雨の降る七号棟
ナツメダ ユキ
ひだまりの夢
「大丈夫、大丈夫だから。ぼくがずっと守ってやるからな。」
記憶の中の声につられて、ひだまりの匂いがした。
少しだけ前までは、息がうまく吸い込めないのとか、手が寒いのとかが気になっていたけど、今はなんだか柔らかい毛布に包まれているみたいに体全体が暖かくて、ずっとこうしていられるのなら、生きているよりずっと良いのではないかと思った。
日奈の所属する五-210隊は、日奈にとって最高の居場所だった。小学校で、“自警団の子とは仲良くしない”といじわるを言われたときも、みんなの居る家に帰れば、“つらかったね”と言って話を聞いてもらえて、その時だけは隊をまとめるみんなの先生を独り占めすることもできた。なかでも一番嬉しかったのは、日奈と同い年の
ちょっと悲しかっただけで正直日奈はそんなに怒っていないというときも、正宗は今すぐにでもいじめっ子たちの家に走って向かいかねない勢いで、顔を真っ赤にして激怒した。それは勿論、ここが大好きな正宗だから、組織のことをばかにされたのが悔しかったのもあるだろうが、一番は日奈の笑顔を取り戻すためなのだということを、日奈はよく知っていた。
それに、弱虫で訓練生の時から怒られてばかりだった日奈と違って、正宗はとても強い。おなじ小学校に通って、おなじ組織の、おなじ棟の、おなじ階の、おなじ部屋で生活していたとしても、正宗は日奈とは全く別格の存在だった。そんな正宗が自分のために怒ってくれたら、日奈はどんないじめっ子だってちっとも怖くないという気持ちになれた。
「日奈!日奈起きろ!もうすぐ先生がくるから、絶対にくるから!」
あの時みたいに怒った正宗の声が聞こえて、日奈はふふっと笑いそうになる。そして気づいた。正宗は泣いていた。
日奈は泣いている正宗をはじめて見た。“見た”と言っても、声を聞いただけなので、正確に見られたわけじゃない。正宗の顔を覗き込もうと思ったけれど、正宗がどっちに居て、自分の目がどこについているのか、日奈にはもうわからなくなっていた。
「絶っっっ対にぼくが一番だった。あいつら何もわかってないな!」
うん、日奈もそう思う。と、口に出したかもしれないし、思っただけかもしれない。
でも日奈は、正宗が一番じゃなかったことを知っていた。正宗が参加した上級生との訓練に日奈が出られたことはないし、当然結果なんて見ることは叶わないけれど、正宗が“絶対”というときは、決まってその反対のことが起こっているからだ。
それでも正宗は強いから、きっといつか“一番じゃなかった自分”と向き合えるようになるし、そうして本当の一番になる。だからそれまでの少しの間、正宗の言う“絶対”を信じてあげる人に、日奈はなりたいと思っていた。
男子部屋の二段ベッドの上で拗ねている正宗に、先生と日奈でご飯を作った。他の二人は中学生と高校生だから、この時間はまだ帰ってきていない。
先生がよそってくれたカレーには、きれいな野菜とそうじゃない野菜がたっぷり入っていて、正面に座った正宗は、そのうちのきれいじゃない方を器用に掬って口に運んでは嬉しそうな顔をした。
「日奈にしてはよく頑張ったんじゃないの?ぼくならもうちょっときれいにできるけどね。」
ありがとう、正宗くん。
日奈がそう口にしても、正宗の声は泣いているままだ。なんならちょっと怒りだしているような気さえする。なんと言っているのかは、もうよく聞こえなかった。
日奈は不思議だった。日奈の目の前に座った正宗は、カレーを頬張って嬉しそうに笑っているのに。どっちの正宗が本当の正宗なのだろう。と、日奈は考える。
わからない。わからないけど、日奈は笑っている正宗が一番好きだった。先生がいて、みんながいる、笑顔の五-210隊が、日奈にとっての本当だった。
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