食べ、尽くす

たもの助

食べ、尽くす

普段なら通り過ぎていただろう。

だが、その日は何故か違った。

何故と言われれば、先になって思うと、食べ尽くしてくれたからだ。

ふと足を止め、物乞いの方へしゃがみこみ、ヒビの入った茶碗のような物へ右手で小銭を入れた。

例の如くボサボサで酷い臭いのするその男は、どうやら盲目らしく、私の事を見るまでもなく茶碗から早々に小銭を引き出した。

男は左手で硬貨を何度か触り、私が投げ入れた小銭が五百円硬貨だと分かると、無言で一度だけ深く頭を下げた。

私はその場所を後にし、夕飯の買い出しへと向かった。


 買い出しが終わり家路に向かう途中、先程の男が今度は杖を付いて歩いていた。

やはり盲目なのだろう。杖の先で道を探りながら男は私の数メートル先を歩いていた。

私は何を思ったのか、すぐに横に追いついた男に対して、右手に持っていたスーパーの袋から惣菜を取り出し男に手渡した。

「これ、食べていいよ。」

男は杖の探りを止め、食べ物と認識した後、また無言で一度だけ深く頭を下げた。


私は普段なら偽善だと思うこの様な行動を今までしてこなかったが、この日を境に男を見かけると必ず、小銭か惣菜を渡す日々を繰り返すようになった。

 それから何週間か経った頃、いつもの場所に男は居た。

私はいつもの様に右手で茶碗へ五百円硬貨を入れ、その日は何気なしに一声かけてみた。

「暑い中ご苦労様。」


「……あんたぁ、いつもの人だろう??

本当に、本当にありがとう」

そう言うと男はいつもより一段深い礼をし、茶碗から五百円硬貨を手に取り懐へとしまった。

私は思った。

今までこんなに感謝された事があっただろうか?

 ここまで生涯独身の平凡なサラリーマンとして生きてきた。

平凡と自分では言っても、齢も五十を前にし、物乞いから感謝される事でここまで舞いあがる人生だ。

同僚や周りからの目が酷くて当然なのは、既に何年も前に、百も承知を通り過ぎ、それを超えても堂々と生きてこれた。


だがここから私の人生はきっと変わる、変わる事が出来る。

感謝される事がこれ程の恍惚を得られるなら、

私は男からの感謝の余韻をこれからの人生の燃料とし、生きる事にした。


 私は手始めにその日は男への手料理を作る事にした。

恥ずかしながらこの歳になってしっかりとした手料理が初めてで、包丁さえもまともに握ってこなかった。

その時の私は戸惑いと、わずかな不安とその気持ちに便乗した遥な期待感を感じながら堂々と包丁を握りしめた。

レシピはネット等で調べ、予め万全な準備をしていたのですんなり調理に進めた。色々と難しい部分はあったが、初めてにしてはなんとか誤魔化しの効く見た目となった。


そして、初めての手料理が完成した。

この手ですぐに渡しに行きたかったが、運の悪い事に直後から熱が出始め、それが思っていたより悪かったらしく、私は自ら救急車を呼びそのまま入院する事となった。

急に無理をした自分を一瞬責めはしたが、すぐに安堵した。

保管先を冷蔵ではなく、冷凍にしておいた事、それを薄れゆく景色の中で思い出したところで、私の意識は飛んだ。


 それから1ヶ月程度経った頃、無事に退院する事ができた。入院中はあの男の事が心配で堪らなかったが、身体を労わる事を最優先し、事なきを得た。

だがその時の後遺症によって肩の付け根の調子が悪くなった。


 ようやく手渡す事が出来る。


冷凍に保存していたお陰で渾身の手料理は傷んでおらず、男がすぐ食べれるよう準備し、外に出た。


いつもの場所に男は居た。

目に見えて痩せていたのは、ひと月程私が何も渡せなかったからに違いない。

私はしゃがみ込み、一万円札を男に直接渡しつつ話しかけた。

「私だよ、分かるかい?顔を見せなくて悪かったね。その分と言っちゃなんだが、今日はご褒美だ。」

男は一瞬私を見て驚いていたが、すぐに深い礼を何度もしてくれた。

続けて私は言った。

「今日はソレだけじゃなくて私の手料理もあるんだよ。良かったら食べてくれないか?」

私は折り箱に入れた手料理とお箸を男に渡した。

男はすぐに受け取り、そのまま割り箸を口で割った。

折り箱をあぐらの上に置き、左手で手料理を頬張ってくれた。


私は聞いた。

「味はどうだい?」

男は口の中いっぱいに詰め込みながらウンウンと頷き一言、

「美味い」

そう言ってくれた。


私はそのまま男が食べ尽くすのを見守った。

男が無事に全てを平らげた所で、男が話しかけてきた。

「本当に今日はありがとう。久々に腹一杯食う事が出来たよ。」

続けて言った。

「ところで…」


「あんたぁ右腕はどうしたんだい?」


全盲だと思っていたが、微かに見えていた私の異変に男は続け様に言った。

「オイラは先の戦争で失っちまってな。これであんたぁ、オイラと同じになっちゃったな。」


男には元々右腕はなかった。


私はこれで男に尽くす事が出来た。


そして、男も尽くしてくれた。





食べ、尽くしてくれた、からだ。

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食べ、尽くす たもの助 @tamonousuke

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