ルーティンとかお守りとか

「宗教は信じない

 宗教は不安ビジネスなんで不安がなければ必要ない

 数珠ブレスレットとかもつけてる人もいるけど自分には必要ない」


ある実業家が宗教の話題になった時に言っていた


なるほど

宗教やお守りは逆にパフォーマンスを落とす人もいるしそれは正しい判断だ


しかしその意見に対して私は思う所があった


まあ私も信心深いわけではないのだが


例えばスポーツの世界大会の一流の選手でさえ試合前に十字を切り祈りを捧げる人を見かける

迷信めいたルーティンをしたり験担ぎに何を食べるか決めてる人もいるだろう


その人たちは自信が無いわけでもなく負けるかもって不安な訳ではない


誰よりも過酷な練習に耐え抜き食事制限や生活習慣も徹底してやり抜いた

今日の日のための準備は全部やりきった

でも勝つにはもう一押し欲しい

何が出来る?


となればやはりルーティンやお守りになる


それで実際に限界を超えたり窮地でも立ち向かえたりするのだろう


一流企業でも前人未踏の事業に挑戦する時や資金と時間をつぎ込んだ案件には社運をかけ祈祷したりする


そりゃ事故が起きたり失敗に終わりたくないからやれることはやるよね


仮に何もかも全部無くして自分も自分以外も誰も信じられなくなったとする

身内も社会も頼れない

そうなると最後の最後に信じれるのは神様だけなのだろう


別に一人にひとつくらいはそういう存在はあってもいいと思うんだよね〜


て思ったって話

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エッセイ未満の寄り道語り めたやん @dark_matter_cake

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