型置日皆

 ここは寒い、それにすごく頭が痛い。瞼をあけるのも億劫になる程に、火照る身体。ぼやけた視界で見上げた先にあったのは、焦燥に駆られた、女の人と男の人の顔。

 それが、おかあさんとおとうさんである事を認識するまでのタイムラグは、脳の機能が緩やかに停止していくことを意味していた。


 「み………ず……」


 たった二音を発するだけなのに、途轍もない吐き気がする。ぐるぐると回る世界、ワタシだけがそこに取り残されるような感覚。

 部屋に響くピッピッという音がうるさい。誰か止めて欲しい。


 「ひ—な!——、る?すこ—つね?」


 酷い耳鳴り、耳をつんざく様に聞こえるそれは、おかさあんの言葉をかき消してゆく。

差し出された水を、ゆっくり、ゆっくり、身体に流し込む。身体を通る水はすごく冷たくて、コップを支えてくれる、おかあさんの手は、とても温かい気がした。


 「手ぇ……握っててもいい……?」

 「—いのよ。——気になる——まで—ぎっててあげ——ね」


 涙ながらに優しくほころぶお母さんの顔は、冬の雪を溶かす春の陽の光の様で、なんだか安心してしまう。

 温かさに当てられ、うつらうつらと眠くなってきた。酷かった耳鳴りも少しは治ってきたみたい。

 さっきまで忙しなく鳴り響いていた電子音は次第に緩やかになってゆく。だんだんと、頭もぼーっとしてきた。

 瞼が重い、今はよく眠れそうだったけど、頬にあたるおかあさんの温もりが、どうしても名残惜しくて———


 「嫌!——!ひみ—!どう——う!練司れんじくん!—みなが死んじゃう!」


 おかあさんのその言葉で自分の状況を理解する。

 そうか、わたし死んじゃうんだ。嫌だなぁ、まだまだしたい事、あったのになぁ。

 でも、これで終わり。このまま瞼を閉じて仕舞えば、二度と暗闇からは戻れない。

 せめてもの心残りといえば、シロとクロ、もう虐められないといいなぁ。

もっと、おかあさんとおとうさん一緒がよかったなぁ。

 窓の側で俯いていたおとうさんが、ベットの側の鞄から何かを取り出す。銀色の小さなケースから取り出したのは、赤い液体の入った小さな注射器だった。


 「こ—、使お—か」


 おとうさんの言葉に酷く驚いた顔をするおかあさん。


 「っ!そ—は……どう——もまだじゃない!」

 「でも、ぼ—は、—のまま日皆を失う事に耐えら——い……」


 今にも泣き出してしまいそうなおとうさんとおかあさんをみて、胸がきゅっと締め上げられる。私は大丈夫だから、そんな顔しないで?


 「真白ましろと出逢って、色んなことをした。何度も間違えそうになったけど、君が連れ戻してくれた。そして、日皆が産まれた。僕は、これに今までを賭けてきた。でも、君と日皆は僕にとっての一番なんだ……この選択が間違っていたとしても、このまま死なせてしまうくらいなら僕の全部で……日皆の続きを描いて欲しい」


 思い出を懐かしむような、低く優しい声が心地よく頭に響き渡る。暫しの沈黙、されど刻一刻と身体から、熱が失われていくのがわかる。

 一息置いて、話し始めたおかあさんは、私の頬を撫でながら、もうどうしようもないというような表情で私を見ていた。

 おかあさんに撫でられるうちに、耳鳴りはかなりマシになったらしい。しかし、あいも変わらず身体は動かないので、私には眺めていることしかできなかった。


 「練司くんが『使う』と言うのなら止めない。でも、登録はすませてあるの?」

 「日皆が産まれた時に、真っ先に済ませてある。これに適性があるのは、僕と君と日皆だけだ」

 「そう……心は決めてあるのね」


 ほんの少しだけ、悲しそうにおとうさんを見つめるおかあさん。

そんな視線を振り切って、おとうさんは私の側までやってきた。

 大きな手で、ゆっくりと私の頭を撫でる。温かさと心地よさで、眠ってしまいそうになるのを我慢しながら、精一杯の痩せ我慢で、笑ってみせた。


 「ごめんね日皆、少し痛いかもしれないよ」

 

 頭を撫で終えた手は、腕へと向かう。ふにふにと何かを探る手つき、目当ては見つかったらしい。

おそらく動脈だろう。右手にある注射器から覗く、鋭く細い針は身体の中へ。

 幸い、針の痛みはそれほどなかった。ぼーっとする頭は、ソレを認識するほど覚醒していない。

しかし、身体に流れ込む、なにか、は別だ。静かに血と混ざり合い、広がってゆく。空になった注射器、優しく引き抜かれる針。

 終わったと思ったその瞬間、身体が大きく跳ねた。まな板に生きたままのせられた魚のようで、少し可笑しい。自分の身体の事なのにこんな風に思うのは変だろうか?


 「クソ……!思ったよりボロボロだったのか……日皆!負けちゃダメだよ!」


 どこか無関心な私の代わりに、おとうさんとおかあさんはとても焦っていた。そういえば、息吸わなきゃだった。

 

 「は……ッ!?」


 身体が大きく跳ねる、肺は酸素を求めていた。やけに客観的な視界に映ったのは、ベッドボードの上に飾られていたおかあさんの買ってきた緋色の鳥の置物と、心配そうに見つめる両親。

 その部屋せかいでの記憶は、そこでぷっつりと途切れている。やけに鮮烈なイメージを残して。

 

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