最後の目的地である舞踏室は、屋敷の二階中央、玄関正面から伸びる階段の先。黒檀の手に導かれるまま、ディリアは来た当初より、ずっとよく見える屋敷の中を歩いていく。書斎兼図書室と同じ両開きの扉の前へ、一段一段、階段を上っていく。

 手を離さないまま、レトナが扉を片方ずつ、ゆっくりと開けていく。途端、今まで見てきたどの部屋よりも多く取り込まれた月光が差して、ディリアは思わず目を閉じた。瞬きながら目を開き直せば、美しい大広間が出迎えてくれた。

 弧を描く部屋の形に沿って並ぶ五つの大窓、その格子には装飾が施されており、磨き上げられた床へ華麗な影模様を描き出している。広々とした空間をぐるりと見渡せば、左手に何やら機械の姿があった。手を繋いだ少女たちと並んで、月光を静かに受け止めているそれは、大ぶりの花をたくさん咲かせた低木のように見える。


「ようこそいらっしゃいました、淑女のお二方」


 ぱさり、そこから降りてきたのは、先行していたらしいシルヴェスタ。星柄の礼服を纏っているかのような烏は、恭しく二人にお辞儀をする。


「ここ、夜の国で奏でられる音楽は、大抵は悲しく哀しいもの。けれど、いつもそればかりでは、我らの女神が不安がる。故にこれから、ささやかな舞踏会を開きましょう。奏でる音はみんな明るく、楽しく、でもやっぱり密やかに。素敵な舞踏会を開きましょう」


 開幕の謳い文句を言い終えると、シルヴェスタは機械の側へ戻り、何やらついついとくちばしを動かした。すると機械が人のように息を吸い込むような音を立て、旋律を歌い出す。

 すっかり機械に気を取られていたディリアは、最初のステップを忘れてしまっていた。頭の中まで真っ白になって固まりかけたが、レトナがすかさず助けてくれた。

 月光と窓格子の影を受けながら、白と黒の少女が踊る。柔らかな足音、穏やかな旋律。冴え冴えと注がれる冷たい光で満たされた中、重なり繋がった白亜と黒檀の手にだけ、微熱が籠っている。

 何度も誘ってきただけあって、レトナは踊るのが本当に上手だった。ディリアは何度か、純黒の足を踏みそうになってしまったけれど、レトナは軽やかにかわしてステップを踏む。揺れる木陰を追いかけるように、打ち寄せる波を追いかけるように、黒と白の足が交差する。

 足元ばかりを凝視していたディリアが、ふと視線を上げてみると、レトナと目が合った。じっとこちらを見ていた瞳、月光が映り込んだ瞳が、もう二つ月を作ったかのようで。視線を吸い込まれたディリアは、とうとう純黒の足を踏んでしまった。


「あっ……ああ、ごめんなさい、レトナ。迷惑をかけてしまってばかりね」


 音楽はまだ終わっていなかったが、少女たちは舞踏を止めた。申し訳なくてうつむきながら、ディリアは握った黒檀の手を見つめた。レトナからすれば口の代役なそれは、音もなく白亜の手を取り直す。


『迷惑なんて一つもかけられてない。踊っているあなたは、とても綺麗』


 微熱が移り、冷たさが緩和された指で書き記される、夜の国に住む少女の言葉。彼女は声を出さないのに、黒檀の指から伝う言葉たちは、透き通った音色で包まれているようだった。

 澄みわたり冴えわたって、混じれども混じりけのない静謐。昼の国では見られない、数多を内包した上で現れる、純粋無垢な黒。骸に寄り添い、骸の光を受けて現れる、純黒の少女。


「あなたの方が綺麗だわ」


 思わず口をついて出た言葉は、こぼれた一滴なのに確固としていて、ディリアの顔を上げさせた。真っすぐ見つめた先には、きょとんと目を丸くしたレトナの顔がある。


「あなたが持っている黒は、本当に綺麗。綺麗なあなたを形作った、この国も綺麗。だからわたし、あなたのことも、この国のことも、もっと知りたいわ。もっと知って、もっと好きになりたいの」


 いつの間にか、音楽も止まっている。ふわり、ゆったりと落ちてくる静寂の帳に、響く音はディリアの声だけ。


「もうしばらく、あなたの傍にいてもいい?」


 一歩、身を乗り出して、レトナに近づく。こくりと頷くのが見えてしまえば、そのまま抱きしめていた。嬉しいと言えば伝わるのに、体が先に動いていた。夜の国の少女が、そうやって嬉しさを伝えてくれたからだった。


『もう少しここにいてって、お願いしようかと思ってた』


 書斎兼図書室で抱擁を交わした時と同じく、肩に黒檀の指が走っていく。そのこそばゆさと明かされた要望に、ディリアは思わず微笑んでしまった。抱きしめる腕に力が入る。


「あなたが許してくれるなら、まだあなたと一緒にいたいわ」

『あたしもあなたと一緒にいたい。あたしも、昼の国へ行けたらいいのに』


 ためらうような間を空けて記された望みに、ふと、ディリアは疑問を思い出した。夜の国の人は、どうして昼の国へやって来ないのか。これまでに聞いた情報から予想すれば、骸となった妹神の喪に服しているから、出国はあまり褒められたことではないのかもしれない。

 所詮は想像にすぎないが、そういう意識があるというのは間違っていない気もする。今こうして抱擁しているレトナが、祖父亡き後も屋敷で一人暮らしているという背景の持ち主でもあったから。

 夜の国の人々は、黙したまま数多を受け入れて寄り添う人々なのかもしれない。故にこそ、踏み出すことをしないのかもしれない。もしそうなら、とても優しいけれど、悲しいことでもある。純黒の少女を抱きしめる腕に、また力が入ってしまうくらい。


「ずっと一緒にいられたらいいのに」


 かすれた小さな囁き声は、ほとんど耳元でそれを聞いたレトナに、しっかり伝わったかどうかも疑わしい。聞こえてほしい気持ちもあったし、聞こえなくてもいいという気持ちもあった。どちらにしろ、一緒にいたいと願っているのは、お互いに同じなのだから。

 降り積もった静穏の中、どちらともなく抱擁を解く。背中から離れていく手は、流れるように繋がって、二つの影に橋を架ける。


「あなたが好きよ、レトナ」


 夜闇から現れたような少女を前に、おのずと言葉が零れた。異国で出会った、とっても綺麗な女の子。レトナという名前の彼女を、心から好きだと思った。

 白亜に握られた黒檀の指は動かない。代わりに頭が揺らいでいた。言葉を離さず、表情もほとんど変わらない少女が笑っている。

 月光が明らかにしたその花顔は、これまで見てきたどんなものよりも美しくて、可愛らしくて。ディリアも笑みを咲かせずにはいられなかった。

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