第3章 そして、妹ができました

 それから2年後、直美さんは、娘、のえるちゃんを産みました。その後私は彼女に会う用事があって通称「秘密の部屋」に入りました。机の横にある不活性ガスで満たされたアクリルケースの中にいるえみりさんは表情を変えずまばたきもしないで、仕事の合間に母親として幼い娘をあやしている彼女をじっと見守っていました。お姉ちゃんになって年の離れた妹に対してなにか言いたいこととか思うところとかはあるのでしょうか。私は、

「えみちゃん、妹ちゃんできてお姉ちゃんになったけどどう思う?どんなことしてあげたい?抱いてみたいと思ったことある?」

と聞いてみましたがもちろん答えてくれませんでした。


 更に月日が経って社内に「社長は秘密の部屋で亡くなった娘と一緒に仕事をしている」といううわさが少しづつ広まるようになって部屋の入口に花やお菓子といったものがポツポツ置かれるようになっていきました。そしてえみりさんの似顔絵が社内マスコットになったりしました。そして彼女の23歳の誕生日には名誉社員就任式をやって入社辞令を発行したそうで、その後はアクリルケースの横の壁に額装されて掲げられていました。その頃から「社長令嬢の部屋」とも呼ばれるようになりました。直美さんはごくたまにこれを知った社員に

「お言葉ですが、ずっと成長しないこのままの姿を見て悲しくならないんですか?」

と、聞かれることがあるそうですが、

「わたしにとってえみりが大きくならないことはちっとも悲しくなんかないわ。かわいいわたしの娘を写真だけでしか見ることができないほうが実在の人物じゃなくなったみたいでよっぽど悲しいわ。えみりはこの場所にいてくれることが大事だわ。いや、この場所にいてくれないと困るわ。わたし達はずっと一緒だから。それにこれからの世界も見てほしいわ」

と言ったことがあったそうです。そのときは直美さんの血と汗と涙の結晶が上場企業として独り立ちするまでもう一歩というところだったのでそれを娘にどうしても見てほしかったという意味もあったのでしょう。病気や突然の事故で亡くした我が子と一緒に暮らしているというような話もたまに聞くようになっても違和感を感じる人はそれなりにいるみたいです。


 のえるちゃんが10歳のときに株式上場の日がやってきてテレビニュースに証券取引所で鐘を鳴らす直美さんの姿が流れました。彼女はIPOで6割位の株を手放してうちの会社はオーナー企業ではなくなりました。私はだいぶ前にボーナスとしてストックオプションをもらっていたのでささやかですが上場の恩恵はありました。直美さんはのえるちゃんのことも考えてテレワークメインで活動することにしました。本社の社長室を統合して「秘密の部屋」を閉じて、彼女は予告通りえみりさんを家に連れて帰ることにしました。それでささやかなお別れ会を開きました。そのときは少なくない社員が参加して彼女との別れを惜しみました。最後に学校帰りに立ち寄ったのえるちゃんとツーショットを撮っているときはまるで双子のようでした。


 私はその後、直美さんの家に行きました。家の中にあのときの「秘密の部屋」が狭くなりましたがほぼそのまま再現されていて今でも10代前半の姿のままで名誉社員となったえみりさんに見守られながら会社の仕事やのえるちゃんの宿題のチェックなどをしていました。直美さんは、

「このアクリルケースはまず開けることはないけど、もし事情があって開けることになったらえみりにリクルートスーツを着せたいわ。本当はもう25歳だから」 

と言っていました。

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うちの社長兼親友の「永遠の親子の愛」 Hugo Kirara3500 @kirara3500

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