第21話


         ※


 結局のところ、支払いは先輩が担うことになった。

 薄給だなんだと言ってはいたが、やはりここは社会人が払うべきだと考えを改めたらしい。メニューを選んで注文し、会計を終える。あとは自分の料理ができるのを待つだけだ。

 がら空きのテーブルと椅子を見つけた俺たちは、そこに腰かけることにした。


 念のため確認したのだが、やはりこうした喧騒の中で秘密会議をすることは、盗聴防止に適切なのだという。こういう場所に紛れ込むのも、一種の迷彩というわけだ。


 俺が勝手に納得していると、手持ちのブザーが鳴った。注文した豚骨ラーメンができたらしい。トレイを手にして席に戻ると、今度は先輩が席を立った。


「食べてていいわよ。麺が伸びちゃったらもったいないし」


 すれ違いざまにそう言った先輩。彼女が注文していたのは、どでかい牛ロースのステーキだった。確認も兼ねてメニューに目を通す。

 うわー、三百グラムもあるのか……。


「いっただっきまーす!」


 満面の笑みで、素早くナイフとフォークを手にする先輩。ここは大食い大会のステージではないんだけどなあ。


「ごめんねえ、柊也くん」

「はい?」

「こういう場合の食費って、捜査にかかった費用として後で請求できるのよ。私が損することはないから、もっといいものを注文してくれてよかったのにね」

「そう、なんですか」

「そう」


 丁寧に肉に切れ込みを入れ、ゆっくりと口に含んでいく先輩。

 なるほど、社会人というのはこうやって食事を嗜むものなのか。

 って、問題はそこではない。


「あの、清水先輩。どうして俺をさっきの現場から引っ張って来たんです?」

「明日の夜から明後日未明にかけて、我々はちょっとした特殊任務を行うことになったの」


 俺の質問を綺麗に躱し、先輩はそう言った。


「明日の夜から明後日、って……。ああ、夏祭りの日に、ってことですか」

「そう。柊也くんは、鬼羅鬼羅通りがどんな場所なのかは知ってるわよね?」

「はい、大まかなところは」


 摩耶や美耶と出会ったのもそこだしな。


 それを言うと、先輩はこくこくと頷いた。どうやら、自分の知識と俺の証言に矛盾はないか、確認しているようだ。

 両腕の指を交差させ、肘をテーブルについて再び俺と目を合わせる。そして、唐突に言い放った。


「鬼羅鬼羅通りの不良さんたちにご協力願うわ」

「えっ!?」


 妙な音が、再び俺の口から飛び出した。しかし先輩は、だからどうした、とでも言いたげな雰囲気。


「あの裏道にいる不良さんたちのボス……サワ兄さん、っていうのよね。彼が管理している不良さんたちと私たち警察の間には、彼を経由したパイプがあるの。それで、不良さんたちにも戦力になってもらう」

「えっ、ちょっと、本気ですか? 警察が犯罪者の手を借りるなんて!」

「だからあなたには淡々と、この事実を受け止めてほしいわけ。ここ一週間ほどの監視カメラの映像を漁ってみたけど、あなた、結構な頻度で映っていたわ。鬼羅鬼羅通りに繋がる廃ビルの裏に入っていくところがね」


 警察力だけで、この街全体を刑事や機動隊だけで守り切るのは難しい。そう聞こえたような気がする。きっと先輩の本心でもあるのだろう。


「残念ながら、音声は上手く録れなかったようね」


 確かに、聞こえてくるのは鬼羅鬼羅通りで流れていた格ゲーのBGMだけだ。それも、だいぶガサガサしている。


「まあ、今のところ掴めた情報はこのくらいね」


 どでかいステーキの分断を続けながら、清水先輩はさらりと宣う。

 そんな彼女とちょっと食事を共にしていると聞かされたら、平時の俺なら喜びのあまり卒倒しかねない。


 しかし、非情なる現実というやつはどこまでも俺から心の平穏を奪っていく。

 帰りの電車、出発まであと一時間。この過程で、俺はラーメンを食いきり、月野姉妹を探し出し、さっさと電車の車両に乗らなければならない。

 そして、十五分後。


「ごちそうさまでした!」


 俺は背を丸めるようにして頭を下げ、ぱちん! と自分の両頬を引っ叩いた。


「清水先輩、何かあったら俺にも連絡を頼みます。俺はあの姉妹を見つけて、家に帰って待機しますから」

「りょーかい。可愛い後輩のためなんだもの、お姉さん頑張るわね」

「ぐはっ!」

「あれ? どうしたの……?」


 俺は目を開けた。しかし、視線を雑誌の上にはどうしても上げられなかった。

 なんというか……ここ数日の間に、俺の周囲で女性が被害を上げてどんちゃん騒ぎを繰り返した結果がこんな次第である。

 単純に言えば、心的疲労でついていけなくなったというべきか。免疫が破られてしまった。


 しかしなあ……。俺自身も月野姉妹も、どうも自分の出生に不可解な点がある。

 両親との死別だと言い切るのは簡単だが、その過去の事実をどう受けとめているかは一人一人違うだろう。


 話し合いで自分の思いを発表し、そこから新たな知見が必要なのだと思う。どうにかして、俺たちの『共有できる過去』をまとめることで、改めて心身ともに疲労回復ができるというものではないか。


「――くん、――くん? さっくん?」

「うおっ! は、はいぃ!?」

「まったく、さっきから人が声かけてるのに、なんでそんなリアクションなわけ?」

「ああ、すみません。ちょっと考え事を……」


 あらそう、と言って、肩を竦める先輩。


「でもまあ、当然よね。どう解決するかはさっくん次第だけど」

「ですね……」

「さて、それじゃあお互い元の立場に戻りましょう。家まで送るわよ」

「ああ、いえ」


 俺は軽くかぶりを振って、すこし上にある先輩の目を見つめた。


「歩くと脳の健康にいいっていうじゃないですか。それに、摩耶も美耶もどこで何してるか分からないですし……。とにかく、姉妹と無事に合流するのが先決です。そして、全員が今日中に就寝できるように考えて行動します」


 これならいいんじゃないですか? という確認の意味を込めて、俺は再び先輩と視線を交わした。


「そうね、さっくんがそう言うなら、私は手を引くわ。いやはや、今日は面白い一日だったわね」


 面白い? 二度三度と言わず、殺されかかったような気もするんだけど。


「それじゃ、私は報告書を仕上げますか。今晩中に市内の警備体制について、戦略本部が立ち上がるから、もし眠れないようだったら市のホームページでも眺めてて。さっき交戦した黒いコートのやつは捕まえたけど、他にもいるかもしれない。興味本位で似たような格好をするユーチューバーも出てくるかも……」

「……」


 あれ? 妙なところで会話が途切れたな。


「先輩?」

「ん、ああ、ごめん。とにかく、私にはあなたたちを守る義務がある、って言ってるのよ。気をつけてね」

「はい」


 両目の眉を上げて、頷く先輩。


「それじゃ」

「先輩も気をつけてください」

「ええ。ありがと」


 こうして俺たちは、駅ビルのエントランスで別れた。


         ※


 今更ながら、俺の心に一抹の不安がよぎった。

 摩耶と美耶は、無事うちの邸宅に帰りつけただろうか?


 確か、摩耶も美耶もスマホは所持していないはず。鬼羅鬼羅通りから帰る時も持っていなかったらしいし。もしかしたら、GPS機能を使った追跡から逃れるために、家出する時に置いてきたのかも。あるいは、壊してしまった可能性もある。


「こっちから連絡はできないか……」


 自分のスマホを手に取って、じっと画面を見つめる。こういう時は無力だよなあ、人類の英知を結集した通信デバイスも。


 などと思った矢先、突然着信ランプが点いた。思わず上げかけた声を引っ込め、画面を確認する。それから俺は、あまりにもタイムリーな人物からの着信表示に首を捻った。

 ふむ、出てみるしかあるまい。


「もしもし、摩耶か?」

《おっ、やっと出たな、柊也!》

「お前、スマホはどうした? 持ってないんだろう?」

《チッチッチ! 甘いな柊也、今のあたいは違う!》


 お前、どこの熱血漫画のライバルだよ。噛ませ犬になるぞ。

 と、思っている場合ではなく。


「お前が持ってる、ってことは美耶も?」

《ああ。二台一緒にエントランスのテーブルに載ってたぜ》


 となると、ゲンさんが買い与えたのだろうか? でもゲンさんは、俺よりずっと注意深いし、頭も切れる。単に買い与えたわけではないだろう。

 これでGPSを使えるようにして、二人(俺を入れれば三人)を見守るつもりだろうか。

 そうだな、取り敢えず摩耶から情報を引き出してみるか。


「摩耶、お前は今どこにいる?」

《え? 鬼羅鬼羅通りに向かってるけど》

「はぁ!?」


 おいおいマジか。


「何をするつもりなんだよ? あそこはもうお前の居場所じゃない!」

《あんたこそ何言ってんだよ、柊也! あの裏路地には仲間がいる! 金がないんだ、今すぐ運ばなくちゃならねえんだよ!》


 金がない? どういうことだ? サワ兄のような人物がリーダーだというなら、杜撰な資金管理をするとも思えないが。

 

 謎のスマホに鬼羅鬼羅通りへの現金運搬、さっきの通り魔取り押さえ作戦。

 何かがおかしいぞ。俺たち、何かに巻き込まれていやしないか?

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