足らずなことが多い。引っ込み思案のせいで十分に喋らない。


「タマ、私は答えた。だからあんたも答えて」

『そうだね…。なんていうかな。悪いことじゃないんだけど、狡いことをしようとしてて、イマイチまだ踏ん切りがつかなかったから玲奈ちゃんにダメ押しして欲しかったの…。はは、言葉にすると自分のダメさが分かっちゃうね。嫌になるな』


長く喋ったら喋ったらで、卑屈な言葉を言わずにはいられないらしい。


「別に好きにすれば」

『内容も聞かずに許してくれるの?』

「どうせ言えないんでしょ。それに…、どうでもいい」


孫悟空が釈迦の掌ではしゃぐのと一緒だ。何をしても無駄だから、せいぜい必死に悪知恵でも働かせてろってのが私の本音。


「どうでもいい…けど、タマ。あんたは本当にそんなこと私に決めてほしいの? 覚悟がないことをひけらかして恥ずかしいとは思わないの?」

『…うん、そうだね。玲奈ちゃんは強くて、正しい。私とは大違いだ』

「自虐したって現実は変わらない。自分がダメだと思うならさっさと変わればいいだけでしょ」


私は乱暴に通話を切った。今のタマは嫌いだ。少なくとも昔のタマならこんなみっともないことしなかった。勝ちにこだわるなら卑怯な手なんて好きに使えばいい。正々堂々闘いたいなら使わなければいい。それだけでしょ!?


こみ上げる怒りがふと、疑問に変わった。…私はどうなんだろう。明日佳さんに勝つためなら卑怯なことをするだろうか。


…たった一度勝ちたいだけならそれでもいいかもしれない。でも、私はもう何回も負けてる。この借りは一回勝ったくらいじゃ返せない。私は何度でも明日佳さんに勝てるようになりたいんだ。


「喧嘩か?」

「拓翔さん! いつからそこに」

「最初から。明日佳を待ってんだ。先に帰ると危ないとかなんとかいって怒られるからな」


校門のすぐ傍に拓翔さんが立っていた。全然気づかなかった…。


「玲奈。お節介は百も承知で先にアドバイスしとくぞ」


お節介とは言えないだろう。どうせ拓翔さんに相談していた。昔からタマの相談はずっと拓翔さんに聞いてもらっている。


「仲直りの最適解はな、自分が何に怒っているのかをなるべく冷静に伝えて、相手がどう思っているのかをなるべく冷静に聞く、だ。もし、仲直りしたかったら参考にしてくれ」

「それでも許せなかったらどうするんですか?

「許せないって伝えるんだよ」

「疎遠になっちゃうじゃないですか」

「どうしても許せないときはな、大抵自分のターンじゃないんだ。相手が何かしてくれるのを待つしかない。それもないなら関係を諦めるか、不満を押し殺すかだ」


…納得した。指針を信頼する相手に示してもらうってのはとても素晴らしい。迷いや怒りが消えて、代わりに自信と安心が漲ってくる。もしかしたらタマもこういう気持ちを期待して私に電話してきたのかもしれない…。


「…参考にします」

「ああ、上手くいくといいな」


拓翔さんはいつも私に道を示してくれる。…タマも鹿王に来ればよかったのに。


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