第17話
※
俺はがっくりと肩を落とし、テーブルの上で視線を彷徨わせていた。両親の遺産で、月野姉妹にまともな生活をさせてやれるのか?
いや、今はそんな具体的な話はいらない。
問題は、とにかく俺が摩耶と美耶のことについて、きちんと責任をもって相対することができるか。この一点にある。
今この部屋に、あの二人がいなくて幸いだった。きっと俺は、随分と情けない表情を浮かべていただろうから。
ピピッ、という電子音が、軽く空気を震わせる。そちらを見ると、ちょうどインターフォンのようなスクリーン付きの機械が壁に貼りつけられていた。
サワ兄はゆっくり、大股で歩み寄っていく。
《こちら武器調達係、サワ兄へ。美耶姉のクナイ、十分量がたった今運ばれてきました。もう美耶姉にお渡ししてもよろしいですか?》
「こちら澤村、了解。一旦美耶姉に代わってくれ」
《はい!》
ふむ、ここの不良たちは、摩耶のみならず美耶にもきちんと敬意を払ってくれるらしい。
ちなみに、クナイというのは投擲による殺傷行為を目的とした小型のナイフだ。
《もしもし?》
「あっ、も、もしもし……。妹の美耶、です」
《おお、美耶か! 今クナイを貰ったと思うが、一人で持てそうか?》
《大丈夫、です。いざという時、柊也さんと、分けて運びます》
「了解した」
それからサワ兄は、ゆっくりと俺の方に向き直った。
「君は随分信頼されているようだな、柊也くん」
「え? 何の話です?」
「いや、あの頑固者の美耶が、誰かに手伝いを頼むなんて滅多に考えられないことでね。名誉職だぞ、これは」
「は、はあ」
そういうもんかねえ。
俺が腕を組んで首を傾げていると、また扉が、ばごん! といって暴力的に蹴り開けられた。
「おい摩耶、音は立ててもいいから、突然扉を蹴りつけるのは止めてくれ。せめてノックして、反応があってから開けろ。常識だぞ」
「なーに堅苦しいこと言ってんのさ、サワ兄! 今までのあたいらの人生の中で、常識的な人並のことなんてあったかい?」
「やれやれ」
露骨に肩を竦めながら、サワ兄は俺と視線を合わせた。リアクションに困った俺は、わざと苦笑いをしてみたのだが……上手くはないだろうな、うん。
そうこうするうちに、美耶に続いて摩耶が入ってきた。申し訳なさそうな顔で。
「ごめんなさい、柊也さん」
「え? 何が?」
「私が、手伝って、ほしかっただけ……。武器を運ぶこと、について、ですけど」
「ああ、それがどうした?」
「えっと……そう、すると、あなたと一緒にいられる時間、長くなるかな、って」
俺はぽかん、と口を開いた。美耶は俯いて頬を赤らめている。
俺なんかのどこがいいのかさっぱりだが、ご厚意だけは頂戴しておこう。
問題は、美耶の背後で摩耶が奇妙な動きをしていることだった。舌を出したり、手をひらひらさせたり、ドジョウ掬いのような動きをしたり。
一体何なんだ、お前。
俺が困惑しているのを知ってか知らずか、インターフォンに向かっていたサワ兄が振り返った。
「少し待ってろ。柊也くんと月野姉妹を邸宅に送り届ける」
「あっ、そこまでしなくても大丈夫ですよ、歩いて二十分もすれば――」
「詰めが甘いぞ、柊也くん」
半分真剣で、半分からかうような調子のサワ兄。
「歩いていた方が、監視カメラに捕捉されやすい。が、車で移動すればまだ身の隠しようがある。ウチが運転するから、三人はシートの下の部分に身体を引っ込めて後頭部を押さえているように」
ああ、いわゆる耐ショック姿勢ということか。
サワ兄は、再びインターフォンに向かった。三桁の番号を打ち込むと、ディスプレイにぱっと光が灯る。
《こちら車両整備班、何事ですか、サワ兄?》
「盗難車を一台回してくれ。少しばかり移動する」
その目的はもちろん、俺と月野姉妹の搬送だ。
「今用意できるものなら車種は問わない。極力無個性な車両を選んで、鬼羅鬼羅通りの入り口に回してくれ」
《了解です》
「よーし、んじゃ、行ってみようか」
「ええ、行きますか」
「ういー」
「はい、分かり、ました」
誰がどんな返答をしたのかは、推して知るべしといったところか。
※
用意されていたのは、適度に汚れの付いた二列シートの軽自動車だった。
もちろん、盗難時とは異なるナンバープレートが装着されている。
そんな車体について、サワ兄はライトの効き具合、加速時のアクセルの踏み込み具合、ブレーキのかかり具合などを念入りに確認している。
几帳面な人だな。摩耶とは大違いだ。
「ちょっと柊也、なにあたいを見てんのさ?」
「は?」
「あんまりジリジリ見られると、こっちも迷惑なんだけど」
あたいの怒りの爆弾に着火する気か? などとのたまう摩耶。随分と物騒な思考回路をお持ちのようで。っていうか、お前が奇妙な言動を取るからだろうが。
「よーし、三人共乗り込んでくれ」
俺は助手席に座ろうとした。なんでも、事故に遭った時に最も大怪我に陥りやすいのが助手席だと言われているからだ。まあ、誤差範囲なのかもしれないが。
しかし、助手席に乗り込んでシートベルトに手を伸ばした時のこと。
「んあ?」
シャツに違和感があった。何かに引っ張られている。
振り返ってみると、そこには美耶がいた。ほぼ零距離で。
「おっと……。美耶、お前も助手席に乗りたいのか?」
「違い、ます」
うわぁー、バッサリ否定されてしまった。
「じゃあ何なんだ?」
「柊也さん、あなたには、私と一緒に後部座席に乗ってほしいです」
「へ?」
そ、それだけ言われても、何をどうすればいいのか分からんのだが。
事の成り行きを見守っていたのか、摩耶も負けじと俺に引っ付く。胸倉に掴みかかるという、些か乱暴な手段で。
「手を離せ! 突然どうしたんだよ、摩耶?」
「美耶! あたいの方が年上なんだから譲れよ!」
「でも最初に柊也さんを捕まえたのは私だよ?」
「んぐ」
語彙力の広さの違いか、情報認識能力の差が出たのか。
とにかく、サワ兄が仲裁に入ったところで、助手席、すなわちハズレを引いたのは摩耶だった。対する美耶の目には、爛々と輝く光点がある。
俺の隣席なんて、そんなに嬉しいのだろうか? 年頃の女子の考えはさっぱり――。
と言いかけて、俺は一瞬で顔が真っ白になる現象に襲われた。
月野姉妹は兄を喪ったと聞いている。それが、姉妹に大変な心理的負荷になっているのだろう。
が。似たような話ではあるが、俺にしたって、家族の欠落という空虚な気持ちは人一倍分かっているつもりだ。まだ月野姉妹に話せずにいるだけで。
それでも、唐突な胃酸の上昇は、俺の喉の奥をチリチリと焼いた。対照的に、メンタルは胃酸と逆に急降下している。こんなに激しい気持ちのアップダウンはごく久々だ。二度と経験したくはなかったけれど。
「全員、耐ショック姿勢はとったな? よし、出発するぞ!」
景気のいい声で、サワ兄が声を上げる。俺たち三人は無言。腕を使って後頭部を守り、シートの下に頭を突っ込む。
頭隠して尻隠さず、とはよく言ったものだ。が、それが最善策だというのなら、率先して行うべきなのだ。言い出しっぺ、あるいは年嵩の人間などは、特に。
そして車が俺の邸宅に着くまで、どろどろと時間が流れていった。
やたら車の進みが遅い。こんなに赤信号にばかり引っ掛かるなんて、あまりに奇妙だ。
もちろん、これらは俺の体感だ。実際は、十分くらいで邸宅に着いていたはず。
それは分かる。でも、俺の頭はその体感時間をまともに制御しきれなかった。それがいろんな事象とごちゃ混ぜになって、なんというか、バグっていた。
「よーし、着いたぜ」
そんなサワ兄の言葉に、俺ははっとして目を開けた。瞼が痺れている。それだけぎゅっと目を閉じていた、ということか。
「柊也くん、あの御仁は?」
「え……?」
よたよたと後部座席に座り直し、サワ兄と同じ方向を見遣る。
そこにいたのはゲンさんだった。この暑いのに、燕尾服を優雅に着こなしている。
俺が軽く説明すると、サワ兄は、そうか、とだけ告げて車を降り、ゲンさんの方へ向かって行った。
ゲンさんはサワ兄にも深々とお辞儀をして、少しばかり話をした。すぐにサワ兄が戻って来て、俺たち三人に、早く邸宅に入れと指示。確かに、熱中症にでもなったら目も当てられないからな。
「おかえりなさいませ、坊ちゃん、摩耶様、美耶様」
「くるしゅーない!」
けっ、摩耶のやつ、遊んでいやがる。
一方の美耶は、黙り込んでじっとアスファルトを見つめていた。何か打ち明けたいことがあるのを、ぐっと堪えている。あるいは怖くて口にできない。といったところだろうか。
俺は軽く二人の背を押して、邸宅内へと誘導した。
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