第四話 のろいいし



 小町は翌年、無事に青葉と同じ大学に合格。彼女は双神家に下宿し、大学へと通い始めた。


 大学生活を楽しんでいるらしく、日に日に元気になっていく小町を見て、青葉は一安心していた。


 時は早々と過ぎ、もう七月に入る。そろそろ夏休みだ、と考えると月日の速さを実感する。あの日々から、もうすぐ一年経つのだ。


 されど、そんな穏やかな日常にも影が差し始める。きっかけは、小町が家の庭で不審な老人を目撃したことだった。


「私が声をかけたら、ぎくっとしたように、すぐに走っていってしまったのよ。呼び止めても無視。何だったのかしら」


 小町の報告を聞き、青葉は首を傾げた。


 田舎だからといって、勝手に庭に入ってくる老人などいない。特に双神家は守り神の家だから、老人こそ気軽に入ってきにくいはずなのだ。


「誰やと思う?」


 カザヒとミナツチを仰いで尋ねると、彼らは顔を見合わせた。


『もしかしたら……』


 カザヒが口を開いた時、呼び鈴の音が鳴った。


「青葉! 蘇芳すおうくんやよ」


 母の祥子に呼ばれて、青葉は読んでいた本を畳の上に置いた。


「蘇芳? ほんまな?」


「ほんまやよ。はよ、行ったり」


「ん」


 青葉は行きかけて、ぽかんとしている小町に気付く。


「小町。蘇芳のこと覚えとる?」


「誰?」


「小町より先に、引っ越してしもた子やよ。親はちょっと前にここに帰ってきてんけど蘇芳は大学が神戸やけん、まだあっちにおったんよ」


「うーん……。会ったら、わかるかも」


「せやったら、一緒に行こか。家の中に、通しとるん?」


 青葉は祥子に向き直ったが、彼女は首を横に振った。


「何回も勧めてんけど、すぐ帰るけん玄関でええって言うんよ」


「ふうん」


 青葉と小町は、蘇芳の元に向かうことにした。




 玄関で待っていた蘇芳の外見に、小町はぎょっとしていた。無理もない、と青葉は苦笑する。


 人工的な白金色の髪に、鋭い目。唇と耳にあるピアス。


 都会であればそれほど目立たないのだろうが、こんな田舎にいると嫌でも目を惹いてしまう。


「おう、青葉。久しぶりやな」


「蘇芳、しばらく会わん内にえらいことになっとんな」


「まあな」


「いつ、帰ってきたん?」


 尋ねかけた青葉の背に、小町は隠れてしまった。


「小町? どしたん?」


「俺が怖いんちゃう?」


 自嘲気味に、蘇芳は笑う。


「小町。蘇芳は別に、悪い奴ちゃうよ」


 小町の子供じみた仕草に戸惑い、青葉が言い聞かせるも、小町は青葉の背にしがみついたままだ。


「誰や、それ」


 こんな反応をされてもあまり動じず、蘇芳は小町を顎で示した。


「佐倉小町。昔この村におってんけど、東京に引っ越してしもて。でも、最近ここに下宿して大学通てるん」


「へえ」


 面白くもなさそうに、蘇芳は相槌を打つ。


「お互い、知らんことはないと思うんやけど」


「覚えてはないけどな。学年ちゃうんやろ?」


「せやな。お前は二つ上やけん。……何で、突然? 夏休みには、まだ早いやろ」


「親父が、調子悪いけん。今日から入院やと」


「ほんまな?」


「ああ。だけん、俺が家の面倒見んと」


 蘇芳は面倒臭そうに、ため息をついた。


「帰るわ。その子、怖がっとるし」


「……蘇芳、すまんな」


「ええよ。どうせ、お前に挨拶だけして帰るつもりやったけん。またな」


 蘇芳が出ていって、ようやく小町が青葉から手を放す。


 小町を振り返った青葉は、眉をひそめて彼女に尋ねた。


「何で、あいなことしたん? 蘇芳に失礼やろ?」


「……ごめんなさい。私にも、理由がわからなくて。ただ、なぜだか凄く怖くて……」


「怖い?」


「怒られて当然だとはわかってる。本当に失礼なことをしたのも。でも……説明できない恐怖を感じたの」


 小町の説明に、青葉は戸惑うことしかできなかった。


「……何やら、顔が青いな。ちょっと休んだらどうや」


 小町の様子は、明らかにおかしかった。好き嫌いであんな行動に出る子ではないとわかっていた青葉は、優しい声で小町を諭した。


「そうするわ」


 震える声で返事をして、小町は自室へと戻っていった。







 布団を頭からかぶって眠っていると、夢を見た。


 幼い青葉が、湖の傍でにこにこ笑っている。


 彼に近寄ろうと歩み出すと、青葉はこちらを指差して首を振った。


 湖が、たちまち赤く、紅く、朱く染まる。


 小町が自分の手を見下ろすと、手はとろとろと溶けていって水に変わった。




 はっと目を覚まし、小町は暑苦しい布団の中から緩慢な動作で抜け出た。


 腕時計を見ると、もう午前一時だ。


 そういえば誰かが夕食だと呼びにきた気もするが、よく覚えていない。


 小町はしばし考え込んでから、ゆっくりと立ち上がった。




 夜気が、火照った頬に心地良い。


 小町は月を見上げて、ほうっと息をついた。


 後ろに見える双神の家。みんな寝ているのだろうが、誰かに気付かれては厄介だと思って小町は足を速めた。


 あのままもう一度眠る気になれなくて、散歩することにしたのだ。


 当て所なく、歩く。月明かりだけでは心もとないので懐中電灯で道を照らしながら、でたらめに歩を進める。


 こうしていると、何も考えなくて済んだ。


 突如、小町は足を止めた。あの老人が、目の前に現れたのだ。


「あなたは……」


 老人はすぐさま逃げ出し、小町は驚きのあまり彼をしばらく見送ってしまった。


(追わなきゃ!)


 老人が大きな家に入っていくのが見えた。


 小町は、急いで老人の入っていった家まで走る。ようやく辿り着いた時には、息が切れていた。


 その家の表札は、〝長内おさない〟となっていた。


 遠慮がちに門をくぐると、老人は狂ったように玄関の戸を叩いていた。呆気に取られている内に、戸が開いて蘇芳が出てきた。


「おじい。何やっとんや」


「巫女じゃ。巫女がわしを殺しにくる」


「はあ?」


 そこで、蘇芳は小町に気付いた。


「あんた、何やっとんや」


「私、その……あの……」


 じっと見られ、恐怖で足が震える。


「昼間は……ごめんなさい……」


「それだけわざわざ、言いにきたんか? こんな時間に?」


「いえ。実は、そのおじいさんを追って……」


 どう説明したものかと悩む小町を見て、蘇芳は頭を掻いた。


「とりあえず、中入ったらどうや」


「でも」


「もう目、覚めた。今は俺とおじい以外、誰もおらんけん、入れや」


 蘇芳は老人の手を引き、中に入ってしまった。小町はためらいながらも、彼らに続いた。



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