「なあ先生よ。争いってのは結局、信じる幸せの相違から起こるんでしょうな」

 バカをやって、捕まって。そこを親父に拾われて。

「俺の幸せ、あんたの幸せ、あいつの幸せ、時代の幸せ――」

 生きた心地なんてしない毎日で、そいつが実に充実していて。

「私はね、お世辞ってもんを口にしたことがないんです。ただの一度も、誰に対してもね」

 親父の組を、己の力で大きくしている実感があって。

「それがね、自慢なんですわ。そいつが私の矜持で、美学で、私なりの時代の愛し方ってやつだったんです」

 そいつがずっと、この先死ぬまで続くもんだと思っていて。

「あんたの本にも、不格好な意気地を感じた……」

 ……まあ、若かったって、ことなんだろう。

「所詮は虚しい世迷い言<あの頃はよかった>に過ぎんのでしょうな、時代<今>に乗り遅れちまったジジイどもの」

「兄貴、逃げ――」

 慌てた声で俺を呼ぶトラの巨体が玄関からこっち、家屋の内側に向かって前のめりに倒れた。右のこめかみからその反対側まで一直線に、小さな穴っぽこが貫通している。もはや生命ではない。身体の反射運動によってトラの身体は倒れたままびくびくと跳ね、血をこぼし、それで、やがて、止まった。

「……どうやら迎えが来たみたいですわ」

 そういって俺は立ち上がる。ここまで話を聞いてくれた相手に、軽い会釈の礼をして。

「先生はそこで楽にしててください。なに、すぐに済みますから。それでは――」

 半開きの目で虚空を見つめる、その顔に。

「せめて夢の中で、お幸せに」

 別れを告げる。本心から、愛を込めて。

 トラへと近寄る。もうそれなりに長いこと、俺の舎弟として傍らに居続けてくれた男。見開かれたそのまぶたを閉じてやりながら、心の中で俺は、問いかけた。なあトラよ、お前は俺に、何をみていたんだい。俺はそいつに、応えてやれてたかい。返事はない。喉の奥から、笑いの息がこみ上げた。

「意地なんて張ったってまったくまったく、損するばかりでアホらしいもんだ。なあトラよ、お前もそう思わないかい? ……くっくっ、意固地だね、お前は」

 笑いが止まらなかった。トラの前で。座って。足音が近づいてくる。複数の、規則正しい足音。冷める。つまらねぇな、おめぇら、そんなとこまで。本当に、それで生きてんのかよ。そう感じる。そう感じることが即ち、時代遅れってことなのだろう。

 団体さんが、ずらっと並んで現れた。俺はそれを、精一杯に手を広げて歓迎する。

 ごきげんよう、新時代。そんでもって――――


 あばヨ、せーしゅん


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