初めての戦闘

 音を立てて落ちた首輪を見て、対面する兵士たちがざわめく。


「外れた。逃げよう、ミーティア」


 長々と地下にいては屋敷につながる道の方から、増援が来るかもしれないとルベルは思い、できる限り素早く屋敷までの一本道を走り抜けたかった。


 ミーティアの手を引き、地下通路に向かって走り出す。


 ルベルに手を引かれ走るミーティアは何が起こったか分からない様子で全力で走ることができていなかった。


「ミーティア!! 逃げるぞ!! 惚けてる暇はない」


 ルベルの声に我を取り戻したようにミーティアの足に力が宿る。


「そうね、ルベルちゃん。今は逃げることを優先するべきね」


 ミーティアの手を引いてルベルが前を走っていたが、首輪が外れた今、ルベルよりもミーティアの方が足が速い。なかば、抱えられるようになりながらルベルは地下通路を駆け抜けていく。


 スピードで兵士との距離をグングンと引き離していく。さっきまでガチャガチャと聞こえていた鎧の音も一切聞こえない。


 一本道の一番奥に螺旋階段があった。


 石造りの粗雑な螺旋階段を見てルベルは、この場所が砦や城などの防衛的な要所ではないかと考える。螺旋階段が、建築技法として普及した背景には防衛的な側面を大いに有する。というのも、大概の螺旋階段は右回りに作られている。右利きの兵士が利き手で攻撃した場合、支柱が邪魔になって階段の上にいる相手に攻撃することが制限されるからだ。


 この場所が砦や城だった場合、母を救出した後に逃げるのが困難である可能性が高い。ルベルは抱えられ螺旋階段を上りながら考える。


 一分もしない内に、階段を上り切る。


 階段を上り切った先には、扉が一つあるだけだった。


 扉の先にはおそらく兵士が待ち構えているのだろう。ルベルは抱き上げられていた状態から地面にゆっくりおろされる。ミーティアもこの先に兵士がいることを悟っているのだろうと、ルベルは思った。


「ルベルちゃん。私が扉を開けて、敵の中に飛び込んで敵をかく乱するから、混乱に乗じてルクス様のところまで走って」


「一緒に生きて逃げようと言ったじゃないか。敵の数にもよるが二人で動いた方が勝率が高いだろう」


 今まではおそらく、前世の伊織の魂の比重が大きかったのだろう。不安定なバランスで、肉体の能力を最大限引き出せていなかったのだと思う。


 ルベルは、魔力の使い方を覚えてから、自身の身体能力が大幅に強化されたのを感じていた。


 不安定だった前世と今世混ざり合い、安定したからだとルベルは考える。


 今のルベルの力なら、兵士と力比べになっても一対一なら負けはしない。とはいえ、前世の伊織は戦闘経験もなければ、運動不足もいいところだった。ルベルに正面から戦って勝てる自信はなかった。


 だが戦闘の基本は騙し合いだと、孫子から学んだ。情報戦なら自分に利があるとルベルは自信をもって言える。


「私が最初に扉を開けて、出ていくからミーティアは私が合図するまで扉の陰に隠れてて欲しい。私が合図したら、全力で私を抱えて走り抜けてほしい」


「わかったわ。信じるからね。ルベルちゃん」


 ミーティアの顔に不満も不安もなかった。目の前の小さな子供に自分の運命を託したのだ。


 ルベルは深呼吸して扉に手をかける。ギィと鈍い音を立ててドアが開いた。


 ルベルの眼前に飛び込んでくるのは、三十人ほどのフルプレートで武装した兵士の姿だ。ルベルは兵士の方にゆっくりと近づく。


 兵士たちは、槍やロングソードをルベルに突き出して威圧してくる。


 ルベルはそれでも歩くのをやめない。敵がルベルのことを殺すことができないことを、確信しているからだ。


 ルベルは両手で数えきれないほど、脱走未遂を繰り返してきた。そのたびに、牢屋に連れ戻されはしたが、暴力を振るわれたことは一度もない。兵士たちが優しいのではなく、上司から厳命されているような態度だった。


 ルベルは自身が母の行動を制限する人質だと理解していた。


 敵の行動原理は、ルベルの生け捕りであり、自身を敵とみなしていない今がチャンスだとルベルは思う。


 兵士たちからしてみれば、生け捕りを命じられている対象がのこのこと自分たちの方に来ているのだから、無駄な手間が省けたとしか考えていないだろう。


 ルベルは敵の慢心に付け込んで、足に力を込めて壁沿いを兵士を縫うように走り抜ける。


 不意を突かれた兵士は隊列を崩す。狭い廊下では思うように隊列を組みルベルを追いかけるまで、時間がかかる。とくに、敵はロングソードと槍で武装しており、室内の戦闘には向いていないことをルベルは一目見た時に感づいていた。


 長物の武器を持った兵士たちの中で、小さなパニックが波及していく。


 逃がしてはいけない、かといって殺してしまっては上司に殺される。そんな心境だろうとルベルは思いながら、恐怖で統率してもイレギュラーが起こったら、従順性を生んでいた恐怖が反転し思考を鈍らせるのだと考える。


 パニックにさらなるパニックを与えるべくルベルは叫ぶ。


「ミーティア!!!! 来て!!」


 扉が勢いよく開き、ミーティアがルベルを目掛けて一直線に走ってくる。


 パニック状態の兵士たちは、さらなるイレギュラーを前に理解できずに大きな声を出したルベルを凝視する。


 数拍置いて、後ろから全速力で走ってきているミーティアに気づき武器を構える。


 兵士たちはミーティアの姿を目にして、少し余裕の表情を見せる。


 首輪付きの魔族は脅威にならないという共通意識が、兵士たちに一瞬の安堵をもたらす。その安息も一瞬にして打ち砕かれる。


 兵士たちが思っていた数倍のスピードで、走るミーティアを見て、兵士たちに動揺が走る。


 感情は起伏が大きければ大きいほど、ルベルの思う壺だ。ジェットコースターのようにパニックと安心が交互に襲ってきたら三十人の兵士は、統率の取れない三十人の群衆へと変わる。


 ミーティアが人とは比べ物にならない跳躍力で、兵士たちの頭上を飛び越える。着地地点にいた、兵士の顔をぐしゃりと踏み抜き、何事もなかったかのように走り出す。


 ルベルは人が一人死んだことも忘れ、おおー、とぱちぱち拍手している。


「私の作戦でなくとも、君は死ななかったな。ミーティア」


 こちらに向かって走ってくるミーティアに軽口を飛ばす。


「ルベルちゃんが攪乱してくれたおかげよ、私ひとりじゃあなたを逃がすので精いっぱいだったと思うわ」


 ごめんね、と言いながらミーティアはルベルを肩に担ぐ。


 ルベルはもう少し持ち方があったのではと、言いそうになったが、抱えて走り抜けてとしか言っていなかったを思い出し、抱え方を指定していなかったなと口をつぐんだ。











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