第12話


「た、拓翔さん! 大変です!」


休憩が終わってすぐ小田が走って報告に来た。…なんだか嫌な予感がする。


「どうした?」

「き、桐島さんが翠晴の1年レギュラーと試合するために練習を抜け出しました!」

「桐島が? ふむ、そうか…」


翠晴の1年レギュラー、間違いなく伊林珠美だ。原作では親友の二人。とはいえ桐島の相談に乗っていたから俺は知っているが、今の二人には溝がある。


二人が仲直りして、友人同士に戻ると言うなら大歓迎だが、更にこじれる可能性も高い。さて、放って置くべきか、首を突っ込むべきか…。原作と桐島からの相談によって事情のほとんどを理解している俺が仲介すれば恐らく互いの誤解をとくことはできる。でも、それで二人が今後も連絡を取り合うような友人関係に戻れるのかは疑問だ。往々にしてこの手の問題に首を突っ込む奴は場をかき乱すだけで解決はできない、と相場が決まっている。


「…ソラ、二人の場所に心当たりは?」

「まず間違いなく第一試合場だろうね。あそこは狭くて古いからあまり使ってないけど設備は整っている。ああ、でも心配しないでくれ。こちらの後輩も関わっているようだし、もてなす側の義理というヤツさ。私が注意して連れ戻してくるよ」

「…いや、ちょっと待ってほしい」


ソラは不思議そうに首を傾げた。


「拓翔。悪いがこれは君だけの問題じゃあない。こっちの後輩、それもレギュラーが絡んでいるんだ。好きなようにさせてもらうよ」

「ソラ、頼む。あいつらを放って置いてくれ」

「分からないなあ。選手がサボったら叱るのが監督の仕事だろう? じゃないと周りの部員が部活を舐めてしまう。そうなれば部活は崩壊だ」


ソラは今尚練習しているプレイヤーたちを指さす。


「ねえ、拓翔。今あそこでサボらずに練習している選手たちだって、君の贔屓の後輩と同じ人間だ。後輩一人を特別扱いするということは彼ら彼女らを無下に扱うのと同じじゃあないのかい?」

「その通りだ。そしてそれは、少なくともウチでは当たり前のことだ」

「その一年だけがなぜ特別なんだい? あそこで練習してる選手たちと一体何が違うというのさ」

「桐島は強い」

「弱いってだけであそこの選手たちの尊厳を傷つけるのか。確かに君のやり方は合理的かもしれないけど、それはあまりに残酷だ。よりにもよって努力の虚しさを誰よりも知る君がそんな残酷な役回りをするなんて辛すぎる。君はもっと楽に生きても許されるはずだよ」


ソラは優しすぎる。自分のチームのことだけじゃなくて、俺の幸せまで願ってくれている。だからこそ鹿王の冷酷な実力主義を批判しているのだ。


「拓翔。君はいろんなものを背負い過ぎている」


…俺はこういう相手を屈服させるための議論が苦手だ。意味がないと思う。こういう議論の末に改心するヤツを見たことがないし、俺だってソラの考えを否定できるほど自分が立派だとも思っていない。


でも今だけは好都合だ。こうしてソラと互いの方針を語っていれば時間は稼げる。せめて桐島と伊林が決着をつけるまでの時間くらいはなんとか稼げなければ…。


「お前。昔から努力は残酷だとか、努力は裏切るとかそういう現実をさも俺が理解してるみたいにいってくるけど、俺はそんな風に思ってないぞ」

「意外だなあ。プレイヤーとして鍛えた日々が今に繋がっているとかそういう詭弁で自分を誤魔化しているのかい?」

「そんなんじゃねえよ。ただ俺の努力はちゃんと報われたってだけだ。そりゃあ俺が思った形ではなかったけどな」

「? それはどういう…」


「拓翔さん!」


俺たちの熱い議論を小田が遮った。しばらく黙っていると思ったら、懸命にスマホでメッセージのやり取りをしていたらしい。


「風間君が翠晴の二年レギュラー 五十嵐晋也さんと第一試合場で試合しているらしいです!」

「は?」


確かに風間も見当たらない。俺は天を仰いだ。…どういうことだ? 五十嵐と風間に接点はないはず。普通いきなり会った奴と試合したくて練習抜け出すか? 


「…拓翔。私も君の方針を口だけで否定するつもりはない。チームの勝利で否定したいんだ。だからウチのバカどもだけでも止めさせてもらうよ」


最早ソラには何の躊躇いもなかった。俺との話し合いなどなかったように早足で第一試合場に向かいだす。


「待て! ソラ、俺も行く!」


はぁ…。連れてくるメンバー間違ったかもな。





俺たちが第一試合場に着くと既に桐島と伊林の勝負は終わっていた。桐島が倒れている伊林に手を伸ばしている。桐島が勝ったのだろう。


風間と青い短髪のガラの悪い男 五十嵐は未だ闘っているが、もうすぐ決着だろう。


「舐めやがって…!」


風間は本当にゆっくり上段から刀を振り下ろしていく。五十嵐との距離は十歩程度あり、当然間合いの外だ。それに異常にスローな振り下ろしは挑発としか思えない。五十嵐はそんなふざけた様子の風間に襲い掛かる。


五十嵐の下段蹴りは素早かった。振りもコンパクトで突然刀が加速したとしても、充分に余裕をもって風間に命中したはずだろう。しかしその足は虚しく宙を蹴る。風間が消えたのだ。


俺の目で再び風間が見えたのは五十嵐の背後から斬りかかる時だ。斬る、というよりは叩くような乱暴な一撃で五十嵐は前に転がる。大分風間らしくない。よほど頭にキテるな。


「ぐはっ!!」


人間は正面からの痛みに強い。タイミングと痛みを予測して備えることができるからだ。人間、覚悟ができれば大抵の痛みは耐えられる。しかし不意打ちを覚悟することはできない。そのため実際のダメージより遥かに大きな負担となる。加えて突然の痛みは軽いパニックを引き起こし、ほんの一瞬、相手を麻痺させる。


本来、活かすことなど到底不可能だろう極僅かな須臾。それでも風間には長過ぎる時間だった。


再び風間が消える。五十嵐はすぐに正気を取り戻し、立ち上がった。いや、立ち上がろうとした。しかし地面に手を着いたのと同時に五十嵐の傍らに現れた風間によって打刀が頭に打ち込まれる…寸前、風間の打刀をソラが腕で受け止めた。


いつの間に試合場に入ったんだ?


「邪魔しないでよ」

「ソラさん…! どうして」


「黙るんだ、晋也。私が何の為に君たちを皆とは別の場所で練習させていたと思っているんだい?」


ソラの気迫で五十嵐は項垂れた。もちろん風間は全然気にしていなさそうだし、止める素振りも見えないので俺も声を張り上げる。


「風間ぁ! そこまでだ!」

「…ちっ」


風間はこちらを一瞥して、渋々打刀を消した。そして頭を掻きながらこっちに歩いてくる。一応、怒られることをした自覚はあるようだ。眉間には皺が寄り、歩幅が小さい。どうやって言い訳するか考えながら歩いているに違いない。


「安心しろ、話しは揃ってからだ。」


桐島が風間より遅いペースと難しい顔でこっちに歩いて来る。桐島も言い訳を考えているのだろうか、それとも伊林との関係について考えているのだろうか。






「…………………」

「すんませんでした」

「あたしも軽率でした。ごめんなさい」


二人とも堂々としたものだった。ストレートに謝る作戦でいくことにしたようだな。


「取り敢えず動機を聞かせてくれ。なんで練習をサボってまで試合したんだ。確かに翠晴のレギュラーとはできなかったかもしれないが、お前らのレベルを考えるとレギュラーでもそうじゃなくても大差はなかっただろう」

「「別に…」」


それぞれ違う方にそっぽを向く。…理由も言いたくないか。弱ったな。この二人が意固地になったらテコでも言わないぞ。桐島からは伊林とどうなったのか訊きたいし、風間には普通に動機を訊きたかったのだけど…。


俺は口を硬く噤む二人を見る。…そして色々考えて、ため息一つの間に二人を許すことを決めた。こいつらみたいに自分で自分を追い込むタイプはこっちが無理に厳しくしても上手くいかない。


「…翠晴のレギュラーはどうだった?」

「楽勝でした」

「邪魔さえなければ俺があのまま無傷で勝ってた」

「ならいい。…次からは先に俺に声かけろよ。ほら、さっさと練習に戻れ。」


俺は二人を練習に追い返す。桐島も風間も目を大きく見開いて驚いた顔をして呆けていたが、俺が睨むと走って第二試合場に戻っていく。別に怒ってはいない。ただ不安なだけだ。下が勝手な行動をするときは大抵上が上手くやれていない。昨今の俺はちょっと頼りなかったかもな…。


自省をしているとソラが五十嵐を連れてこっちに来た。厳つい顔をした五十嵐は明らかな怒気を抱えていて、今にも俺を殴ってきそうだ。…まさか風間に人道的に問題ある挑発でもされたか!?


「拓翔。悪いんだけどウチの後輩の話しを聞いてくれるかい?」

「あ、あぁ…」


数秒の気まずい静寂が訪れる。おれよりもでかく、長津よりも小さいくらいの五十嵐はじっと俺を見つめていて、特に何も言わない。視線でソラに助けを求めると待つようにジェスチャーされた。


「すぅ~ー…」


更に10秒ほど待った後、五十嵐は大きく息を吸って、深々と頭を下げてくる。


「は?」

「すみませんでした!! 俺が未熟だったためにあなたの手腕を認められず、陰口を叩いてしまいました!」

「えっと…。ありがとう? 全然気にしないでいいぞ」

「ありがとうございます!」


それだけ言って五十嵐は俺から離れていく。


「今のは?」

「さっきの勝負、どう見ても晋也の負けだっただろう? だから約束を果たしたいそうだ」

「約束ってなんだよ」

「負けたら君に謝るってやつさ」

「勝ったら?」

「さぁ? そこまでは聞いていないんだ」

「ふーん、そうか…」


今はソラの前だから平静を装っているがジーンときた。泣きそうだ。風間は俺のために闘ってくれていたのか…! 尤も、そんなことより真面目に練習してほしかったが…。 


「済まないね。晋也は悪い奴じゃないけど思い込みが激しい」

「はは、分かるよ。でも不思議とそういう後輩ほど可愛いよな。…ちなみに陰口ってどんなのなんだ?」

「あー…、ちょっとそれは私から言うのは憚られるなあ」

「別に怒らないし、傷つかねえよ。それよりそこまで言ったんだ。聞かないほうが気になって気持ち悪い」

「…『案山子』だよ」

「案山子? あの畑に立ってるヤツか?」

「そう。片足で立っているだけって意味らしい」

「なるほど、案山子か…」


結構うまい事を言うな。 …! その時、俺は閃いた。両手を広げて、案山子と大声で叫ぶジョークはどうだろうか。……………いや、流石に面白くないか。


――――――――――――――――――――――


帰りのバスの中、あたしはタマのことを思い出していた。試合は圧勝、特に危なげもなかった。盛り上がるところもなく、ただ私の圧勝。でも、何故かあの試合は他の試合より楽しかった。……なんでなんだろ。


「はー…、キショすぎ」


後ろの席の風間が不貞腐れて寝たフリを始める。発端は、拓翔さんを悪く言われて翠晴のレギュラーに試合を申し込んだのがバレたことだ。拓翔さんは余程嬉しかったようで、ミーティングでそれを大々的に発表した。結果、皆が入部の時の風間を持ち出して、ひっきりなしにからかっている。


おかげで車内は五月蠅くて考えがまとまらない。…仕方ない。拓翔さんに相談しよう。拓翔さんまでは席が遠いので、スマホを取り出してメッセージを送る。


『あたし、タマと仲直りすべきなんでしょうか』

『お前はまだ伊林に怒っているのか?』


中学2年に上がった頃からタマは部活をサボるようになった。クラスメイトと遊ぶのに忙しくなったのだ。あたしは寂しかったけど、まだ納得できた。タマがそういう道を選んで、それがタマの幸せならそれでも構わなかった。なのに、タマはただの添え物でしかなかった。クラスメイトたちといても全然楽しそうじゃないし、馴染んでいるわけでもない。ただ惰性で誘われるだけの交友関係に縛られて部活を辞めた。



「ねえ、それでタマは幸せなの?」

「幸せかどうかなんて関係ないよ。私の居場所はもう部活にないから…」

「なにそれ。謝るのが怖いだけでしょ」

「…私が玲奈ちゃんみたいに強かったらなぁ」

「弱虫」

「そうだね…。私、弱虫だ」


部活を辞めてすぐのこの会話以来、あたしとタマは話さなくなった。…あたしがタマに苛ついていた所はあの諦念した無気力さだ。…今はそれが変わって再びファンタジアに全力を注いでいるという。 …じゃああたしは何故タマを許せないんだろう?


『分かりません』

『そうか。じゃあもっと話せ。話してから決めろ』

『話すんですか? それ、既に仲直りしてません?』

『人が判断を誤る理由第一位は情報不足だぞ。どうしていいか分からないときはとにかく調べろ』

『えー、なんかそういうお堅いアドバイスが欲しかったわけじゃないんですけど』

『電話するのも躊躇うほど嫌いなのか? だったら仲直りなんかするべきじゃないが…。 ただ怖いとか面倒ってだけなら電話しとけ』


…不思議だ。赤の他人に言われたら全然納得できないアドバイスなのに拓翔さんに言われると自然に受け入れられる。相手ってのは大切だなあ…。あ。なるほど。


タマとの試合が楽しかったのも一緒だ。相手がタマだったから楽しかったんだ。そのことに気が付くとあたしは自然にタマの連絡先を探していた。



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