第8話 肉屋
貴族はしばしば魔獣狩りを行った。
それは領内の魔獣による被害を減らす、討伐の意味合いもあったが、ことさら上級貴族の間では存在感を示す手段の一つであった。
顔子爵領のある
侯爵家には
二人は昔から仲が悪く、事あるごとに喧嘩し、今では家督争いで忙しくしている。
侯爵も二人の
このたびも、二人を
その肉屋は長年侯爵家と取引があった。
だから魔獣の注文があったときも、その用途については
狩りの成果とするのだ。
上級貴族の魔獣狩りでは、直接魔獣と戦う事はあまりない。
配下や、雇った冒険者が倒した魔獣を、自分の手柄として誇るのだ。
だが時として、全く魔獣を討伐できない事もある。そんなとき彼らは、狩りでない別の手段を用いて、魔獣を確保する事があり、それは公然と認められていた。
代替手段を用意するのも、手腕の一つと考えられているようだった。
肉屋も、過去に何回か魔獣を調達する事をしていた。
今回は、孫家の長男、孫徳からの依頼であった。
肉屋はすぐに
──こうなっては仕方がない。
肉屋は侯爵領内での確保を諦め、外から持ち込むことを考えた。
しかし実際問題、かなり難しい方法であった。
狩りの成果とするには、魔獣まるごとが必要である。
解体した切り身を持って行っても笑われるだけだ。あくまで、討ち取った
魔獣は普通、すぐに解体されてしまう。その方が圧倒的に
丸ごと残るのは、よほど状態が綺麗なものか、
──値が張るのはいい。
問題は、競り市において、領内の業者が優先的に入札するという制度がある事だ。
領外の者は、買い手が付かず、一度、競りが流れてからの再入札からしか参加できない。
領内の業者達が、開始値が高くて敬遠するか、他の入札のためスルーするか、巡り合わせの良さが問われる事になる。
そのような理由があり、南辺まで足を運んだ肉屋であったが、それほど期待は持てなかった。
しかし、競り場に持ち込まれた魔獣を見て、その気分は一転した。
──四頭だと!?
朗報であった。
経験則上、三頭あれば、十中八九、再入札が発生する。
しかも今回は四頭。
金に糸目を付けなければ、二頭確保する事も不可能ではないと思えた。
だがその期待は、最初の入札が終わったときに霧散した。
落札した業者は領外の者であった。
完全に規定違反であり、競り場は騒然となった。
誰もが、この入札は無効になると考えていたが、それをひっくり返す男が出てきた。
侯爵家の次男、孫大だ。
彼はこの取引は、実質、侯爵家が買い付けるものであり、規定の例外事項にあたると主張したのだ。
肉屋には残念ながら、それが本当かどうか判断する知識はなかった。
おそらく、この場に居合わせた殆どの者にとって難しい話だったのではないか。
最終的には侯爵家の威光の前に、競りは有名無実なものへと変えられた。
そして、まんまと全ての魔獣を買い占めてしまったのだ。
肉屋は頭にきていた。
それは自分が買い付け出来なかった事への不満も勿論であるが、孫大の横暴なやり方に怒りが込み上げてきた。
しかも肉屋は知っている。
あの魔獣が、孫大が討ち取ったという成果として使われる事を。
──あんな奴が、次の侯爵になっていいのか。
諦めとも悲しみとも表現しきれない、やるせない気持ちになった。
そんなとき、競り場の人間が、あの役人に何かを見せている。
相談しているようだが──。
──あっ!
肉屋は思うやいなや、二人に駆け寄った。
「もし。失礼ですが、よろしければ、その手形。私にお譲り頂けませんでしょうか?」
「どういうことですか?」
役人が問う。
「手前が拝見いたしますに、こちらでは、その手形は少々持てあますのではないかと」
「手前は昔から孫侯爵家とは取引があります
「先程のやり取りを見ておりまして。大変ご苦労されたと、
「手前ごときが、なんら出来ることなどないかと考えまして。生意気にもお声を掛けさせて頂いた次第で御座います」
この時の肉屋は、もはや
その心胆は、彼の言葉の
「
競り場の者が、役人に問う。
「実際持てあましそうなのは、本当よね」
「はい。私としては現金に変えられるのでしたら、多少安くてもいいかと」
その言葉に肉屋は
「いえいえ。とんでもない。安く買い取ろうなどという気は御座いません」
「少しでもお力になれたらと、それだけで御座います」
そう言って、肉屋は何度も頭を下げた。
二人は肉屋の誠意に感動し、快く手形の
手形を入手した後の肉屋の行動は早かった。
馬車を飛ばし急いで自宅に戻ると、身なりを整え、再び馬車を走らせ侯爵家の別邸に向かった。
狩りが行われるときは、いつも、この別邸が使われる。
別邸に着くと、すぐに孫徳の居所を聞き出し、そちらへと向かった。
孫徳は肉屋が来たと聞いて、魔獣が手に入ったのだろうと
しかし、肉屋が荷車の一つも引いていないのを見て、いぶかしく思った。
「お前には、魔獣を用意するよう注文を出したはずだが──」
「大急ぎで来たと思えば、手ぶらで、いったい如何なる用向きなのか?」
肉屋は手に入れた手形を差し出し、事の経緯を話した。
それは確かに肉屋自身が目にした事実であったが、その叙述には、義憤に駆られる彼の主観が混在していた。
内容は、孫大が侯爵家の名を使って、脅すように魔獣を買い占めたというもので。孫家の家名に泥を塗るどころか、大いに恨みを買ったであろう、というものだった。
また、その行いは多くの衆目を集め、悪評が広がるのも時間の問題だと断じた。
孫徳は、しばし黙考し──。
「事が大きくなる前に手を打つ必要がある。父上に相談しようと思う。ついては、今の話をもう一度してもらうことになる」
そう言って、肉屋を連れて侯爵の元へ向かった。
話を聞いた侯爵は、最初、半信半疑であったが。
魔獣四頭を、どのように仕留めたか、という孫大の
──ここまで愚かな
と、あきれた。
その後、孫徳が家督を継ぐことが正式に決まった。
孫大が脱落した要因については沈黙が貫かれたが、関係者には既に知られた話だった。
広めたのは、ほかでもない、あの肉屋である。
元々は、孫大の足を引っ張りたい孫徳の、それとなく噂を流して欲しいという頼みだった。
しかし、肉屋の孫大への憤怒は相当強く、いつしか独走する正義感に変わり、執拗に彼を突き動かした。
彼は関係者のみならず、仲間の商人達にまで孫大の失態を流布した。
結果、思いも寄らぬ方向へ事態は動いた。
家督争いに敗れ、悪評も広まってしまった孫大は。
どういう訳か。
──あいつらが仕組んだ事だ。
と、手形を孫徳に渡したのは競り市にいた役人達、即ち、顔子爵家の人間であると思い込んだ。
そして、顔家に対して、並々ならぬ憎悪の念を抱いた。
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