第19話【第四章】
※
「あーあ、まったく暑いったらありゃしねえ! うあー、アッチィな~」
「お姉ちゃん、暑い暑いって、言ってるだけ……。それで、涼しくなったら、誰も、困らないよ……」
「えー? そんな突き放した言い方するなよ! お前はあたいの妹なんだから」
「むー……」
あれ? と思った。
美耶が摩耶の言動にツッコミを入れるなんて、初めて見たぞ。
そんな俺の驚きが伝わったのか、摩耶はへへっ、と笑って鼻の頭を掻いた。
「なあ、柊也? よくできた妹だろ? 色恋沙汰には奥手だけどな」
「っ! お姉ちゃん! そんなこと、言ってる場合じゃ……」
美耶はその場で俯き項垂れた。月野姉妹の間でどんな心理戦がなされたのかは知らない。
ただ、どうやら俺が巻き込まれてしまったのは事実であるようだ。
美耶は以前も俺に、お姉ちゃんをとらないで、と言っていたし。ち俺の気遣いがよくなかったのかもしれないな。
やっぱり一人で長くいると、他人の感情って分からなくなってしまう。例えばたった今、美耶が顔を上げられずに頬を紅潮させている理由とかね。
などと感慨に耽っている間に、俺たちは客間に戻ってきた。カーペットに腰を下ろす。
摩耶はあぐらをかいているが、美耶はきちんと正座。礼儀作法の教育度合いがまるで違う。本当に姉妹なのか、お前ら。
「さて、ここなら広いし、ちっと身体を動かすか」
そう言うや否や、摩耶は背負っていた長めの、そして頑丈そうなリュックサックから得物を取り出した。釘バットだ。そのまますっと立ち上がり、向こうの壁面を睨みつける。
美耶も軽い運動には賛成のようで、同じく頑丈そうなリュックからクナイをじゃらじゃらと取り出した。
「ふん! ふん! お、いい仕上がりだねえ。美耶、クナイの方は?」
「うん、いいみたい。重さも厚さも、均一だし。すぐに使えそう」
ん? 美耶のやつ、今何て言った?
「ちょっ、ちょいちょいちょいちょい! 二人で戦争でも始めるつもりなのか?」
「違う、です。自衛のため」
美耶に続き、軽く汗をかきながら摩耶が言葉を繋げる。
「あ、勘違いすんなよ? あたいらはいわゆるバーサーカー的なものを目指してるんじゃねえ。一種の治安維持だ」
「はあ……?」
不良による治安維持? 太陽が西から昇るくらい妙な話だ。
反応に苦心する俺に助け船を寄越したのは、やはり美耶だった。
「柊也さん、妙だと、思わない? 私たちは鬼羅鬼羅通りを生活拠点にしている、誰がどう見たって、私たちの位置はバレバレ。それなのに、どうして機動隊の動き、遅かった? 何故もっと、早くに私たちを拘束していなかったのか? 不思議」
「ま、まあな」
「それは、私たちの存在、警察に許容されている。から。不良であるにも、かかわらず」
「まさか!」
これには流石に、意表を突かれた。
そんなわけがないだろう。俺の脳裏に、岩浅警部補の鬼のような形相が浮かび上がる。
「つまり、摩耶と美耶、それに鬼羅鬼羅通りにいた連中は、この街の治安維持に貢献している、と?」
「あったり~!」
再びあぐらをかきながら、摩耶がずいっと身を乗り出した。
マジかよ。本気で言ってるのか。
「あたいも噂でしか聞いてねえんだが、この周辺にはヤバい学校がたくさんあったんだと。小中高合わせて六、七校は、完全に敵対し合う不良の巣窟になっていた。それぞれがね」
「悪事のエスカレートに危機感を覚えたのは、まさに不良校の代表たち……。でも、生徒会長や校長先生、じゃない。裏から悪事の糸を引いていた人たち、です」
「そいつらが結託して、自分たちのとっ捕まえた不良たちを鬼羅鬼羅通りに押し込んで見張ることにした、ってことか?」
「おっ、流石柊也、頭が回るじゃねえか!」
釘バットの先端で、摩耶が軽く俺を突いてくる。地味に痛い。
「もちろん、酷すぎる暴力行為、それなりの手段で抵抗します。相手が大人だろうと、子供だろうと」
「そうそう! あたいらの力を見せつけて、家族諸共、この街から追放してやる!」
「ふむ……」
俺は顎に手を遣った。今、月野姉妹が言ったことが事実だとするなら、俺は彼女たちを鬼羅鬼羅通りに帰すべきだ。
だが、俺は二人に十分な恩を返していない。命を救ってもらったというのに。それに気づいてもらい、他人を傷つけるようなことは抜きにして、二人には平和な日々を送ってもらいたい。
ゲンさんがわざわざ危険を冒して、月野姉妹を俺の妹にしてくれたんだから。そのくらいの度胸があるところは、俺も見せつけなくっちゃな。
ふと、俺の脳裏を何かが掠めた。犯罪に関わるような、不吉な感覚だ。
――何事だ?
俺が首を捻っていると、客間の扉がノックされた。ゲンさんに違いないだろうが、それでも慌てている感じを隠しきれていない。
「し、失礼致します!」
「どうしたんです、ゲンさん?」
「皆様こちらへ!」
客間の中央に歩んできたゲンさんは、素早くリモコンを操作してニュース番組を点けた。
俺にとっては見慣れたはずの画面が、なんだか妙に仰々しく、他人行儀に見える。
映像は、ちょうど謎の人物がパトカーに押し込まれる様子を展開している。
カメラがパンすると、あちらこちらに血痕があった。ビルの壁面やタイル状の地面に、生々しくこびりついている。
あれは鑑識という人々だろうか、白い防疫服を纏い、ナイフを何本も回収している。
って、いうかここって。
「駅前の繁華街じゃねえか!」
思わず大声を出してしまった。テレビ画面越しに映されているのは、未だに朔家が世話になっている家電量販店。
こんなところまで、暴力の魔手が伸びているというのか。
「あっ、こいつ!」
「どうしたんだ、摩耶?」
「先月からこの街で傷害事件をやってる犯人!」
「どうして知ってるんだ? 写真か何かあるのか?」
「これ、サワ兄さんの部屋にあった、写真の人物。そっくり」
なるほど、犯罪にはうるさい月野姉妹が、二人揃ってそう思うわけか。今テレビに映ってるのが、現在世間を騒がせている連続通り魔事件の犯人なのだと。
幸いなことに、一連の通り魔事件による死者は報告されていない。だがそれは犯人が不慣れなだけの、単なるハッピーエンドなのかもしれない。
いや、でも犯人は捕まっているわけだし、連続してきた通り魔の物語はここまで、なのか?
「おい柊也! 明日は繁華街の調査に出かけようぜ!」
「ふむ……」
「あれ? 柊也?」
「ん、何でもない。ってか摩耶、お前だって飯の話ばっかり聞いてるわけにはいかないぞ? こんな近所で通り魔なんて」
「分かってるよ、んなことは! 今度はあたいが相手になってやる! 必殺上段回し蹴りで一撃必殺! なあ、美耶?」
「……」
黙り込んだ美耶。だが彼女は、何らかの事実に圧せられているというより、決断を迫られているように見える。一体、何を考えているのか?
「大丈夫か、美耶?」
「あっ、ごめ、ごめんなさい、ちょっと、自分の世界にのめり込んで……」
「ああ、そういうことか。心配するなよ。いつまでだってここにいてくれて構わない。宿代無料で三食付きだ」
俺の言葉に、美耶はふっと顔を上げた。眼窩で踊る美耶の潤いのある瞳。いつものマネキンのような無機質感は何だったのだろう。
と、会話を繰り広げていると、ゲンさんはチャンネルを替えていた。どの局の映像にも、白いテロップで通り魔傷害事件、解決か? という文字が躍っている。
「それにしてもよかったな。美耶が助けてくれなきゃ、俺なんてあっという間に刺されてたよ」
「そうだな! あたいも姉貴として、すげぇと思うぜ!」
褒め慣れられていないのか、やはり人類の同族愛は捨てたもんじゃないな。
そう思いながら、ぎゃあぎゃあ騒ぐ摩耶と、俯いたままの美耶を、俺はのんびり見つめていた。
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