コーヒーカップマジック

 薄暗く静かな店内。かすかにジャズの音が流れてくる。

 店の奥では即身仏一歩手前のマスターが静かにコップをタワシで磨いている。

 カウンターには一人の女。ゆっくりとカクテルグラスを傾ける。

 静かに流れていく時間。マスターが新たなコップを取り出して落として割った。

 そこへ一人の男が歩きながら女の隣の席に近づいてくる。


「ここ、いいかな」

「……ええ」


 男は女の言葉を聞くと、よどみのない動きで椅子に座った。


「マスター、コーヒーを」


 男の言葉にマスターは、破片を組み上げてコップを復元する作業を中止し、コーヒーメーカーのスイッチを入れた。

 コーヒーメーカーはガタガタと断末魔を思わせる振動を披露した後、黒いうん……黒絵の具のような粘性の高い物を吐き出していく。

 男は隣の女の横顔を、穏やかな凪を思わせる表情で眺めている。


「お嬢さん、お一人ですかな?」

「ええ」

「憂いのある表情をしておいでだ。何か悩み事でも?」

「……別に」


 男の前にマスターの手が細かく振動しながらコーヒーを置こうとする。


「ふっ、わたくし少々マジックの心得がありまして。あなたの心が少しでも晴れる事を願い、披露いたしましょう」


 そう言うと男はいまだカウンターに到達せずにマスターの手の中にあるコーヒーを奪い取った。


「よくご覧下さい。このコーヒーカップが」

「それ湯飲みよ」


 女の言葉に男は自らの手にある物をまじまじと眺めた。確かに湯飲みだった。


「はっはっは」


 男は指で額をおさえると口を大きく開いて笑った。


「どうやら私の目はあなたのマジックにしてやられたらしい」


 女は口の端に笑みを浮かべると、艶のある声を出した。


「マスター、お勘定」


 その声を聞いたマスターは、ぎこちない動きでレジに向かい、人差し指で何かのボタンを押した。

 レジはチーンという音を立てて引出しを放出。それをまともに鳩尾に喰らったマスターはそのまま棒のように後ろに倒れた。

 やれやれという表情の男は湯飲みの中身を一口飲んで倒れた。

 女はカウンターに小銭を置いて、一人店を後にするのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る