太陽の音を忘れない

榎木扇海

第1話

「ちょっと、そこどいてよ!」

最近また賑わいを見せているルーズソックスを履いた女子高生が、忌々しげに背中をどついた。

 僕は「あっすいません…」と縮こまり、さっと道を譲る。

 彼女は触れるのも嫌というふうに顔を顰めて足早に去っていった。


 ふぅっとため息を吐き、肩を落とした。

 僕にはもうあの輝きはなくなった。いや、初めからなかったのだろう。

 いつか手に入れると思っていたものは、一層手の届かないところに行ってしまった。


 僕の耳を穿つ喧騒の中で、突如、ギターを掻き鳴らす音がした。―――かつてのさがか、僕は無意識に顔を音に向けた。

 それと同時に汚れたギターを抱えた少女が歌い出した。調子っぱずれの酷い歌とギターで、マイクも安いらしく、雑音を拾っては酷い音と混ぜて投げ出していた。

 隣を歩いていた金髪の男は、舌打ちをして早足で去っていった。

 近くのサラリーマンも泣き出しそうな顔で耳を塞いだ。


 僕は、おもわず立ち止まった。

―― あぁ、若いなぁ ――

袖のほつれたパーカーを纏い、ざんばら頭のまま、道の真ん中で歌っているその姿が、あまりにも眩しかった。


 どんっと肩をぶつけられ、それと同時に放たれた舌打ちで我を取り戻し、そそくさと歩き出した。

「すみません…」

誰にむけるわけでもなく謝る。

 こんな自分は、あの少女にどう映るかと、考えていた。


 一層背中を丸くして彼女の前を通り過ぎたそのすぐ後、奏でていた曲がサビらしき局面に差し掛かった。

 その酷い外れた音が、ゆっくりと、それでもなお僕の記憶を掘り返した。

 気付けば、僕は踵を返し、押し寄せる人の波に逆らって彼女の前まで戻ってきていた。

 汗水垂らして鼻息をふかす僕を見て、彼女は不審げに演奏を止めた。

「そ、それっ…なんていう曲ですか?」

永年のコミュ障が猛威を振るうどもり具合で尋ねると、彼女は一転キラキラと輝く目で返した。

「これ?さっき弾いてたやつ?」

頷く。彼女はいっそう嬉しそうに笑った。

「あれね、私の好きなロックバンドの曲で」


「"Music Of Sun"っていうの」


*** *** ***


 僕は高校生の時、軽音楽部に入っていた。と言っても部員6人内4人が幽霊部員という超小規模部活で、大会どころか文化祭にさえ出させてもらえなかった。


 そんな中、僕ともうひとり―――香取かとり先輩は、クーラーもついていない旧校舎の一角で、週に一度細々と練習をしていた。


 香取先輩は1個年上の女の先輩で、明るく強く、天真爛漫でちゃめっ気のあるひとだった。

 彼女は一人でギターボーカルをこなし、それもまた聞き惚れるほど素晴らしかった。それを自身も理解しており、いつかアメリカでステージに立つと日々言っていた。


 僕はその頃から引っ込み思案で気が弱く、いつも自分をはっきり持っている香取先輩に強く憧れていた。

 ―――少なからず彼女に恋をしていた時期はあったと思う。


 ただ、正直僕は軽音楽部というものがこうも寂しいもので、文化祭でさえ発表できないようなしょぼくれたものだとは思っておらず、多少不満は抱いていた。

 また、香取先輩のように才能ある人間がこんなところで足止めを食らっているのなんか見てられなかった。


 ある日直談判したことがある。

 当時部長だった先輩に「こんな部活辞めましょう」と叫んだ。

 その寸前、クラスメイトに軽音楽部のこと―――香取先輩のことをからかわれたのが腹が立ってしょうがなかったのだ。

 先輩は飄々とした顔で「辞めないよ」と言った。

「君にも辞められたら困るよ」

彼女はギターを手に取った。

「私の隣に立てるドラマーは君だけだよ?」

そう言って彼女はブレザーのポケットからカセットプレーヤーを取り出し、僕に押し付けた。

 僕がイヤフォンをつけるより先に彼女は再生ボタン押し、軽快に演奏を始めた。

 僕の耳を貫く音楽と彼女の奏でる音がまったくズレずに重なっていると気づいたとき、しみじみと、天才だ、と思った。

「大好きなバンドの曲でね、」

彼女は演奏しながら喋りだした。

「"Music Of Sun"っていうの」

「太陽の、音楽…?」

「そう!」

「太陽の音楽ってなんだろうね!」彼女は笑った。

 僕が聞きたいことを先に言われてしまったし、それでいいのかとも思うけれど、そんなのどうでもよかった。

 彼女はとても楽しそうに弾いた。思わず、僕の身が疼くくらいに。

 それを彼女は見逃さなかった。

「ほら!体動いてるじゃん!叩きたくてウズウズしてるくせに、辞めるなんて馬鹿なこと言うもんじゃないよ」

つい笑ってしまった。あまりにも図星過ぎて、可笑しくなったのだった。

 イヤフォンを耳にねじ込み、カセットプレーヤーはポケットに入れる。

 急いで、ボロいドラムの前に座った。


 クソ暑い旧校舎の一角で、僕らは汗だらだらで頭が朦朧としている中、がむしゃらに太陽の音を楽しんでいた。


*** *** ***


 結局、香取先輩が卒業して、僕が引退すると軽音楽部はなくなってしまった。

 けれど、間違いなく、あれは僕の青春だった。


 香取先輩が卒業後どうなったかは知らない。知るすべもない。


 けれど


『おじさん、もしかして音楽経験ある!?』


『私とバンド組まない?』


 とりあえず僕は、僕の太陽の音を楽しむことにする。

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太陽の音を忘れない 榎木扇海 @senmi_enoki-15

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