『愛しい貴方の口元に』

ものがな

 生命よ愛で繋がり給う!

 小鳥の鳴に、馬のいななき。地から這い出て虫はざわめき、つられて人は、空を見ます。そこにはなんと、太陽が。嘆きと共に見上げることも、夢見ることも忘れたそれが、空から地上をさんさんと、遍く生命を照らしています。そう、世界は今こそ本当に、ついに光を取り戻したのです! 悪しき闇の大魔王は、今こそ真に倒されたのです!

 人々は歌い、踊り、手を取り合って歓び合い、そして感謝を捧げました。世界を創りし主なる神に、芽吹きとつむぎの精霊に、そして――光を取り戻した勇者たちに。

 海辺の丘、約束の地。彼らにとって特別なその場所で、彼らにとって特別な儀式がいま、大勢の人々が見守る中で執り行われようとしていました。その中心にいるのは、一対の男女。勇者として世界を救い、その役目を終え、ただ一人の人の特別になろうとしている男。彼の勇者を支え、その身と心とを癒やし、勇者を終えた男と添い遂げる意を固めた光の巫女。白無垢に身を包んだ花嫁と花婿。

「おめでとう!」「お幸せに!」「浮気するんじゃないですよ!」

 心優しくも頼もしき冒険の仲間たちが、花道を歩む二人を祝します。花婿は彼らの声援に応えるよう、羽根のように軽い花嫁の、華奢で柔らかなその腰をしっかと抱きしめました。声援が、一際大きく盛り上がります。

「お似合いですよ!」「ひゅーひゅー!」「お二人に主と精霊の加護がありますよう!」

 困難な旅を手助けしてくれた心正しき人々が、光あふるる新たな世界を愛する人達が、花道を歩む二人を祝します。花婿は彼らの声援に応えるよう、天より授かりし光の象徴、聖なる種火を一際高く掲げます。人々はその眩さに目を細めながら、花道を歩む二人をしっかと見守り続けました。

 二人は歩みました。緩やかな傾斜を描くその丘を、かつてそこで出会い、別れ、そして誓いと共に再会を果たしたその場所へと、これまでの冒険と同じだけの長さの道を、これからの二人の長さを予期させる路を、同じ速度で、同じ歩幅で、同じ呼吸で歩みます。歩んで、歩んで――そうして二人は、着きました。地と太陽の二神官、此方と彼方を司る、大小不揃いな二人の前へと。

「我々は」「我々は」「空言を見定める者にして」「真言を見極める者」「欺心を咎める者にして」「誠心を称える者」「憎を憎むる者にして」「愛を愛する者」「花婿よ」「花嫁よ」「汝ら嘘偽ることなく」「真なる誓いを果たすと誓うか」

「はい、誓います」

 花婿が答えます。花嫁がうなずきます。二人の神官は土なる方は土なる方へ、陽なる方は陽なる方へ、それぞれ別れて問いかけます。

「汝、花婿。汝は己が伴侶を尊び、敬い、その生涯を捧げると誓うか」

「汝、花嫁。汝は己が伴侶を尊び、敬い、その生涯を捧げると誓うか」

「汝、花婿。汝は伴侶が幸福を願い、歓び、その生涯を捧げると誓うか」

「汝、花嫁。汝は伴侶が幸福を願い、歓び、その生涯を捧げると誓うか」

「汝、花婿。汝は伴侶が哀しみを憂い、分かち、その生涯を捧げると誓うか」

「汝、花嫁。汝は伴侶が哀しみを憂い、分かち、その生涯を捧げると誓うか」

「汝、花婿。汝は伴侶が苦難を我が物とし、共に歩み、その生涯を捧げると誓うか」

「汝、花嫁。汝は伴侶が苦難を我が物とし、共に歩み、その生涯を捧げると誓うか」

「はい、誓います」

 花婿が答えます。花嫁がうなずきます。二人の答えに、神官たちは最後の誓いを、声を合わせて問いかけます。

「汝、花婿」「汝、花嫁」

「汝らは審判のその後の後までも」「分かたれざるひとつの生命で在ると誓うか」

 そうして問いかけた神官たちが、互いの両手を重ね合わせて、花婿と花嫁の前へと伸ばします。花婿は、花嫁にうなずきかけました。花嫁もまた、花婿にうなずき返しました。二人は差し出された神官たちの手のひらへ、光と平和の象徴たる聖なる種火をそっと彼らに捧げます。

「宜しい、ならば」「誓いのくちづけを」

 光を受け取った神官たちが、花婿と花嫁に示します。花婿は、花嫁に向き直りました。花嫁は、花婿に向き直りました。奇跡のような人、夢のような人。何よりも大切で、愛おしくて、幸せにしてあげたい人――いや、ちがう、そうではない。必ず、何に変えても幸せにしなければならない人。

 愛する人。

「愛しているよ」

 そう言って花婿は、花嫁のヴェールをめくりました。そこには花婿のよく知る顔が、共に苦難を乗り越え、支え合い、いままたこうして隣り合った未来を歩もうとしている人の顔が、光を浴びて輝きます。光を浴びたその口元に、視線を向けて花婿は――そしてそのまま、固まりました。

「はやく」「はやく」

 観衆が、二人を囃します。

「はやく」「はやく」「はやく」

 精霊が、花婿を急かします。

「はやく」「はやく」「はやく」「はやく」

 世界がはやくと、繰り返します。

 けれどそれでも花婿は、固まったまま動きません。愛しい花嫁を見つめながらも、どういうわけかその顔は、迷いのような憂いを残して。見守る神官のてのひらで、聖なる種火がくわりと揺れます。大地に根付いた地の神官が、見定め見極め咎めるように、花の二人を凝視します。やがては空も細り行き、針へと尖った陽の光明。稜線描く地の果てへ、呑まれるように落ち行きて、刺し行くように、同化します。光はもはや、種火が食める口腔のみに。それでも悩むる花婿は、それでも固まり動きません。

 だから。

 ついには待ちゆく花嫁が、一字に結んだ紅の端を、彼の前にて割ったのです。


 はやく。


「ありがとう」「ありがとう」「ありがとう」「ありがとう」

「ありがとう」「ありがとう」「ありがとう」「ありがとう」

「ありがとう」「ありがとう」「ありがとう」「ありがとう」

 花婿と花嫁。二つにしてひとつへと重なった影に、惜しみのない感謝が送られます。千の声が、万の声が、億の、兆の、世界すらゆるがす世界そのものとなった声が、この結びの中心に在る二人に向けて送られます。ありがとう、ありがとう、ありがとう、ありがとう。それは無限に送られます。何故ならば。

「おとうさん」「おかあさん」「おかあさん」「おとうさん」

 愛くるしく響き渡る稚児の笑み声。飛び出た二人の双児の愛児が、父母を見上げて謡います。花婿の面影を、花嫁の面影を、愛する者同士の面影を共に残した鏡写しの寵児らが、愛を無邪気に謳います。父なる者に、母なる者に、重なり合う二人の裡に重なって、ひとつと化して謳います。生なる歓びを謳います。何故ならば。

「おかあさん」「おとうさん」「おとうさん」「おかあさん」

 起源を祝う愛子の声に、確かに花嫁との子である双児の愛児に、抱きつかれて花婿は、ただただ彼らの唄に耳を傾けました。彼らの言葉を、彼らの想いを、彼らの歓びを我が物として、彼は世界を受け入れました。受け入れました。世界が愛で回ります。愛で世界が満たされます。何故ならば。

 永劫その唄が続く限り――そして終わりを迎えるその時まで、彼は己を委ねました。愛に己を委ねました。何故ならば――。

 一際高き唄に合わせて――種火の灯が、閉じ行きました。


 むすんだよ

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