第3章5話 せめてもの望み
ブラックガーデンが去ったあと、荷物を馬車から離れの家に運び込むと、テルはもともと置いてあった高級そうなソファに身を沈めた。
「ふぅ……」
疲労の息を漏らしたテルは、首だけを動かして部屋の中を観察する。食糧庫には貰った食材が入っているし、生活に必要なものは全て揃っている。まさに至れり尽くせりである。
始めは屋敷の使用人が料理を作ると提案してくれたが、さすがに申し訳ないとニアが断ると、代わりにと言って食べきれるか怪しい量の食料を置いて行ってくれた。
「広すぎて落ち着かないかもな」
テルが大きな独り言を呟くと、不要なものがない空白が目立つ室内に響いた。自分の声が反響するという経験があまりなかったテルは少し驚いていると、背後からニアの声が聞こえた。
「こんなに豪華だと慣れないね」
「部屋の整理、お疲れ様」
テルは僅かに驚きつつ、ソファにニアの座る場所を作るため横にずれる。ニアは腰を下ろすと、「わ、ふかふかだ」と嬉しそうな声を上げた。ニアの後ろをついてきたイヴも、その声に反応してソファに飛び乗ると、感触が気に入ったのか表面を前足でこねるようにふみふみしている。
「あんまり量がなかったから、そんなに時間かからなかったね」
テルは「確かに」と同意するが、ニアはセレスから貰った洋服が大量にあった。それに比べテルの荷物は、衣類の大半はオリジンに頼り切りなので本当に少ない。
「ひと段落したことだし、お茶でも淹れようか」
「でも、テルも疲れてるでしょ?」
「たいしたことない……よ」
テルはキッチンに向かおうとするが、立ち上がったところでニアに袖を掴まれた。袖を引っ張るニアの目は無言で「休んでいて」と訴えており、テルはおとなしく従う。
「昨日の夜からずっと起きてたでしょ、今はゆっくりしていて」
「……わかった、そうする」
「私がお茶を淹れてくるね」
「うん、ありがと」
キッチンに向かったニアを目で追うテル。ニアは初めてのキッチンなのに慣れた手つきでお湯を沸かし始め、戸棚に仕舞っていた茶葉を取り出した。
そういえば、ニアの淹れるお茶は久々かもしれない。料理はいつもニアがやってくれているが、お茶を淹れるのは何故かテルが担っていた。率先して自分から動くのはいつからだっただろうか、そんなことを考えていると頭と瞼が重くなり、テルはいつの間にか船を漕ぎ始めていた。
「……テル」
「あっ、寝てた」
テルが顔を上げると、二人分のハーブティを持ったニアがテルを覗き込んでいる。
「部屋で休む?」
横に座ったニアはカップをテーブルに置く。
「まだ日が出てるのにベッドで寝るのは、ちょっとね」
そういってテルは背筋を伸ばしてから、置かれたカップを手に取った。
「うーん……そうだ」
お茶を啜るテルをじっと見つめるニアは、突然に手を打った。テルが疑問符を浮かべて横を見ると、ニアがテルから少し離れたところにずれて、自信ありげな顔で自分の太ももを二度叩いた。
「枕にしていいよ」
「……なっ!?」
理解が追いつかなかったテルは膝枕を勧められていると気づき、思考が凍り付く。名案を思い付いたと確信した表情のニアは、テルが
正直、ありがたいし嬉しい。しかし、それ以上に心の準備ができておらず、テルはとっさに遠慮する理由を口にする。
「いや、重いだろうし、ニアだって疲れてるだろ」
僅かに顔を赤くしたテルが視線を逸らし、取り繕うようにお茶に口をつける。しかし、ニアは全く気にしないといったように、首を振った。
「ううん、疲れてないよ」
真っ直ぐなニアの視線が痛い。
純粋な親切心を向けてくれているというのに、テルだけが恥ずかしがっていて、申し訳なさが込み上げる。
「えっと、じゃあ……」
どう答えるべきか全くわからなくなってしまったテルが
ここで無理に断ってしまえば、もしかしたらニアを傷つけるかもしれない。だが、ニアのお言葉に甘えても、絶対に眠れない自信がある。それどころか、顔や耳を赤らめて不審がられる可能性も高い。
そして、今のニアはスカートだ。しかも短めのやつ。
テルがそんな葛藤に悶えていると、ソファで丸くなっていたイヴが、時間差で飛び起きた。
「キュイッ! キュキュッ!」
凄まじい勢いでテルに体当たりするイヴに、痛くはない条件反射の「いて」を溢す。イヴは、テルに背を向けたままニアの膝の上に乗り上げると、その場で再び丸くなった。
「もう、イジワルしちゃダメなのに」
「ま、まあ、仕方ないよ」
頬を膨らませるニアに、イヴは尻尾を微かに振るだけで、狸寝入りをしている。テルは苦笑してニアを宥めると、「まったくもう……」と少々不満げに息を吐く。イヴを無理やりどかそうとはしないようだ。
邪魔をされたと同時に助けられたような気分になったテルは、自嘲気味に肩を竦めると、より確かな睡魔を感じ取った。
「座ったまま寝るの?」
ハーブティを飲み終え、ソファにより深く座り腕を組むテル。ニアは少し申し訳なさそうに尋ねた。
「うん、少ししたら起こして」
「わかった、おやすみ」
ニアの言葉に頷くと、目を瞑る。やはり徹夜が堪えていたのだろう、テルの意識はあっという間に
テルが寝息を立ててから、ニアはイヴを撫でるしかやることがなく、ぼーっとして時間を過ごしていた。
テルは少し苦しそうな体勢のまま眠っている。首を痛めてしまってはいけないと思い、今からでも頭が膝にくるように、こちら側に倒してしまおうかと思案する。半分ずつ膝を使えば、テルもイヴもゆっくりできるだろうと考えたが、それでテルの休憩を邪魔してしまえば本末転倒だ。
結局、ニアは膝枕を諦めた。しかし、何もできないのがもどかしく、テルの頭に手を伸ばした。そのまま優しく頭を撫でると、硬さのある髪の毛がニアの手に反発するのを感じた。
初めて会ったときよりも、髪の色が明るくなっている気がする。耳の裏に
近くで見ると新たな発見があって、段々楽しくなってきたところで自制心が働き、手を引っ込める。これで起こしてしまっては元も子もない。
ニアは不意に、昨晩の馬車で同じように横に並んで座っていたことを思い出す。馬車の寝ずの番もテルに頼りっぱなしだった上に、外壁区ではニアの油断のせいで馬車を盗まれてしまい、迷惑をかけた。長い間、気を張り続けていたのだ、疲れるのも当然だ。
「無理をしないで、とは言えない」
苦労は掛けたくない、頑張りすぎも負担を強いることも心苦しい。
だが、ニアだけはそれを口にすることはできない。テルとは
「でも、せめて、労わることぐらいは許して」
溢れる思いを我慢できなかったニアは手を伸ばし、もう少しの間だけテルの頭を撫で続けた。
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