ラトヴイームの守り手

ものがな

דׇּבְר

 強くて、弱くて、優しくて、怖がりな、いまここを生きる、罪深いあなたへ――


 逃げるために。

 生首が降り注ぐ。無数の生首が降り注ぐ。重く冷たい裁断の音が虚空に響き渡るそのたびに、おびただしい数の生首が降り注ぎ来る。おびただしい数の生首が降り注ぎ来るその血肉の道を、ぼくは走る。闇雲に、悲鳴をあげる肺から血の香りを感じつつ、而してぼくは走り抜ける。

 逃げるために。

 天より注ぎ、その自重によって果実のように潰れた生首たち。生首たちが、ぼくを見る。同じ顔でぼくを見る。うつろな瞳、乾いた唇、生気の失せた、女性の面。女性の、女性の、女性の相貌。死した骸の生首が、それでもぼくを視線で詰る。万の言葉に等しき遺志で、ぼくの肺腑を切り裂き刻む。ああだがそれだとて、それだとしてもこの声に、勝るものなどあるはずもなく。

 逃げるために。

 そう声だ、声が聞こえる。やわらかくあたたかく、うつくしくすら感じるその理。唯一不変の絶対光輝、いまや彼方のラトヴイーム。その根本から聞こえる声に、背を向けぼくは逃げている。耳を塞ぎて光に背き、首が道を踏みつけ駆ける。

 逃げるために。逃げるために。逃げるために。どこへ? 決まっている、決まっているのだ、ぼくが行き着くその果てなど。四代の縁の、初めから。

 そこにはすべてがあった。ぼくにとってのすべてが。素っ気のないその機能的すぎる姿に怖気を催させる、終焉と断罪の象徴。人体を、その頭部を拘束することによって完結する人機一体の解体装置。天高く伸びた二本の柱のその先には、この装置の根幹たる黒き刃が。重く、冷たく、一切の意思も慈悲も感じさせない無骨で分厚い鉄塊が。

 声が聞こえる。視線を感じる。荒い息がその意味を変質させ、歯と歯が噛み合わず不規則に打ち鳴らされる。それでもぼくは、やらねばならない。小指。右の、小指。それを、備える。頭部を拘束するその穴に、数多の液を吸い込み変色したその場所に、己が小指を合わせ備える。小指に嵌めたその環を見つめ、今一度、己が為すべきを顧みる。己が過ちを省みる。

 ……そう、そうだ。生きるべきは――。

 縄を、引いた。枷が、外れた。刃が、降る。咎が、断たれる。指が、離れる。指環が、離れる。視線を、感じる。声が、聞こえる。声が、遠のく。声が、遠のく。彼の声が、遠く、遠く、遠くに――。


 もーいーかい

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