ある王国の海開き

 どこか遠い世界のある王国。

 気候穏やかで人々の笑顔が絶えない、そんな王国のお話。



 王国の中心に位置する王宮。その中で大臣は難しい顔をしてうなっていた。


「警備は親衛隊を当てるとして……いや、それでは王宮の警備がおろそかに……それよりも今から設備を作るにしても間に合うのか……」


 大臣の眉間の皺の原因は、昨日の王子の一言だった。

 昨日の午後、大臣が王に謁見していると、脊髄で思考していると評判の王子がやってきてこう言った。


「海開きやろーぜ! 海開き!」


 大臣がいつものように聞き流していると、思考する混沌の異名を持つ王が、伸びたまゆ毛の下でそれまで閉じていた瞼を持ち上げ、よだれの跡が残る口を開いた。


「許可する。大臣はすみやかに遂行するように」


 王は言い終えるとまた瞼を閉じ、異次元に意識を飛ばす。

 こうして大臣をおいてけぼりにしたまま海開きを行う事が唐突かつ適当に決定された。

 王宮唯一の常識人、大臣の戦いが始まる。



 眼前に広がる海。大臣は下見のため海開き会場となる浜辺へ来ていた。

 波は途切れる事無く押し寄せ、何か得体の知れない圧力を大臣に与えている。

 大臣の横にいた大きな影が口を開いた。


「ここが……海ですか……自分は始めて見ました」


 大きな影は全身を覆う鎧兜の隙間から感心したような声を出す。鋼に覆われた身体は、まるで鉄壁の要塞のように見えた。

 兜の僅かな隙間からは強靭な意志を感じさせる瞳が鋭い光を放っている。

 大臣は、筋肉と骨で思考していると評判の、この王国の親衛隊長が苦手だった。

 しかし、現場の下見と言う事で警備の責任者である親衛隊長をはずすわけには行かない。

 大臣は私情を殺し、親衛隊長のほうに向き直った。


「どうだろう、何か警備上の問題などないだろうか……」


 親衛隊長はいなかった。

 大臣があたりを見回すと、親衛隊長はガシャンガシャンと音を立てながら、海に向かって力強く進んでいた。


「ちょっ……どこに行くんだ?」

「海に怪しい奴がいないか探してきます」


 そう言い残して親衛隊長は歩を進め、波間に消えていった。



 地元の漁師の皆さんの協力で、親衛隊長を地引網で救出する事に成功した。

 鎧や兜の隙間から海水をあふれさせながら砂浜に横たわる親衛隊長。

 次の隊長を誰にするか大臣が考えていると、がしゃぼごという不気味な音を立てながら親衛隊長が起き上がった。


「おのれ海! 妙な攻撃をしおって!」


 そう言い残すと呆気に取られる周囲を置き去りにして、親衛隊長は再び波間に消えていった。



 地元の漁師の皆さんの協力で、親衛隊長を地引網で救出する事に成功した。

 鎧や兜の隙間から海水をあふれさせながら砂浜に横たわる親衛隊長。

 大臣は砂浜に横たわる大きな兜を蹴っ飛ばしてみた。


「……! っは! 私は」


 がしゃぼごという不気味な音を立てながら親衛隊長が起き上がった。


「目が覚めたかね」

「大臣……ここは?」

「海だ」

「海……そうだ、私はまだ負けてない!」


 起き上がり、また海に向かって進もうとする親衛隊長。


「まあ待て」


 そう言って大臣は突き進もうとする親衛隊長の肩に手をかけた。すると鎧の隙間に大臣の服の袖が引っかかり、二人は一緒に波間に消えていった。



 地元の漁師の皆さんの協力で、二人を地引網で救出する事に成功した。

 瀕死の大臣の命令で、親衛隊長は砂浜に首だけ出して埋められた。

 大臣はその後寝込んでしまい、海開きの準備が出来ないという状況に陥った。

 ようやく大臣が回復したのは海開きの前日。

 病み上がりで足元のふらつく大臣は、準備ができていない事を理由に海開きの延期を上申した。王は大臣の斜め上45度くらいを上を真剣に眺めつつ答えた。


「却下する。機を見てせざるは勇なきなり。今こそ勝利をわが手に」


 大臣は覚悟を決めた。



 海開き当日。浜辺にはたくさんの国民が集まっていた。

 そんな中、病み上がりの体を押して、ギリギリまで準備に奔走する大臣。


「大臣、王の演説はどこで行えばいいのでしょうか」

「あそこあたりに壇を設置してくれ」

「大臣、出店の許可が一部まだ下りておりません」

「それは副大臣にやらせろ」

「大臣、警備担当の親衛隊長が先日から行方不明ですがお心当たりは」

「あっちの浜に埋めてある。そろそろ掘り出しておいてくれ」


 大臣の手腕により、ほとんどアドリブの海開きを何とか開始するまでにこぎつけることが出来た。



 いよいよ始まる海開き。

 まず最初に王による海開き開始の演説が行われる。


「本日は、わが親愛なる親衛隊長の告別式を挙行するにあたりご多用のところ多数のご参列をたまわり、誠にありがたく遺族ならびにご親族一同に代わってあつく御礼申し上げる。故人もさだめし皆様のご厚情に感謝しておることだろう。故人は努力一筋の生涯をおくり一代にして親衛隊長に登りつめ、隊員を指導督励して今日の実績を築きあげた。王宮における信頼もあつく殊に隊員にとっては親のような存在であったがいま突然、幽明を異にし、暗夜に灯を失った思い……」


 大臣は顔色を失っていた。

 そういえば、忙しさの余り王に詳しく海開きについて詳しく説明していなかった。

 それでも、それにしても、いくらなんでも弔辞はない。

 しかし、今はそんなことを後悔している暇は無い。この状況をどうにかしなくてはいけない。

 王の演説を止めるか。いや駄目だ、王の権威に傷がつく。



 大臣が思い悩んでいると、部下が走り寄って来た。


「大臣、大変です!」

「何だ、こっちも大変なんだ」

「親衛隊長が突然海に走ってそのまま沈んでしまいました!」

「またか、掘り出さない方が……」


 その時、大臣の頭に天啓がひらめいた。


「よし! すぐに親衛隊長を地引網で引っ張り出せ! それから棺に入れてここに持って来い!」

「分かりました!」


 演説を止められないなら、状況を演説にあわせればいい。

 泥縄、と言う言葉が大臣の頭に浮かんだが、それをいうならこの海開きは最初からそうだ。



 夏の浜辺に王の弔辞が続く中、大きな棺が王の前に運び込まれた。

 周りに花を飾り、横断幕がすばやく設置されていく。

 急遽呼び出された僧侶は汗を拭きながら大臣と打ち合わせ。


「……するとあの中の御仁はまだ息があるのでは?」

「そのうち止まるから大丈夫だ」


 かなり釈然としない表情で僧侶は棺の方へ歩いていった。



 水着姿の人々が見守る中、海開き兼葬儀は粛々と進行していた。

 大臣が会場から少し離れた所で一息ついて頭を抱えていると、部下が走り寄って来た。


「大臣、大変です!」

「今度は何だ」

「王子が海賊の隠し財宝を見つけるといって、いかだで沖のほうへ出てしまいました!」

「海賊出身者で救出隊を編成、とりあえず沈めたあと屈強な隊員10人くらいで人工呼吸しろ」

「大臣、大変です!」

「何だ」

「親衛隊長が棺を突き破りました!」

「王の祈りが通じて死者が復活した事にしろ」

「大臣、大変です!」

「何」

「王の演説が終わりません!」

「……そうだな、親衛隊長はどうした」

「先ほど地引網で救出されたようです」

「じゃあ、そいつにわかめとか海草を巻きつけて、半漁人が出た! と叫びながら会場に放り込め」



 泥沼、と言う言葉が大臣の頭に浮かんだ。



 誰もいなくなった黄昏の浜辺。大臣はひとり立っていた。

 海開きはわかめを全身にまとい、がしゃぼごと不気味な音を立てて動く親衛隊長の活躍で、会場がパニック状態におちいりごく自然に滅茶苦茶。

 成功か失敗かで言うなら大失敗だが、一連の騒ぎの最中、大臣の中に一種の諦観のような物が生まれていた所為で、あまりショックを受けずにすんでいた。


 いくらなんでもアレは無理。


 ふう、と息をひとつ吐くと大臣は家に帰るべく、夕日を背に歩き出した。

 あとに残されたのはいまだ演説を続ける王と足だけ出して砂に埋まった親衛隊長。

 そして浜辺にうちよせる波の音。

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