第三話 わらべうた



 小町はうなされていた。黒い影が、自分を包むような感覚がして。


 


 ――私を追ってこないで――!








 目覚めると、和室の天井が見えた。荒い息を吐きながら、小町は顔を両手で覆った。


 だるい体を起こすと、汗が一筋伝う。


「大丈夫……私は大丈夫……」


 自分の体を抱き締めながら、小町は泣いた。


 その時、襖の向こうから声がした。


「小町? 起きとる?」


 青葉の声に、小町は小さく返事した。


「……ええ、今起きたところ」


「いつもより起きてくるの遅いけん、どうかしたんかと思ってしもて。しんどかったりする?」


「大丈夫よ。ただ、寝坊しただけ」


「それやったら、ええんやけど。また、後でな」


 青葉が立ち去る足音を聞き届けてから、小町は天井を見上げた。


(青葉に言うべきかしら?)


 ――言ったら、いかん。


(どうして?)


 ――これ以上、迷惑持ち込んだらいかん。


 自分の中で、誰かが答える。


 ――言ったらいかん。ここに来てから、怖い夢を見るようになったなんて。


(そうね。それは、青葉や神さまたちに失礼だものね……)


 ゆるり、小町は立ち上がった。







 起きてきた小町を見て、穂波が手を挙げた。


「こまっちゃん、おはようさん」


「……おはようございます」


「何や? 元気ないなあ」


 穂波はもう朝食を食べ終わったらしく、空の皿を箸でぱしぱし叩いた。


「ちょっと、昨日寝付けなくて。それだけですから」


 小町の台詞に、一同は、ふうんと頷いた。


「まあ、そいなこともあるけんな」


 青葉は笑いながらも、小町の様子が気になった。陰が、深まっているように見えたからだ。


「俺、ちょっと用事が。神さん、行くえ」


 青葉は神々に呼びかけて、自室へと足を向けた。


 そして青葉は自室で、双つ神と話し合うことにした。


「何でやろ。この頃、小町の陰が深くなってへん?」


『わしも、そう思ってたところじゃ。青葉、お前もっとこまっちゃんに話、聞き。あの子の陰の正体は、心の闇じゃけん』


「わかった」


 カザヒの助言に、青葉は深刻な面持ちで頷いた。




 縁側に座る小町の後ろ姿を見付け、青葉は声をかけた。


「小町」


 振り返った彼女の顔は、涙に濡れていた。


「ど、どしたん!」


 慌てて駆け寄るも、小町は首を振る。


「何でもないわ。ちょっと、感情が高ぶっただけ」


「嘘つかんと。何があったん?」


「――言いたくない、と言ったら?」


 小町の冷たい声音に、青葉は怯んだ。


「何で言いたくないんな? 俺が信用できんのな?」


「違うわ……違うのよ! ……しばらく一人にして」


 小町は立ち上がり、歩き去ってしまった。


 残された青葉は、唇を噛む。


「……どうなっとんや」


 穂波が、背後からひょっこり出てきた。


「穂波、いつからおったん?」


「今さっき。どうしたんやろなあ、こまっちゃん。俺が話してきたろか。お前より、こまっちゃんのことをよう知らん俺の方が話しやすいかもしれへん」


 穂波の提案に、青葉は逡巡した。


 つながりの薄い者の方が話しやすいかどうかはともかく、穂波は青葉よりずっと口が上手い。小町の悩みも聞き出してくれるかもしれない。


「わかった。頼めるえ?」


「任せ! 行ってくるわ」


 そう言い残して、穂波は小町の立ち去った方向へと走っていった。




 森の前で立ちすくむ小町の肩を、穂波が叩いた。


「よ、こまっちゃん」


「……穂波さん」


「青葉と喧嘩したんやってな」


「――喧嘩って、ほどでも。私が、青葉に八つ当たりしてしまっただけです」


 小町は後悔しているようだった。


「そんな落ち込むことないやん。青葉やったら、許してくれるし……大体、別に怒ってないやろ。あんたの気持ち、話したり」


「無理……です」


 小町はうつむく。


「無理……なんです」


「こまっちゃん?」


 がくがく震える小町に一歩近付いた途端、小町の体が傾いだ。


 小町の細い体を受け止め、穂波は叫んだ。


「すりーぷ! 青葉呼んでくるんや!」


『りょ、りょ~か~い~』


 すりーぷにしては珍しく、目にも留まらぬ速さで家に戻っていった。




 布団の中に横たわる小町を、青葉と穂波と神々が取り囲む。


「小町……」


 青葉は名前を、祈るように呟く。


「お前に話すのが、無理言うとったで」


「無理?」


 穂波の発言に、青葉は顔を上げる。


「俺に話すのが、無理? 話したくない、やなくて?」


「何か、制約でも受けとるんやろか。わからんなあ。お前、心当たりないんか?」


「……わからん」


 正直に、青葉は答えた。


「でも関係あるんかわからんけど、小町に神さんが見えるのは前からおかしい思っててん。だって小町は、霊力云々以前に〝信じてなかった〟んやけん」


『妙じゃのう。実際、昔は見えてなかったんじゃけん』


『たしかに……』


 カザヒとミナツチが、顔を見合わせる。


「俺は、小町が神さんに触れたせいやと思っててん」


「触れた? 何でや?」


「ちょっと、色々あってな」


 穂波に問われ、青葉は言葉を濁した。


 小町の許可なく、穂波に自殺のことを言うのは良くないと思ったのだ。


「神さんに触れたから、か。有り得るけどな……でも、信じてなかったのに……」


 穂波はぶつぶつ呟いた後、閃いたように手を打った。


「わかった! こまっちゃんの中に、何かおったんちゃうか?」


「何か、おった?」


 青葉は首を傾げた。


「でも、それやったら俺や神さんが気付くはずや」


『わからんぞ、青葉』


 カザヒが口を出した。


『表面に出てたらともかく、心の奥底に〝何か〟おったんやったらわしらでもわからん』


『んだ。心は深い』


「つまり、その〝何か〟が霊か何かで……その影響で小町は神さんを見ることができる? ……もしや、その〝何か〟が神さんに触れたことによって、育ってしもたんやろか」


 青葉は青い顔をして、双つ神を見上げた。


 神に触れてその力が強まり、小町は神を見ることができるようになった。


 しかし、それと同時に 悪影響も深まっていったのだとしたら……。


『せやったら、こまっちゃんがお前に話したくなかった理由もわかるな』


『んだ。罪悪感を覚えたんじゃ』


 傷を癒すためにと留まった土地で、心の陰が広がっていったのだとすれば。


 青葉や神たちに罪悪感を覚えるのも、頷ける。


「……何で、そいな気、遣うんや……」


 青葉は、気付いてやれなかった自分がひたすらに情けなくて、うつむいた。




 しばらく、眠る小町の傍らで正座していると、彼女はふと目を開けた。


「……青葉、私……」


「小町、ここに来てからお前の中の〝何か〟が育ってしまったんやろ」


 先手を制して、青葉は推理を口にする。


 小町はびっくりしたように、彼を見上げた。涙が、その頬を滑る。


「泣かんでもええ。ずっと言えんと、辛かったな」


「……ごめんな、さい……」


「俺に気を遣ったらいかん。言ってくれな、俺もわからんやろ? 鈍いけん」


 青葉は少しだけ笑った。


「でも、せっかくここで傷を癒せって言ってくれたのに……私もここにいたいのに……」


「傷を癒すためには、心配事をまず取り除かないかん。俺たちも、できることはしてやるけん」


 小町は首を縦に振り、起き上がろうとした。


 力が入らないようで、青葉は彼女の背に手を差し入れて手助けしてやった。


「ゆっくりでええけん、話してみ」


「ええ……」


 涙を拭い、彼女は顔を上げた。


「よくわからないんだけど……私の中に、〝何か〟がいるの。神さまに助けてもらってから、少しして……何かが私に囁くことに気付いたの」


「俺たちに、言おうとは思わんかったん?」


「……だって、〝それ〟が止めるんだもの。青葉たちに、迷惑かけちゃだめ……って」


 青葉は、片眉を上げた。


(まるで、小町の思考回路や。〝何か〟は、小町を知り尽くしとる……)


「それの、特徴とか何かないんな?」


「――特徴? そうね、方言を喋ることかしら」


「方言? ここの?」


「ええ。女の子よ」


 そこまで聞いて、青葉はそれが何か、思い至った。


「神さんたちと、話してくるけんな。ちょっと寝とき」


「……眠りたくないの。眠ったら、夢が怖いから」


 小町は抵抗するように、青葉を見た。


「そんなん言うても、このままやったらまた倒れてまう」


 小町は、夢が怖いから、寝ようとしないのだろう。それで、弱っているのだ。


「嫌って言ってるでしょう!」


 小町は怒鳴ったが、すぐに恥じたように震える声で謝った。


「ごめんなさい……」


「気にせんと。辛いの、わかっとるけん。……すりーぷ」


『なになに~』


 呼ぶと、すりーぷはすぐに、ふわふわ飛んできた。


「小町を眠らして」


『はいはい~』


 すりーぷが小町にぴっとりくっつくと、小町は崩れるように眠りに落ちた。


 彼女の体を横たえてやりながら、青葉は深いため息をついた。


「大丈夫なんか? こまっちゃん」


 隣の部屋で待機していた穂波が、襖を開けて心配そうに近付いてくる。


「大丈夫や、ないな……。でも、小町の陰の正体がわかったかもしれん」


「ほんまか? 一体、何や?」


「……小町の陰は多分、幼少期の小町や」


 その答えに穂波は驚き、目を見張っていた。


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