第7話「人生で最も幸せだと感じた瞬間」
7「人生の中で最も幸せだと感じた瞬間」
「あ……でもこれなら……」
想司は隣に座る璃々さんの手の甲を上から自分の手を覆い被せ握る。
それが想司の精一杯のやり返しだった。
きっと璃々さんはこの程度など何とも思わないはずで、想司自身もこの程度なんて事ないはずだった。
「……こ、これは……凄く……て、照れますね……」
「う、うん……」
手を重ねて2人は赤面し、異常なまでに恥ずかしくなった。
それと同時に想司は恥ずかしがる璃々さんを見て可愛いと思ったが、しかしそれを越え、その光景を凄く綺麗だと実感した。
「……」
「……」
無言の中伝わる相手の温度、恥ずかしさから溢れる笑み、手を繋ぐ事で近づいた距離、緊張と興奮で耳元まで自分の鼓動が聞こえる。
そして、思っていた以上の璃々さんの恥ずかしがる反応に想司は嬉しさを覚え、散々弄ばれた分の仕返しをする為に自分の恥ずかしさを押し殺し更に踏み込む。
想司は指を絡め、手を恋人繋ぎに変え、璃々さんの目を覗き込み言う。
「……璃々さんが本当に好きだ」
しかし、その弄ばれた分とはただの自分への言い訳に過ぎなかった。
想司は伝えたかったのだ。
溢れ出る璃々さんへの思いを。
表現が限られてる中で、伝えても伝えても満足する事のないこの気持ちを、目一杯に伝えたかったのだ。
「そ、それは本当にずるいです……」
そして、2人して恥ずかしさが更に加速する。
中学生のような幼稚な事をやっているのはわかっていた。
それがまた恥ずかしくて、でもそれがまた嬉しくて、それがとても心地よくて、これが想司が今できる最大限の表現方法だった。
そして、お互いが手の汗を気にし、もう離したいと思いつつもこの状況がとても幸せで、離したくないと思うこの感情がまた更に思いを募らせる。
「仕返しにしては幼稚だったと思う。 けど……これが限界……もう心が混乱してる」
「……私もです」
好きと言う感情を使ってお互いが揶揄(からか)い合い、仕返し合う事が感情の表現が限られている中で2人の精一杯の表現方法だった。
しかし一度好きと伝え、好きと返された日から溢れ出た思いは日々増え続け、今の2人にとってお互いが抱く感情を表現するには足りなさ過ぎた。
この思いをもっと伝えたい。
この思いをもっと知ってもらいたい。
その思いをもっと伝えてもらいたい。
その思いをもっと知りたい。
そして、足りないことにお互いを更に求める。
「本当はもっと……目一杯気持ちを伝えられたらいいのになって思う」
「じゃぁ……手を握る以外にどんな事を想像してたんですか?」
「……抱きしめたりとか?」
そう呟いたと同時に前に話してた話題を思い出した。
そして、璃々さんは少し間を置き言う。
「……してもいいんですよ?」
そう言って璃々さんは繋いでいた手を離し、想司に体を向けて手を広げる。
その光景に想司はとんでもない仕返しだと思った。
抑制、混乱、歓喜、高揚、否定、肯定、ありとあらゆる感情が想司の中を駆け巡る。
好きと言う感情が溢れ返り、今まで必死で抑えていた理性がどんどんと負けていく。
その理性が璃々さんの幸せを1番に願い、それこそが正しいはずなのに、璃々さんへ向ける思いの感情が間違っているはずなのに、感情と理性が否定と肯定を繰り返す。
そして、葛藤する想司を見て璃々さんは言った。
「私……想司さんだからいいって思ってます」
この瞬間、璃々さんの言葉は想司の理性を完全に壊してしまった。
「……ごめん……」
そう言って想司は璃々さんの背中に手を回し、優しく、それでも心を目一杯に抱き締めた。
「……」
「……」
無音の中でお互いの心の音だけが伝わり、暖かさを感じ、優しさを感じ、思いを感じ、璃々さんを感じる。
もう感情を抑える事などできなかった。
好きと伝えたい。
大好きだと言いたい。
この有り余る思いを、溢れ出てくる言葉を、心を込めて目一杯に伝えたい。
この思いを叫びたい。
「……本当に璃々さんが大好きだ……」
「はい……私も……想司さんが大好き……」
数年に渡り苦しんだ心が、今までの絶望が、苦悩が、死にたいと思うほどの辛い日々が、この日の為にあったのではないかと疑うほど幸せを実感し、璃々さんの人としての優しさを感じ、更に璃々さんへの我慢してた思いが嬉しさを駆り立て想司はあまりの喜びに涙を流す。
「そ、そんなに嬉しいんですか?」
想司が泣いてるのに気づいた璃々さんは思わず聞いてしまった。
「うん……」
もう止められなかった。
もう何も考えられなかった。
もう何も考えたくなかった。
何にも邪魔をされたくなかった。
何にも縛られたくなかった。
全て忘れて今というこの時の幸せを、この喜びを、この溢れ出る璃々さんへの思いを、ただ目一杯に伝えたかった。
「ごめん……今だけはこの時を俺だけにちょうだい」
「……はい……」
気づけば想司は璃々さんの唇に自分の唇を重ねていた。
それはとても柔らかく、心地良く、優しく、甘く、人生で1番の幸福と思える程に感じてしまった。
そして密に願う。
望めるのならずっとこのままに。
可能なら永遠に。
この幸せと思える今がずっと続いて欲しい。
だからまた重ねる。
合間でお互いが笑ってまた重ねる。
ゆっくりと、そして、長く、優しく。
想司は名残惜しくなるその唇を離してまで、それでもまた伝えたかった。
「……璃々さんが本当に好き……」
「……はい……私も想司さんが好き……」
そして、また重ねる。
まるでお互いがお互いの呼吸を、知っていたかのように、その口付けはとても良く馴染むと思えた。
そして、また名残惜しく口付けを離し、また抱き締める。
その頃には心が目一杯満たされていた。
大好きな璃々さんを感じられた事。
溢れ出る思いを気持ち一杯に伝えられた事。
お互いがずっと求めてた求愛を表現できた事。
お互いが同じ思いだったと実感できた事。
人生で1番の幸福の瞬間だったと、そう断言できてしまうほどに想司は璃々さんに惚れていた。
「……ずっと……こうしてみたかった……」
「……私も望んでました」
「本当に幸せをありがとう」
「はい……私にも幸せをありがとうございます」
「なんか、まるでいけない事をしてしまった感あるよね……」
「それは私も感じてます……でも……」
少し躊躇いつつも、璃々さんは恥ずかしそうに言葉を押し出し言う。
「……この続きを……求めちゃう私もいます……」
想司も男だからこそ、それは想像を膨らませていた事ではあった。
だからこそ、その璃々さんの言葉は想司を許し、受け入れ、認めてくれていると強く実感した言葉だった。
それは言い表す言葉が見つからないほど、この世にこの喜びを表現する言葉が存在するのかと疑うほど、璃々さんのその言葉は想司に嬉しさを感じさせた。
しかし想司は言った。
「俺も男だから、正直それは望んじゃう……けど……それでも俺は、璃々さんを穢(けが)したくない」
想司は真心で璃々さんに思いを伝えたかった。
璃々さんが本気で好きだから。
璃々さんの幸せを願っているから。
璃々さんを本気で大切にしているから。
だからこそ想司にとっても下心はこの場に要らないと否定した。
お互いのこの綺麗で無垢な、純粋なこの気持ちを大事にするからこそ、今のこの時は最高の幸せなんだとそう思えたから。
「だから本当ありがとう……璃々さんのその気持ち本当に嬉しい。 もう璃々さんには感謝の言葉しか出てこないや」
「いいえ、私からもです。 本当にありがとうございます」
気づけばもう終わりの時間が近づき、その幸福は名残惜しくも終わってしまった。
しかし、今日という日は人生で最高の瞬間だったと思えるほど、幸せで心をいっぱいにした一日だった。
この日は二度と忘れることはないだろう。
いや、想司は忘れることを望まないだろう。
今まで生きてきた中でこれほど衝撃を与えた女性は璃々さんしかいないのだから。
そして2人は帰宅し、連絡は常に取り合うことが日々の日課になっていた。
「今日は璃々さんのおかげで人生で幸福と呼べる時間だった……本当にありがとう!」
「いいえ! それはこちらこそです! 本当にありがとうございます!」
「でも、改めてごめんね……我慢できなかった。 本当に悪いと思ってる」
「いいんです。 我慢できなかったのは私も同じです……でもまた可能なら……抱きしめてくれたら嬉しいです……」
「本当に嬉しい事を言ってくれるね。 今日会ったばっかりなのに、もう璃々さんに会いたいと思ってしまうよ」
「私もです。 なので頂いた香水を使わせていただいてます……想司さんを実感出来てとても心地いいです」
「なんか……とても照れちゃうね。 でも私に思いを抱いてくれて本当にありがとう」
「それは想司さんだけじゃないですよ? 私自身ずっと想司さんの事を考えちゃってます。 この気持ちどうしたらいいですか?」
「やっぱり控えた方がいいのかな? 璃々さんの負担になってしまうぐらいなら俺は身を引く覚悟もあるんだけど……」
「本当はお互いの関係的には控えた方が良いのかもしれません。でも……私は嫌です!」
この言葉に想司は嬉しさと同時に心苦しさを感じ言う。
「俺が好きになってしまったばっかりに本当にごめん」
「私は後悔はありません。 むしろ好きになってくれて本当にありがとうございます」
「そう言ってくれて本当にありがとう」
好きになったことを感謝され、好きでいてくれる事を感謝し、日々ありがとうの言葉が絶えない。
お互いがこの貴重な感情を大切にして、お互いがこの感情に感謝する。
それは当たり前のようで、しかし当たり前じゃない、全ての人が忘れてしまう感謝の気持ち。
おそらく付き合えないからこそ、2人はこの感情をとても大切にしていたんだと思う。
しかし、想司の夢のような時間は僕によって現実に引き戻される。
「想司……君はいったい何をしたのかわかっているのかい?」
僕は想司に怒りを感じていた。
「わかってる……」
「何もわかってないから、僕は言ってるんだよ。 何がわかってるのか言ってみてくれないかな?」
「我慢ができなかったこと……」
「違う……僕が言いたいのは、君が璃々さんの未来を考えなかったことだよ」
「……!?」
想司は気付かされた。
いや、僕に言われるまで気づいてすらいなかった。
それに僕はまた一層に怒りを増した。
「考えもしなかったの? あれだけ璃々さんのことが好きって言ってて、璃々さんの幸せを願ってて、君は何も考えてなかったの? 僕がどれだけの思いで想司を止めたかわかる? ねぇ? 僕がどんな気持ちで想司を引き止めてると思ってる?」
「……じゃぁ!! どうすればよかったんだよぉ!!」
想司は想司自身に募る思いを口にする。
「こんなにも気持ちが溢れて……こんなにも気持ちが止まらなくて……好きが……璃々さんへの大好きが止まらないんだよ!! 智理ならわかるだろ!? こんなの人生で初めてなんだよ……こんなに好きを伝えたいって思ったことなんて感じたことないんだよ!!」
それは僕も気づいていた。
今まで見てきた中で想司がここまで入れ込んだ女性は多分、璃々さんが初めてだった。
「だからこそ言ってるんだよ! 本気で好きならもうやめなよ!! それか……」
僕は想司にとって最大に厳しい言葉を言う。
「息子を捨てる覚悟を決めな……」
「……」
想司にも思う所があったからこそ、この問いに想司は答えられなかったのだろう。
それでも、想司が璃々さんに向ける気持ちや、抱く思いは本物なのは間違いなかった。
だからこそ、葛藤し、戦い、混乱し、悩み、苦しみ、想司は自分の人生の今までの璃々さんに出会うまでの数々の選択を憂い始めていた。
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