第15話


         ※


「ふむ……」


 どうやら俺は、自分の考えに対して問題提起をしなければならないようだ。

 大人たちの力では、どうにもできないほど心を痛めた子供がいること。その事実を受け止めた上で、摩耶と美耶をどこで、どうやって生活させるべきなのかということ。


 俺は俯き、カシスオレンジの缶を無造作に手の中で回転させる。次の瞬間。

 どがん! という轟音と共に、この部屋の扉が内向きに弾き飛ばされた。凄い勢いで扉が蹴り開けられたのだ。


「ぶおほっ!?」

「サワ兄! この前預けたあたいの相棒、見てみて!」

「あー、それは構わんがな摩耶、ひとまず柊也くんの様子を確かめたらどうだ?」

「ほえ? ああ、本当だ」


 俺は上半身を突っ伏させるような姿勢で、ドアに叩かれていた。

 ぼんやりした視界の中で、摩耶と思しき顔が俺を覗き込んでくる。

 摩耶は何やら背中に担げるくらいの長い物体を手にしているが、これが彼女の武器らしい。

 金属バットにたくさんの釘が刺さっていて、殺傷性の高い仕様になっている。いわゆる釘バットだ。


 あれでぶん殴られたら致命傷は免れまい。

 それはともかく。


「悪いなあ、柊也。脳震盪でも起こしたか?」

「おいおい摩耶、柊也くんを気絶させてどうするんだ? せっかくウチらで建設的な話し合いを……」

「建設的? だったらあたいは破壊型だぜ! 見てくれって」

「見えてるよ。その釘バットが欲しかったんだろ?」

「その通り~」


 畜生、摩耶のやつめ。脳震盪だかなんだかと、適当なことをぬかしやがる。おまけに釘バットだなんて、おっかないもの取り出しやがって……。ピンクと青を基調としたバットを手に取る摩耶は、何故か俺には、ウサギの皮を被った狼のように見えた。


 俺は零れたカシスオレンジの中身に片頬を押しつけられながら、どう反撃すべきか考えた。……のだけれど。


「サワ兄、そんなに心配かい? だったらあたいが一言で柊也を起床させてやるよ」


 俺の肩を無造作に揺すり、耳元に口を寄せて、摩耶は囁いた。


「痛い思いさせてごめんね、お兄ちゃん」

「!?」


 一瞬で、俺の頭に沸騰した血液が噴き出してくる。その勢いはとどまることを知らず、やがて俺の鼻腔を刺激した。


「ぶほっ! がっ、ぶふっ!」

「おい大丈夫か、柊也くん! 摩耶、何をした? いやそれより、清潔なタオルを持ってこい!」


 その時、もう一つ小さな人影が背後にいることに俺は気づいた。


「おお、美耶! ちょうどいいところに来たな! 柊也くんが突然鼻血を噴出させたんだ。今摩耶がタオルを取って来てるから、お前は彼の背中を擦ってやってくれ」

「大丈夫、柊也さん……?」

「んが……」


 情けない呼吸音で俺は答える。何だか、悪い気はしない。美耶は優しいな……。常識もあるし。

 ……おっと危ない。美耶を褒めていたら、そのまま鼻血の第二次噴火があるかもしれない。


「おーい、タオル持って来たぜ!」

「サンキュな、摩耶。さあ起きるんだ、柊也くん。意識はあるんだろう?」

「ん……」

「そこで悩むな! 美耶、念のためだが、摩耶と一緒に病室に向かう体制を整えてくれ」

「担架、持ってきます」


 ぼんやりする意識の中で、俺は思った。美耶はやっぱり摩耶よりも大人びている感じがするな。


「柊也、しっかりしろよ!」

「あまり揺するな、摩耶。ここで面倒見きれんことに変わりはないんだ。取り敢えず落ち着け」

「う、うん……」


 俺は、初めてかどうかは不確かだが、珍しく摩耶の気弱な声を聞いたような気がする。

 病室とやらがあるらしいが、俺は別に大怪我をしたわけでも、悪い病気に罹ったわけでもない。担架で運ばれるなんて大袈裟じゃないか。


 俺の考えを読んだのか、サワ兄がずいっと俺に顔を近づけた。


「すまんな、柊也くん。君が構わないと言っても、血を見るだけでトラウマを引き起こされる人間もいるんだ。今はウチらに従ってくれ」

「……」


 俺はどうにか、もがもがと頷いてみせた。

 まともに喋ることができない以上、俺は自問自答を繰り返すしかない。


 さっき聞かされた、サワ兄と月野姉妹の出会いの場面を想像してみる。これは話された順番の都合かもしれないが、サワ兄が月野姉妹の資金力に気づかされたのは、彼が姉妹に、ここに住まうことを許可した後とのこと。


 つまりサワ兄は、金銭目当てで姉妹を鬼羅鬼羅通りに引き込んだわけではない。

 では、この裏にある街路が不良の集まり、などと認知されているのはどうしたことか?


 タイミングよく、俺の脳裏をサワ兄の言葉が横切った。

 どうしても大人に馴染めない子供や若者がいるという事実だ。

 

 大人が施してくれるメンタルケアというものも、年々研究が進んで、いずれは日本の少子化対策に繋がるとまで言われている。

 しかし今考えた通り、どんな大人をも信用できず、混沌の最中にいる若者だってたくさんいるのだ。俺だってもう、片足を突っ込んでるしな。


 俺の場合、自分に救いの手を差し伸べてくれたのは両親だと思っている。

 莫大な資産。衣食住を安心して享受できる環境。そしてゲンさんや岩浅警部補に繋がる、極めて親切で有益な人脈。

 では、俺の親父やお袋はどうなるのだろう?

 二人共人脈がたくさんあるのは間違いない。生前の行いが評価されているのだろう。飽くまで『研究者として』ではあるが。

 二人の顔を思い出す。が、上手くいかない。記憶の彼方に封印していろということか……。

 

 そんなことを考えていると、担架に寝かされた俺の頭部側と足元側で掛け声が上がった。

 どうやら病室とやらに到着したらしい。振動がぴたりと止んで、俺は手術台に載せられたことを自覚した。


 医療ドラマでよく見るような、影を作らない不思議な照明が俺を照らし出している。


「朔柊也くん、聞こえますか? 柊也くん?」

「あっ、はい」


 俺は自分が横たえられているのを忘れて、体勢を崩しかけた。が、看護師がすぐに俺を引っ張り戻してくれた。今の俺に不調はない、と改めて実感する。


「あ、あのー、これって体質なんですよ。その、時々鼻血が出ちゃうのは。前回もタオルで押さえてるだけで何とかなりましたし、わざわざ手術などなさらなくても……」

「ふむ、朔柊也くん、君は自分がどれほど有名か、知らないようだね」


 メスやら注射やらをトレイに戻しながら、医師は語り出した。


「僅かばかりの所見だが、君は心身共に異常はないようだ。少々鼻の粘膜が弱いだけで」


 大きなお世話だ。


「ああ、少しドアを開けてくれ」


 医師が振り返って看護師に命じる。スライドドアが展開すると、その向こうから二人の人間が転がり込んでいた。摩耶と美耶だ。


「おおっと、す、すいません、お手洗いを探してて……」

「そんなハッタリが通用するか、馬鹿もん! 二人共、聞き耳を立てておったな?」

「……はい」


 医師も看護師も、やれやれとかぶりを振った。


「仕方ないな。柊也くん、私は君の過去について、少々調べを入れさせてもらった。この前の一斉摘発事件の後にね。君があれほどの資産を相続し、今も広大な敷地の中で暮らしていられるのも、言ってみればその余波みたいなものだ」

「は、はあ」


 すると、コソコソとした声が発せられた。部屋の隅で摩耶と美耶がこっそり話しているようだが、その内容は筒抜けだ。


(お姉ちゃん、これって、訊いてもいい……ことなのかな? プライバシーとか、は?)

(馬鹿だな美耶! お医者さんの許可が下りてんだから、平気だって!)


「静かに聞いてくれ」

「はっ! はいぃい!」


 摩耶はばさっと立ち上がり、直立不動の姿勢。対する美耶も腰を上げ、深くお辞儀をした。


「コホン! よろしい。柊也くん、もし気分が悪くなったら、すぐに申し出てくれ」


 俺は無言で首肯する。

 そうか、月野姉妹にも聞かせる算段なのだな。異議はない。


「まず、一番最初にして最大のターニングポイントは、ご家族が事故で亡くなったこと。合っているかな?」

「はい」

「それを機に、当時小学三年生だった君は、親戚の間をたらい回しにされてしまった。そして、大して相続争いの対象にならなかった、広大な土地と洋館を手に入れた。もちろん、執事の上村弦次郎さんと一緒にね」


 そう。家族がいなくなったと思った時、そして泣き喚いて瀑布のような涙を流した時、俺の背中を擦ってくれたのは、紛れもなくゲンさんだ。


「しかし、大学入学後から急速に学力が低下。今も留年を前にしてもだえ苦しんでいる。これが二番目のターニングポイントだ」


 上半身を起こした俺は、説明を受けている間に視線を落とした。白いブランケットのあたりを行き来する。


「もちろん、君には救われる権利がある。だが君は、今住んでいる洋館から滅多に外に出ようとしない」


 そこまで聞いて、俺ははっとした。


「ちょっ、待ってください! どうして俺のことをそんなに知って――」

「大人の事情というやつかな。ただ、どうか彼を責めないでほしいんだ。ゲンさん、もとい上村弦次郎氏の行動を」

「……」


 言葉がなかった。簡略化して言えば、ゲンさんは俺の生活に対してスパイ行為を働いていたのだ。

 ふらり、と傾く上半身。それを、腕を突っ張ることでなんとか姿勢を戻した。

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