第三話 わらべうた 3
帰ってきた小町は、少しだけ心配そうに呟いた。
「ただいま……」
「おう、おかえり」
ひょこっと、青葉が顔を出す。
「もう夕飯できとるけん、はよ」
「わーい」
小町は、ばたばたと家の中に入っていった。
青葉が小町の後を追ってダイニングルームに顔を出すと、彼女は既に食卓の前に座り、手を合わせていた。
「早く食べたい!」
「待ち。俺が座ってからや」
青葉は制止した後、小町の真正面に座った。
二人で「いただきます」を言ってから、小町は早速ごはんに手を付けた。
「せやせや。今日は将来の夢、先生に聞かれてん」
「へえ? 何て答えたん?」
「べんごし! だって、お金稼げる偉い仕事やって、言うてたやろ? 小町になって欲しいって言ってたやろ? そしたら……」
その先を続けることなく、小町の表情が曇った。
「……俺は、小町がなりたいものになったらええと思うよ」
「え? えらくなくても、ええの?」
「小町がなりたいんやったら、それ目指したらええ。偉い偉くないなんて、関係ないんよ」
「――そうなの?」
小町は、じっと青葉を見つめる。
「そうや」
揺るぎない声で、青葉はそれに答えた。
そんな日々が、続いた。小町が帰ってきて、青葉が迎える日々が。
長いようでいて、陽炎のように儚い日々。
ある時、縁側で話をしていると、小町がいつの間にか眠ってしまった。
彼女を見下ろし、その髪を撫でてやる。
すやすや寝息を立てる彼女が陰だと、誰が見抜けるだろう。だが、彼女はたしかに陰だ。
それを思うと、青葉の胸は痛んだ。
日が暮れた頃に、小町は目覚めた。
「寝とった!」
「せやな。気持ち良かったか?」
「うん、ええ気持ちやった」
小町は、暗くなりかけた空を見上げる。
「花火でも、しよか」
青葉の提案に、顔を輝かせる。
「するする!」
「じゃ、持ってくるけんな」
青葉が立ち上がって家の中に戻ると、畳の上に花火セットとライターが置いてあったので、それらを持って縁側に引き返した。
「小町、あそこで水汲んできて」
「はーい!」
小町は庭に転がっていたバケツを拾い、庭の水道で水を入れている。その光景を見る青葉に、カザヒとミナツチが囁く。
『そろそろじゃな』
『んだ。潮時や』
「……わかった」
青葉は表情を引き締め、庭へ下りた。
最後は、線香花火だった。
「落ちたらいかんー!」
はしゃぐ小町に苦笑し、青葉は告げる。
「小町は辛かったんやな」
「え?」
小町は顔を上げた。
「辛いけん、お前を捨ててしまおうとしたんやな。心の中に、置いたんやな」
「……何のこと?」
「小町は、自分が要らないと言われたことが哀しすぎたんや。だけん、自分から捨てようとした。忘れようとした。それで捨てられた陰……それが」
青葉は真っ向から、彼女を見据える。
「お前や」
小町……いや、「陰」は引きつった笑みを浮かべた。
「お前は、小町を恨んだ。捨てて、一番酷い思い出を自分に押し付けた小町を恨んだ」
「……せや」
「だけん小町に嫌な夢を見せたり、囁いて精神的に追い詰めたりした。神さんに触れたせいでお前の力は強くなって、小町への影響力が増してしもたんやな。…………なあ」
青葉は、厳しい表情をようやく緩めた。
「お前は、小町やろ。小町の一部や。そんなことしても、ええことないってわかるやろ」
「――そんなん、わかってるわ!」
彼女は血を吐くように、叫んだ。
「だけど、どうすればええんや! こんな所で、ずっと一人ぼっちで、あいな思い出を繰り返し繰り返し見せられて、どうすればええんや……」
彼女の叫び声は、涙声になっていった。
耐えきれなくなった青葉は手を伸ばし、彼女を抱き締めた。
「辛かったな……気付いてやれんで、ごめんな」
幼馴染みとしてずっと一緒にいたのに、彼女の傷に気付いてやれなかった。
優しい両親なのだとばかり、思い込んでいた。小町が、あんな思いをしているとは夢にも思わずに。
「あんなんで、お前を満たしてやれたとは思わんけど……ちょっとは救われてくれたやろか」
嗚咽が、聞こえた。
「……あたしは、お父さんとお母さんにも……ああして欲しかったんや」
親が、子に抱くはずの慈しみ。
それをもらえなかった小町。
それどころか、いなかったら良かった、とまで言われ、どれだけ辛かったことだろう。
小町の両親は、ただ八つ当たりで言っただけなのかもしれないが、それが娘の心を破ると、どうして考えられなかったのだろう――。
「一人で、よう頑張ったな。もう、小町の中に戻り。俺が還してやるけんな」
青葉は目をつむり、言葉を紡いだ。
「かげとして いきづくわらべ さくらこまちの たまへとかえれ」
詠唱のおかげで、彼女は薄くなり始めた。
「俺が誰かわかっとるんな? 小町」
突如、青葉は問う。
「最初から、わかっとった」
彼女は体を離し、青葉の目を覗き込んだ。
「……ありがとう、青葉」
その台詞と共に、彼女は消えていった。
引き戻される心地がして、青葉はそっと目を閉じた。
目を開くと、覗き込む穂波とすりーぷの顔が目に飛び込んできた。
「あ、起きた! どうなったんや?」
「……えっと」
青葉は起き上がり、小町の方を見やった。
苦しげな表情は消え、穏やかに目を閉じている。
「多分、上手くいったと思う」
いつの間にか、双つ神が青葉の背後に現れていた。
『でも、こまっちゃんにとって本当に辛いのは、ここからじゃ。忘れようとした思い出と、向き合わないかんけん』
『んだなあ』
「……せやな」
「三人で納得せんと、何があったか教えてんか!」
『そうだよ~』
穂波とすりーぷが遮った瞬間、小町が目覚め、一同は彼女に注目する。
起き上がり、彼女は一筋の涙を零した。
「あたし……何で、忘れてたんやろ。何であんなん、忘れてたんやろ……」
震える小町に、カザヒとミナツチが近付く。
『こまっちゃん。〝それ〟があんたの陰の元やったんや。辛いやろけど、向き合わないかん。なかったことに、できへんのやけん』
『んだ。消えへんのや』
「カザヒさん……ミナツチさん……」
小町は、嗚咽を漏らす。
「ほら青葉、お前の出番や!」
と穂波に背中を押され、青葉は小町に声をかけた。
「小町、何があったか覚えとる?」
「……何となく。でも、曖昧」
「せやったら、今から説明するけんな」
青葉は、小町の心の中にいた陰の存在を語った。
語り終えると、小町は不安そうに胸に手を当てた。
「じゃあ、私の陰は……消えた?」
「なくなったわけちゃう。小町に、戻ったんや」
「私に、戻った……。だから、記憶が戻ったのね」
少し間を空け、小町は馬鹿みたいと呟いた。
「自分で自分を捨てて、その自分が自分を苦しめるなんて……私、どうしようもないわね」
自嘲気味に笑い、小町は涙を拭った。
「何も、おかしいことない。その時、小町はそうせな自分を守れんかったんや。しゃあなかったんや」
青葉の慰めに、小町はうつむき、しばらく何事か考えているようだった。
「青葉」
そして小町は急にしっかりした声で、名を呼んだ。
「何や?」
「私、東京に戻る」
その台詞に、青葉は驚き、身を乗り出した。
「すぐに?」
「……もう少ししたら。私、両親を説得して……受験をやり直して、こっちの大学に入学するわ」
「こっちの大学って……俺の行っとる大学かいな」
「そう。それで、私も民俗学をやるの」
にっこり笑って、小町は話を締めくくった。
「今、思いついたの。具体的なビジョンがなくって、ただやってみたいってだけだけど。青葉や神さまを見てたり、穂波さんと眠り神のところを訪れたり……楽しかったな、って思って。ただ、それだけ。でも、これは本当に私のやりたいことよ。……やっと、見付けたわ。そのためにも、ちゃんと両親と話すわ。だから、帰る。でも、戻ってくるわ……。きっと」
「ほうな。小町が決めたことなら、俺は応援する。ここに下宿して通ってもええけんな」
「ありがとう。戻ってこられるよう、頑張るわ」
小町の決意に、青葉は微笑んだ。
小町は駅のホームに立ち、息をついた。
「とうとう、ね」
彼女の目は、淋しそうだった。
「こまっちゃん、大丈夫や。俺が大阪まで、付いていったるからな!」
『そうそう~』
「その方が心配や」
穂波とすりーぷが胸を叩くも、青葉が一蹴した。
『こまっちゃん、元気でな』
『でな』
カザヒとミナツチが、小町と握手をする。
「ありがとう。必ず試験に受かって、ここに帰ってきますね」
『絶対やぞ。学校まで、双神家から通ったらええんじゃけんな。試験受ける時も、うちに泊まり!』
『んだんだ!』
「――じゃあ、お言葉に甘えて」
小町の返答に、双つ神は万歳していた。
その光景に苦笑してから、青葉は小町に向き直った。
「何かあったら、電話し。力になるけんな」
「ありがとう」
小町は端然として微笑み、丁寧に一礼した。
その時、ちょうど電車がホームに入ってきた。
「うおっと。行かな」
穂波は荷物を慌てて持ち上げる。
「行かなきゃ。……みんな、ありがとね!」
小町は、足を踏み出す。
「また冬にな!」
『こまっちゃん、頑張りや~』
『んだ』
青葉と双つ神は、電車に乗り込んでいく彼女に手を振る。
「俺にも手、振らんかい!」
『あっはっは~』
穂波とすりーぷも、車内に消えていった。
しばらくして、小町と穂波とすりーぷが車内の窓から手を振る。
小町の目から滑り落ちた涙が、光って見えた。
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